9 ギャンブラーのプライド

 土田たちが捨て台詞もなく逃走する後ろ姿を見送った後、塩崎はライフルを肩に担ぎながら口を尖らせた。

「あいつら卑怯なんだよな。去年も俺がいないタイミングで店にケチつけてきやがった」

 学生同士の喧嘩に重火器を持ち出してくる男が「卑怯」を語るのはどうかと思うが、なにもできなかった陽は口をつぐむしかない。相澤が仕切り直すように若干声を張った。

「去年も言ったかと思いますが、構内で火薬の使用は禁止ですよ。ちょっとそのライフル見せてください」

「本物じゃあないさ」

 塩崎が口元に弧を描きながらおどけてみせる。相澤の言葉に苛立ちが混ざる。

「あたり前です。あんたの場合、花火とか詰め込んであるから言ってんですよ」

「へへへ、まあ確かに。でも、その点は心配しなくていい」

 素直にライフルを手渡しながら、塩崎がすぐ横の中央校舎を指差した。

「ミリ研が展示してるモデルガンを拝借しただけだよ。エアガンですらない、ただのおもちゃさ」

 相澤はその「おもちゃ」をじっくり観察すると、最後にふぅ、と息を吐き出した。「おもちゃ」ということは、土田たちはロケット花火云々の幻影から逃げていったということだろうか。確かに怖いけれども、なんだか少し間抜けに思える。

「本当にただのおもちゃなんですか?」

 陽が横から問う。相澤は期待外れだったのか、首を横に振りながら答えた。

「ああ。残念ながらな」

「こらこら、残念がるな」

 しょっぴく気満々だった相澤からライフルを受け取り、塩崎はふたりの後ろの屋台に嬉しそうに歩み寄った。

「お疲れ。売れてるかよ?」

 屋台の中の部員たちが口々に応える。

「塩崎さん!」

「去年と同じく好調です」

「でもさっきの騒ぎでお客さんが帰っちゃって……」

「助けてくれてありがとうございます」

 鍋を見続けている学生までもが応えている。塩崎はライフルを杖のように地面につきながら、後輩たちを励ます。

「大丈夫だって。客はすぐに帰ってくる。俺たちのカレーより美味いもんがこの学祭にあるかよ」

「ないです!」

 わっと沸き立つ屋台を、相澤は冷めた目で見つめる。

「相変わらず塩崎さんが来るとうるさい集団だな……」

「なんかアメコミのヒーローみたいですね」

 陽が横から小さく言う。相澤は腕を組んで肩をすくめた。

「他サークルからの借り物で人を殴るアメコミヒーローな」

「それはあとでちゃんと謝っておくって……」

 きっちりと聞こえていたのか、塩崎が苦い顔で振り返る。そこで初めて、陽と塩崎の目が合った。

「あ」

 先ほど会ったばかりで、しかも相手が塩崎だとは知らず。


 ――AUWBの一年がお礼言ってたって伝えてくれませんか


 人が悪いぞ、塩崎さん。陽は改めてどう挨拶をするべきか迷い、困って相澤を見下ろした。事情を知らない相澤が怪訝な顔を返す。

「陽、どうし……」

「新入生か? 大変だろ、AUWBの仕事は」

 相澤の言葉を遮るように、塩崎が陽に微笑みかける。陽はびくりと姿勢を正した。

「あ、はい――野々宮陽です。農学部に籍を置いてます」

「工学部の塩崎蒼介だ。究極サークルの前代表で、今はこうして用心棒みたいなことをやってる」

「用心棒だなんて」

 後ろの屋台から後輩が補足する。

「塩崎さんは終身名誉代表ですから、ずっと俺たちにとっては代表ですよ」

「って嬉しいことを言ってくれる後輩を持つ、幸運な四年生だ。以後よろしく」

 ライフルを持っていないほうの手で、陽に握手を求めてくる。陽はちらりと相澤を見やったが、彼はなにも言わず、ふいと目を逸らしただけだった。別にだめではないらしい。

「あの、お噂はかねがねです……」握手をしながら、陽は伏し目がちに伝える。「主に若葉さんから……」

「弓削か。あいつは麻雀しに行ったか?」

「あ、はい」

 なんで知ってるんだと言いたげな相澤をとりあえず無視し、塩崎は手を離す。とてもクレイジーソルトなんて物騒な二つ名の似合わない、白くて綺麗な手だった。身体からかすかに香ってくるコーヒーの匂いとよく合う。

「相変わらずだな。また俺とも麻雀してくれって伝えといてくれよ」

「塩崎さんじゃ負けますよ」相澤がわざと棘のある言い方をする。「せいぜい俺といい勝負だ」

「言うじゃねぇか。今度一点一円で勝負しようぜ」

「若葉みたいなこと言わないでくださいよ……」

 挑戦的な笑みで絡む塩崎と、そんな彼をわかりやすく煙たがる相澤。しかし少なくとも、相澤からは先ほどまで土田に向けていたような敵意は感じられなかった。本物の敵というわけではないのだろう。ただ、非常に苦手がっているだけで。

