8 参上、クレイジーソルト

 なにやら揉め事が起こっているせいで、店にできている長蛇の列は一向に進まなくなっていた。営業ができる状態ではないのだろう。そこになんらかの妨害が働いていることは、店の前に辿り着く前から相澤に言われてわかっていた。

「だからぁ、責任が取れんのかって訊いてんだろ」

 その男は片手をポケットに突っ込みながら、もう片方の手でカレーの入った皿を『究極サークル』の部員に差し出していた。後ろには後輩と見られるガタイのよい学生が三人ほど控えており、各々が店に向かってメンチを切っている。

「毎年評判がいいっていうからせっかく買ったのに、中から爪楊枝が出てきたんだぜ。異物混入だよ、こんなの。間違って食ってたら大怪我だよ」

「うちの店では調理過程で爪楊枝なんか使わない。俺たちの責任じゃないはずだ」

 対する『究極サークル』部員はまったく動ずることなく、いちゃもんをつけてきた男を睨み返していた。屋台の中にいる他二名の部員たちも鋭い眼光で男たちを睨みつけており、唯一一触即発の空気感に参加していなかったのは火にかけた鍋を見ている部員だけであった。

「うちは衛生面に関して細心の注意を払っているし、鍋から絶対に目を離さない。命より大事な商品にケチがついちゃ困るからな」

「だからぁ、ケチがついていたからこうして言いに来てんだろうがよ」

 男はカレーを後ろにいる後輩に渡すと、ポケットから煙草を取り出した。

「うちの部も食いもんの屋台やってるからさぁ、天下の『究極サークル』様を参考にしようと思ったんだけど。とんだ欠陥品をつかまされちゃったなぁ」

 煙草に火をつけた男を見て、『究極サークル』部員たちがカレー鍋を守るように包囲した。切っている最中だった材料も瞬時に避難させ、男から距離を取る。

「店の前で煙草を吸うな。カレーが汚れる」

「その前に煙草は喫煙所のみで許可されてます」

 相澤が口を挟んだのはそのときだった。両者の間に割って入り、いちゃもん男を真正面から見据える。

「AUWBです。ちょっとお話伺いたい」

「げ、AUWBの相澤」

 どうやら相澤とは知り合いだったらしい。男は露骨に嫌そうな顔をすると、咥えていた煙草を指に挟んで苦い顔をした。

「お久しぶりです、土田さん。相変わらずライバル店に悪質クレームつけるっていう芸のないことしてるんすね」

 相澤がわかりやすく煽り、煙草を顎で指し示す。

「今すぐ消してください。ここは人通りが多い」

「そういうお前は相変わらず取り澄ました顔で取り締まりってか。不気味なんだよ去年も今年も」

 土田と呼ばれた男は地面に煙草を落とすと、足で踏みつけて火を消した。『究極サークル』が相澤の後ろでわあわあ騒ぐ。

「店の前にポイ捨てするな!」

「でもさぁ、実際に爪楊枝が入ってたんだ。こいつらが悪いだろ。衛生面がどうとか色々言ってるけど、どんなもんだかね」

 土田はそんな『究極サークル』の怒鳴り声など、まるで聞こえないかのように悪態をつく。

「そういう店ってのは営業停止になるんだろ? 相澤クンちょっとAUWB権限でがんばってよ」

「AUWBに一店舗を営業停止にする権限はないです。それは大学の仕事だ」

 相澤は冷静に返すと、ちらりと店を一瞥した。

「俺たちにできるのは店をちょっと調べて事実確認をするまでです。爪楊枝が出てこなきゃ終わりですよ」

 相澤が顔だけを陽に向け、親指で『究極サークル』の店内を指した。

「爪楊枝、探しといてくれ。なければそれでいい」

「あ、はい」

 それまで他の来場者たちと同様に事の成り行きを見守っていた陽は、突然割り振られた仕事に動揺しながらも、そろりそろりと屋台の下へと歩み寄っていった。ふと頭上を見上げ、『カレー味のうんこ』と書かれた看板を見上げる。看板を汚す黒い泥。恐らく今揉めている奴らの誰かが投げたのだろう。

