11 非常事態・相澤

 相澤が花火の起こった現場に急行したときには、すでにその場には誰もおらず、コンビニで売っているような打ち上げ花火の残骸が地面に残っているだけだった。紙箱がふたつ石畳の上に転がっており、わずかに周囲を焦がしている。

 鼻につく、嫌いな匂い。相澤は思いきり顔をしかめると、鼻につんと来る火薬を振り払うように頭を振った。そういえば陽がついてきていない。どこかではぐれたか、なにか別のトラブルに捕まったか。そっちもそっちで心配である。頼むから同時に色んなことを起こさないでくれ。

「さっき女の子を連れて行ってくれたAUWBさんじゃん」

 すぐそばにあったヨーヨー釣りの店主(もちろん学生)が、屋台下の椅子に腰かけながら声をかけてきた。相澤は軽く息を切らしながら尋ねる。

「ここでなにが」

「いや、なんか四、五人くらいの学生が、そこで急に花火に火ぃ点けてさ。うちは水を扱う店だからまだいいけど、油なんか使う屋台は生きた心地がしなかっただろうな」

 店主が辺りを見渡しながら心配そうに言う。見ると、食品系の屋台の学生たちは皆現場をちらちらと見やりながら、ブルーシートを折りたたんでいる。降りかかる火の粉から守ろうとしたのだろう。怖かったなー、という不安げな声に胸が痛い。

「花火を点けた連中は?」

「東校舎と中央校舎の間に向かって走っていったけど」

「ありがとう」

 礼もそこそこに走り出し、花火魔たちの行方を追う。複数犯、ということは少なくとも塩崎ではなさそうだ。もともと塩崎が意味もなく人ごみの中で火薬を使うということは考えづらかったが、なんとなくほっとしてしまう。

 中央校舎の裏には大学所有の小さな林が広がっており、農学部が実習のために利用していると聞く。若葉も陽も、そのうち授業で行くようになるのだろうか。特にこの場所への用事ができたことのない相澤は、注意深く辺りを見回しながら林へと足を踏み入れる。

 秋も深まってきたというのに、頭上は深い緑色をしている。針葉樹の割合が多いのだろう。青っぽい植物の匂いが相澤を迎え入れる。

 スニーカー越しに木屑が足を柔らかく刺激するのを感じながら、相澤はじっと耳を澄ませた。人ごみで花火を打ち上げるような危ない連中がこの林に潜伏しているのだ。どの方向からなにが飛んできてもおかしくはない。

 先輩を呼ぼうか。今更ながら、相澤の頭にそんな案が思い浮かぶ。自分ひとりでは危険である。スマートフォンを取り出し、今頃別の場所を巡回しているであろう先輩の番号を呼び出す。ついでに陽が今どうしているかも確認しておかなければ。

 そうして相澤がポケットから取り出したスマートフォンを操作していたら、いきなり手元が蹴り飛ばされた。

 面喰らって頭上を見上げると、今度は相澤の肩口も思いきり蹴られ、二歩ほど後ろに下がらされる。皮下でじんじんと痛みが声を上げる。明日には青痣になっているかもしれない。こんなところを人に蹴られた経験がないためにわからないが、相澤は痛みに顔を歪めながらそう感じた。

 相手は樹上からぶら下がりつつ、相澤を見下ろしていた。

「さっきのAUWBくんじゃん、まさか来るのがてめーとは」

 聞き覚えのある声だと思ったら、それは中央校舎の四階で出会った自転車男だった。賭け事に興じ、廊下で暴走行為に及んだため、とっくに学祭には出入り禁止になったはずである。

「まあ、中庭から引っ張ってこれれば、どのAUWBでもよかったんだけどよ」

 自転車男はぶら下がっていた樹から地面に着地した。

「……どういうことだ」

 相澤はじっと相手を睨みつける。軽薄そうな顔、喋り方、仕草、もはやすべてが気に入らない。

「いいんだよなんでも」

 自転車男は軽く髪をかき上げると、にっと歯を見せて笑った。

「とにかくてめーに仕返しできて、みんな嬉しーよ」

 複数犯、という言葉を今更思い出す。慌てて振り返った相澤は、こちらにつかみかかろうとしていた別の男と目が合った。

 瞬時に後ろへ緊急回避し、敵方と距離を取る。気が付くと、自分は四人の男に囲まれていた。

「気付かなかったんだ。ウケる」

 唯一ひとり、自転車男と一緒に自転車に乗っていた女が少し離れたところから見ていた。なるほど、中央校舎にはこの女含め三人しかいなかったが、本来はこの五人でひとつのグループだったらしい。