「そういえば相澤さ、うちのカレー買いに来てくれたらしいじゃん。嬉しいなー、どういう心境の変化だよ」

「情報が回るのが早い……」

 肩でも組まんとする塩崎をうんざりした顔でかわしつつ、相澤は眉間にしわを寄せながら答えた。限りなく不本意そうな顔つきである。

「陽が食べたがっていたんですよ。人気だからって」

 え、俺!? 驚いて相澤を見下ろすと、彼は目線で「黙ってろ」と合図を送ってきた。陽は隣でしゅんと黙り込む。別にいいが、なぜわざわざ嘘をつくのだろう。

「ほんとかー? 光栄だな。期間中、また買いに来てくれよな」

 塩崎は無邪気に喜びながら陽の頭を撫でくり回した。「おわっ」と陽がびっくりして下を向いた隙に、塩崎がこっそり囁きかけてくる。

「喫茶店のほうでも販売してたんだ。次来たときには頼んでいってくれよ」

 え、そうだったの? 陽が顔を上げたときには、塩崎はぱっと身体を離していた。一歩離れたところでニシシと歯を見せている。隣で相澤がいかにも嫌そうな顔で彼を睨んでいた。

「ってか、なんすかその格好。コスプレですか」

 塩崎のカマーベスト姿を初めて見たのか、相澤が上から下まで眺めて指摘する。塩崎は腰のエプロンをつまみ上げると、いかにも上機嫌そうにくるっと回ってみせた。

「かっこいいだろ。本家のほうで喫茶店やってるからな。カレーをメニューに加えてもらう代わりに手伝ってるんだよ」

 本家というのは『考える会』のことだろうか。塩崎は鼻の下を照れくさそうにこする。

「いい男が給仕してると売り上げが伸びるそうだからな。相澤もそのうち来てくれよ。待ってるから」

「ちゃんと学校に申請した上での出店なら見回りに行きますよ」

「ったく、お堅い男だな」

 まるで若葉と同じようなことをいう塩崎は、実は若葉とはいいカップルになれたかもしれないな、と陽は思う。なぜ断ってしまったのだろう。

「お堅くあるのが仕事なので……ほら、列も戻ってきましたよ。俺たちがここに立ってちゃ邪魔になる」

 相澤が顎でしゃくったほうを見ると、なるほど確かにカレー目当ての列がまたできてきていた。塩崎はまるで子どものように目を輝かせると、すぐさま屋台に振り返って早口に後輩たちへ告げた。

「カレーの状態は万全か? 米はちゃんと炊けてるか? 皿の用意は問題ないか? 足りないなら俺が今すぐ買いに行く」

「万事問題ありません」

「すぐにでも再開可能です」

 後輩たちの頼もしい声が屋台の中から聞こえる。仲がいいチームだな……と感心する陽を、相澤が「行くぞ」と引っ張っていく。

「塩崎さんがいるなら、もう俺たちの仕事はない。見回りを続けよう」

「わ、わかりました」

 ちらちらと屋台を気にしながら、ふたりでその場を後にする。少し離れた場所まで歩いたときに、後ろから「脚立持ってこい、看板拭くから」と塩崎が指示する声が聞こえた。



「ロン。立直リーチ一気通貫イッツー混一色ホンイーソー

 誰かの笑い声が響いたかと思えば、同時に誰かの悲鳴が飛んだ。薄暗い空間に浮かぶシャンデリアがそんなギャンブラー達を公平に見下ろし、妖しく煌めいている。

 バーカウンター内では非常にきわどい服装のバニーガールたちが愛想を振りまきながら働いているが、基本的にお触りは厳禁であり、なにかあれば黒服の男たちに肩を叩かれる。

 ここは学祭期間のみ開かれる裏カジノであり、若葉は陽と別れたあと、この場所で賭け事に耽っていた。

 とある校舎の、とある教室。陽はもちろん、大樹もその詳細については知らない。し、若葉もこんなところで遊んでいるところをふたりに見られたいとは思わない。

 こんな、血がざわざわと騒いでいるところを見られたら恥ずかしいので。

「ツモ。対々和トイトイ小三元しょうさんげん、ドラ三」

 ブラックジャック、ルーレット、ポーカー等々、様々なゲームが並ぶ中で、若葉が入り浸っているのは当然麻雀のゾーンだった。

 四天王杯。彼女が登場したのは、そのためだった。

「ロン。立直リーチ三色同順さんしょくどうじゅん清一色チンイツ

 彼女がやってくるとあって、麻雀ゾーンはその日一番の盛り上がりを見せていた。昨年、彗星の如く現れた一年生女子が、再び戦場に帰還する。その噂は学祭が始まる前から広がっていたのだ。

「ツモ。字一色ツーイーソー

「てめぇ、いい加減にしろよ!」

 今日何度目かわからない若葉の上がりに、対面の学生がいきり立つ。

「さっきからなんなんだよ! イカサマか? 袖の中見せろ!」

 薄暗い中でも顔が真っ赤になっているのがわかる。彼が大声を張り上げたことによって、他の客が振り向き、黒服の男たちが身構えたのが視界の端に映った。変わらずにこやかなのはバニーガールたちばかりである。