「すみません、ちょっと店の中見せていただいてもいいですか」

 陽が恐る恐る店内に向かってそう尋ねると、部員たちはすぐに屋台の中へと招き入れてくれた。とりあえず、目につくところに爪楊枝はない。というか、すんなりと入れてくれたことから察するに、本当に爪楊枝などないのだろう。とはいえ、それを伝えたところでこの男たちにはまるで関係がないんだろうな、と陽は思う。

「AUWBの新入りか」

 先ほど土田と張り合っていた『究極サークル』部員が、形式上爪楊枝を探し回る陽を見下ろしながら、こっそり声をかけてきた。陽はコインケースの乗った台の下から、顔を上げて応える。

「え、あ、そのとおりです」

「なら、あの土田って男を覚えておくといい。中庭の反対側で大したことない豚汁屋をやっているサークルの幹部なんだが、うちのほうが売れているからか毎年のように妨害しに来る」

「えぇー……覚えておきます」

 陽は屋台のカウンターからわずかに顔を出して、相澤と向かい合う土田を盗み見てみた。名前の通り、土気色の不健康そうな顔をした男だった。というか、毎年のようにと言われているが、いったい何年生なのだろう。

 振り返って看板を見上げながら、相澤が冷えた声を発する。

「だいたい、買った商品にケチがついていたからと言って店の看板を汚していいわけじゃないすよね。抑えが効かない子どもじゃないんすから」

 それはまさしくそのとおりだ、と陽も思う。『究極サークル』の部員たちがあまりにも不憫だ。屋台の中では誰もが悔しそうな顔をしている。

「いいのか、そんなこと言って? うちのモンたちが大人しくしてるうちに従っておくのが吉だぜ」

 土田が腕組みしながら相澤を真正面から見下ろす。後ろの後輩たちが「そうだそうだ!」と賛同した。

「土田さんが口の中怪我するところだったんだぞ!」

「なのに黙って泣き寝入りしろってか!」

「なんでAUWBにそんなこと決められないといけねえんだよ!」

 土田への擁護、AUWBへの悪口、その他「のっぺらぼう」「能面男」「一反木綿」等々、相澤への罵詈雑言が一気に飛んでくる。相澤はそれらを無言ですべて受け止めると、最後にふーっと息を吐き出した。

「あんまり騒ぐと、今度はそっちを取り締まらないといけなくなる」

「頑なクンだなぁ、相澤。忠告はしたはずだぜ」

 土田が指をぼきぼきと鳴らす。気が付くと、彼の後ろに三人ほど控えていたはずの後輩が、十人ほどに膨れ上がっていた。人ごみに紛れてこちらを見ていたのだろうか。

「今謝れば許してやるよ。ついでに後ろのカレー鍋もよこせ」

 なんでだよ。恐らく陽も相澤も『究極サークル』も同じことを思ったはずだ。いや、謝る義理は当然のようにないとして、カレー鍋はマジでなんでだよ。陽と話していた『究極サークル』部員が額に青筋を立てた。

「さっきも言ったはずだが、カレーは学祭期間中の『究極サークル』にとって命より大事な商品だ。奪いたいほど気に入ったのはわかるが、御免被る」

「ちげぇよ。また異物が入ってないか俺たちで見といてやるって言ってんだ」

「だから入ってないと言ってるだろう!」

 『究極サークル』部員がいきり立つと、土田の後輩たちがザワリとどよめいた。土田の指令で相澤および屋台に飛びかかる瞬間を、今か今かと待っている。周りの入場者たちが明らかに屋台の前を避け始め、できていたはずの長蛇の列も蛇が逃げていくようにいなくなっていた。周りの屋台の店員たちは間違っても関わり合いになりたくないのか、こちらのほうを見ようともしない。


 土田と屋台の間に立つ相澤は、物も言わずそこに佇んでいた。こちらからは表情が窺えないが、恐らくいつもの無表情で土田を見つめているのだろうことは、土田の表情を見ていればわかった。