「頼まれたんだよね、中庭にいるAUWBをここに呼べって」

 女が冷めた視線を相澤に送りながら、髪の毛の先を指でくるくると回す。誰に頼まれたというのだろう。尋ねても教えてはくれなさそうだ。

「花火きれーだったな。でもこっちのほうが面白そう」

「そうだな。真面目でお堅いAUWBくんと遊んであげようぜ」

 自転車男がそう言ってにやにや笑いながら、相澤のスマートフォンを拾い上げた。

「返せ」

「返すと思うか?」

 別の男に投げ渡し、その男も別の男に投げ渡す。相澤はそんなふうに自分のスマートフォンが頭上を飛ぶのを視線で追いながら、できるだけ穏やかな口調で相手方に警告した。

「すぐに返せば大事にはしない。AUWBの業務を妨害するのはそれなりに罪が重いんだ」

「なに、脅してるわけ」

 女が高い声で笑う。

「AUWBとか言っても結局は同じ学生でしょ。警察じゃないんだから」

 いや、大学総長の名のもとに――などという説明が相手に通るはずもないので、相澤はその嘲笑を黙殺する。気にすることではない。自分たちだけがちゃんと理解していればいいのだ。――そういえば陽は理解しているのだろうか。まだちゃんと説明していなかった気がする。

「よそ見してんな、よっ」

 別のことを考えていた相澤を、自転車男が思いきり殴りつける。痛い。が、よろけるほどの攻撃ではない。目をつぶって衝撃に耐えた相澤を、自転車男が少し慄きながら見ていた。

「――なんだよ、体幹つえーのな、AUWBくん」

反撃の理由をくれてありがとう・・・・・・・・・・・・・・

 切れた唇の端を指で拭い、その手で自転車男につかみかかる。少し引っ張れば相手の重心はすぐに崩れた。受け身のひとつも取れないらしい。手加減しないと大怪我になる。相澤は相手の襟首をつかみながらやや逡巡する。しかしまあ、自分自身が転ぶとも思っていない人間の相手ほど楽なものはないと思う。相澤は自分の斜め下の地面を見下ろしながら思った。

「えっ」

 相手が戸惑うのを気にも留めず、相澤の右足が自転車男の左足をがばっと払う。そして次の瞬間には、自転車男は地面に下されていた。

 他の三人の間に動揺が走り、スマートフォンのリレーが止む。相澤はそいつらに振り返ると、「次は誰だ?」と言わんばかりに手で連中を挑発した。

「なにしてんだ、お前ら!」

 地面に引き倒された自転車男が叫ぶと、男たちは束になって相澤に襲いかかった。

 ひとりかわし、ふたり躱し、最後につかみかかってきた男を後ろに思いきり投げ飛ばし、他のふたりにぶつける。こうすると大人数相手には早いのだということを、相澤は知っていた。

 地面に転がったスマートフォンが着信音を鳴らす。

 見えた名前は、「佐藤ことり」。相澤はぎょっとして目を見開いた。そして自転車男が、それを見逃さなかった。

「女じゃねーか。ことりちゃん、彼女? かわいいの?」

 鳴り続けるスマートフォンを拾い上げながら、自転車男が下卑た口調で言う。彼の口がことりの名前を発することに吐き気を覚えながら、相澤は相手に詰め寄った。

「関係ないだろ、本当に返してくれ」

 動揺をチャンスと捉えたのか、他三人の男たちが相澤を後ろから押さえつけた。重さに耐え切れず、地面に膝をつく。腕をがっちりと押さえ込まれていて動けない。

「俺、出ちゃおっかなー」

「やめろ!」

 たまらず吠えると、後ろから後頭部を押さえつけられて下を向かされた。まるで自転車男に首を垂れているような図になり、相澤は歯ぎしりする。

「さっきからずっと生意気なんだよ。いい加減謝れ、お前は」

 いい加減にするべきはお前だ。

「謝れ」

 スマートフォンは鳴り続く。もしこの状況をことりに聞かれてしまったら? そんなことは考えたくなかった。相澤も男の子なのだ。

「謝れって」

「謝るのはお前たちのほうだぞ、クズ野郎」

 それはまさしく、相澤の心の声だった。が、相澤の口から出た台詞ではなかった。

「じゃないと俺の得意分野でお仲間が顔に怪我することになるぞ」

 全員が声のするほうに振り返る。

 そこでは、さっきの女が泣きそうな顔で震えていた。彼女の頭の真横からはライフル銃が構えられており、それを躊躇いなく構えているのは、

「火薬は俺の専売特許だぜ。そんくらい知っててもらわなきゃ困る」

「塩崎……さん」

「そもそもなんだ、この状況は。ひとり相手に寄ってたかって。卑怯だと思わねーのか」

 人質を取る男に卑怯さを説かれたくはないだろうが、連中は言い返せない。言い返させないための人質だ。

「言うことを聞いたほうがいい」

 頭を押さえつける手を振り払いながら、相澤はなんとか言葉を発する。

「あの人の銃にはロケット花火が詰まってる。下手すると怪我じゃすまない」

「なんだって!」

「か、カオリ!」

「今助けるからな!」

 慌てふためく連中を、塩崎は銃口を向けて黙らせる。

「うるせーうるせー。揃いも揃って間抜けそうな顔しやがって。誰に頼まれてこのAUWBを呼び出した? 答えろ」

 そこから聞いていたならもっと早く助けに入るタイミングあっただろ。とは思うものの、そもそもこの人に助けられている状況が気に喰わない相澤はげんなりと息を吐き出す。感謝はしている。一応。