つかみかからんばかりの男を前にしても、若葉はまるで動じなかった。ただただ、つまらないなと思う。冷静さを欠いちゃおしまいよ、あんた。

「聞いてんのか! 袖の中見せろって言ってんだ!」

 卓がひっくり返され、牌が床に散らばる。途端に黒服たちが大股で男に近付き、即座に腕を拘束した。

 放せ放せと喚く男を冷めた目で見つめながら、若葉は椅子の背もたれにゆっくりと身体を預けた。

 賭けの場に暴力を持ち込んできたら、終わる前に勝負が決まってしまうではないか。心底退屈そうな視線が周りにバレてしまわないように、若葉は目を閉じた。


「夕方のプロレス大会、誰に賭ける?」

 そんな声が聞こえたのは、ちょうどそのときだった。目を開けると、卓と牌を片付けるスタッフが真っ先に目に入ったが、彼らが喋っているわけではなさそうだった。

「俺は大橋おおはしかな」

「大橋って、去年準優勝の? 決勝でぼこぼこにされてたじゃん」

「絶対調子悪かっただけだって。普段しないようなミス連発してたし、今年は絶対勝てるよ」

 会話の聞こえる方へと視線を向けると、若葉の卓を囲んでいた観客のうちのふたりが小声で話し合っているのが見えた。目の前の試合が終わったので、次の賭けの話をしているのだろう。

「まあでも、大橋ってあんまりいい噂聞かないよな。確か真夜中組まよなかぐみのメンバーじゃなかったっけ」

 真夜中組。その名前には若葉も覚えがあっくた。確か大樹たいじゅに聞いたのだ。「お前がどこで遊ぼうと止めようがないけど、『真夜中組』とだけは絶対に関わるなよ」と。曰く、学内で大きな派閥を持つ、ヤクザな連中らしい。

「今はもう足洗ったって噂もあるぜ」

「マジ? ホントならよく抜けられたな」

「どうだかわかんねぇけどな。でもとにかく、大橋に賭けておけば準決勝くらいまでは固いな」

 そう言いながら、ふたりは麻雀ゾーンから去っていく。その後ろ姿を目で追いながら、若葉は大樹の言葉を反芻する。

「絶対に関わるなよ」と大樹は言っていた。

 でも、遠目に見てみるだけならよくないか? と若葉は思う。別に危なくないし。

 会場内のディーラーが、次のゲームがじきに始まることを告げていた。

 陽くんはプロレス好きかなぁ、と若葉は肘掛けに身を預けながら思案する。ハマれるようなら、誰かに賭けてみるのも悪くなさそうだな、と考えながら、自動卓が次の手牌を用意する様を眺めていた。

「夕方のプロレス大会に賭ける気つもりかい」

 不意に声をかけられ、若葉は顔を上げる。新たに対面に座った男が、卓越しににっこりと微笑んだ。若葉も如才なく微笑み返す。

「たまには牌じゃなくて人にでも賭けようかと」

「やめておいたほうがいい。あの大会は裏で色々と動いててきな臭いから、若葉さんのような子には向いてないよ」

 唐突に己の名を呼ばれたことに驚く。が、不思議なことではなかった。ここで自分の名を知らない者はいないのだ。

 人の良さそうな笑みを浮かべる男だった。学生らしからぬ真白のワイシャツを身にまとい、手際よく手牌を並べ替えていく。

「まあでも、勝つか負けるか二分の一なんでしょう? 麻雀よりよほど簡単なゲームに思えるけどなぁ」

 若葉は挑戦的に笑う。

「それにお兄さん、あたしのことなにも知らないはずでしょ。向いてるとか向いてないとか、初対面で言われてもね」

 わざと棘のある言い方をしたはずだが、男は微笑みを崩さず、対面の若葉を優しげな瞳で見据えただけだった。

 なに、この人。訝しく思う若葉をよそに、親番のプレイヤーが牌を切る。


 結果、男のボロ勝ちだった。ひとりで他三人の点棒をほとんど掻っ攫っていき、会場はどよめきに沸いた。

 信じられない。未だかつてないほどの惨敗を喫した若葉は、震える瞳で対面の男を見つめる。

「卓を囲んだ仲だから、もう知らない仲ではないね」

 男は席を立つと、椅子に掛けてあった外套がいとうを羽織る。コートかと思ったそれは、現代ではなかなか見ない、書生のようなマントだった。

「若葉さんには、きな臭い賭け事は向いてないよ。まだ・・ね」

 男はそう言い残すと、颯爽とその場を立ち去っていった。

 ざわざわとしたどよめきだけが後に残される。

 そのド真ん中で、若葉は震えていた。


 手のひらに食い込む爪が痛い。

 ぎり、という歯噛みは周囲にも聞こえただろう。

「上等だよ、まったく」

 そう言いながら、若葉は己の口角が限界まで吊り上がっていくのを感じていた。

 敗退してしまった四天王杯の卓から立ち、会場内の人々を避けながら部屋の外を目指す。

 こんなに血が騒ぐのは、久しぶりだった。

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