「余裕だなぁ、相澤。状況わかってるか? お前が謝れば済む。あとカレー」

 陽は屋台の内側で迷っていた。相澤が危ない。でも自分が出ていったところで果たして助けになるだろうか。応援を呼ぶ? 間に合うわけがない。『究極サークル』は少なからず闘う意思があるようだが、屋台の中には四人しかいない上に、ひとりはずっと鍋を見ている。この人数相手に勝てるわけがない。絶体絶命だ。陽は屋台の中でしゃがみ込みながら、ぎゅっと手を組んだ。


 相澤はポリポリと鼻を掻いたようだった。そして、時間でも尋ねるかのように、土田に問いかけた。

「なんか火薬臭くないすか?」


 後方に立っていた土田の後輩が吹っ飛んだ。そのまま地面に倒れ込み、ぴくりとも動かなくなる。

 え? と戸惑う陽をよそに、別の後輩が「うわっ」と声を上げて地面に転がった。

 屋台の中がにわかに色めき立つ。陽にはなにが起きたのかわからず、突然現れたその人物をよくよく見んとする部員たちに屋台の隅へと押しのけられた。痛い。

「なに? なに? どうしたんですか?」

 屋台の中から外に出て、相澤の隣に立つ。相澤は陽に応えず、じっと土田を見据えていた。正確には、土田の後ろで暴れる人物を。

 黒い長物を片手に持ち、続々立ち向かってくる男たちをちぎっては投げちぎっては投げ――もとい、長物の遠心力で力いっぱい殴り飛ばしている。

 あの長物は……と目を凝らして、陽は絶句した。ライフル銃だ。それも銃口部分を握られ、本来の用途からは大幅に外れた使い方をされている。火薬すら禁止の大学構内で、重火器?(扱いは鈍器)

「くそ!」次々と後輩が倒されていく土田は、ぎっと相澤を睨み据えた。「呼んでたな!」

「マジで呼んでないです」

「うるせぇ!」

 睨まれても相澤はどこ吹く風――むしろ若干不機嫌――だった。それは怒った土田が彼の襟元に手を伸ばしてきても同じだった。

「よく喋る的だな」

 かかとの浮いた相澤を見て泡を食っていた陽の耳に、そんな物騒な台詞が飛び込んできた。相澤でも、ましてや土田でもない。しかし、ついさっき聞いたような気がする声。

「毎年毎年よくやるよなぁ。おかげでお前らみたいな手合いは慣れっこなんだよ、こちとら」

 土田の肩に、ライフル銃の持ち手が乗っている。やばい、本当にライフルだ。見間違いかと思ったのに。陽はさっきとは別の理由で泡を食う。後ろに積み上がった死屍累々たちは、顔に痣を作りながら地面に仰向けになっていた。

 土田の肩に乗っていた持ち手がゆっくりと引っ込み、今度は銃口が土田の頭に突き付けられる。かちゃり、という小さな音が、屋外にもかかわらず、やけに響いた。

 陽は土田の向こうに立つ人物をようやく視認し、息を呑んだ。声を聞いた瞬間に思い浮かべなかったでもないが、あのときの彼とはあまりにも口調が違っていたから。


 細身の長身に、カマーベストと蝶ネクタイ。

 喫茶店にいるような優雅な出で立ちだが、右手で掲げたライフル銃が不似合いに銃口を輝かせている。


――ロケット花火搭載エアガンで他サークルのカチコミに行ったりとかね


 若葉の台詞が脳内で綺麗に再生された。風にはためくカーテンを眺めながら、彼女が涼やかに告げたその名前。

「塩崎……!」

 人呼んで、クレイジーソルト。背後から銃口を突き付けられた土田が、振り返ることもできずに彼の名を苦々しく呼んだ。

「ひとつ、『究極サークル』らしい質問をしよう」

 つい先ほどまで陽と若葉にコーヒーを振る舞っていた店員が、開き切った瞳孔で土田に尋ねた。

「『いつ死ぬか』と『なぜ死ぬか』、お前は知るとしたらどちらがいい?」

 引き金に指がかかる。そのいわゆる究極の質問には答えず、土田は相澤の襟首から恐る恐る手を離すしかなかった。

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