「素直に答えたほうがいい」

 もはや対塩崎専門のアドバイザーとなった相澤が、目の前の自転車男にそう促す。

「ロケット花火も怖いが、あの人がライフル片手に暴れ始めたら手が付けられないぞ」

 自転車男の顔は完全に青ざめていたが、強気にもフッと笑みをこぼす。

「お、教えると思うか?」

 塩崎のライフルが向く。

「余計なことばっかり喋る的だな」

「土田って学生だ! 真夜中組の! 後はなにも知らねえ!」

 自転車男が許しを乞うように大声で叫ぶ。

 土田。因縁のある人間の名に、相澤も塩崎は遠目に顔を見合わせた。しかも、真夜中組だと?

「金握らせてやるから、中庭にいるAUWBの注目を集めろって、花火を渡されて――」

「手段が花火なのは、俺のことも誘い出すためかな」

 塩崎がカオリと呼ばれた女を突き飛ばし、解放する。

「もういい。どこにでも行け」

「あ……」

 カオリがよろけながら前につんのめり、そのまま中央校舎のほうへと逃げていく。男どもも慌ててそれを追った。

「学祭期間は出入り禁止……」

 後ろ姿に向かって声をかけるが、当然聞こえるはずもなく。相澤は深いため息をつくと、地面に座り込んだ。間違いなく、今日一番疲れる出来事だった。

「男の子だったな」

 恐らく頑として謝らなかったことを言っているのだろう。塩崎がにやにやしながら近寄ってくるのを腹立たしく見上げながら、相澤は尻を払って立ち上がる。

「まだミリ研に返してなかったんですか、それ」

「後輩はどうした?」

「ここに来る途中ではぐれました」

 ふーん、と興味なさげに返しながら、塩崎は中央校舎の方向を親指で指す。

「早々に戻ったほうがいい」

「――そうみたいですね」

 土田は「AUWBの注目を集めろ」といってさっきの連中を使ったのだ。

 だとすれば、見られたくないなにかが中庭にあるのかもしれない。

「そういえばさっき、ことりから電話来てなかったか?」

 急いで戻ろうとする相澤に、塩崎はふと声をかける。そういえばそうだった。相澤は辺りの地面を見回す。不憫な目に遭いまくった相澤のスマホは、またしても地面に転がっていた。いつのまにか着信音は止んでおり、ことりからの着信履歴だけが残っている。

「佐藤先輩から俺に電話なんて珍しいな」

 その場で折り返すと、塩崎も隣で耳を澄ますのがわかった。鬱陶しい。

 ことりはすぐに出た。「はい、佐藤です」という名乗りに「相澤です」と名乗り返す。

「いきなり電話してごめんね」

「問題ないです。どうかしたんですか?」

「いや、知ってたらいいんだけど……」

 ことりは人ごみの中にいるようだった。静謐な放送室とは違い、がやがやとした人の声が電話越しに聞こえてくる。

「自分のシフトが終わって学祭を見て回ってたらさ、AUWBの看板持った子が、外で急病人の対応してて」

「陽が?」

 驚いて電話を持ち直したタイミングで、塩崎がさっと相澤のスマートフォンを奪う。返せと口に出す前に、スピーカーのボタンを押された上で戻ってきた。仕方なく一緒にことりの話を聞く。

「私もとっさに指示されたから救急車呼んだんだけど、相澤くんは知ってるかなって思って」

「いや――知らなかったです。すぐに向かいます。場所は?」

 詳しい場所を尋ねながら、塩崎とともに現場へと足を向かわせる。

「場所は中庭のちょうど真ん中で、若干中央校舎よりかな……倒れてる子は、塩崎くんのところのカレー屋に寄ってきたところなのかも」

 周辺を確認しているような間が空いたかと思ったら、ことりが不意に塩崎の名を口にした。

「すぐそばに、カレー皿が落ちてる」

 カレー皿と聞いて、塩崎が不意に顔をしかめた。そんなに不安がることはないと相澤は考えていた。

 が、それがいろんな事象の中心に座することを、今はまだ誰も知らない。

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