3 若葉さんの語る夢

「弓削若葉、農学部二年。よろしく」

「あ、一年の野々宮陽です……」

 ついさっきも紹介されたはずなのに、とっさに名乗りながら握手に応じる。若葉は満足げに微笑んだ。

「陽くんね。陽くん、第二外国語は?」

「中国語です」

我也是わたしも! 誰先生が担当? 何曜日の何限かはわかるかな」

 矢継ぎ早に質問を繰り出され、陽はあたふたしながら鞄を開き、農学部のシラバスを取り出した。中身に用があるわけではなく、確か第二外国語に関するレジュメ(入学式の翌日のオリエンテーションでもらった)をシラバスに挟んでおいたはずなのだ。

「慌てなくていいからね。履修登録期間までまだ時間はあるんだし」

 若葉はいつの間にか適当な裏紙をテーブルに置き、そこにボールペンで大きな四角形を書き込んでいた。その中を六×五に線で区切り、横に一から六までの数字を書いていく。簡易的な時間割表であることはすぐにわかった。

「まず必修科目から埋めていく。んで、自分の興味のある科目をシラバスから探していく。そんなに難しいことではないよ」

「は、はいっ」

「とはいえ、一年のあいだは必修だらけだね。二年生に上がれば多少自由度が上がるよ。三年で専攻が定まれば、取る授業はおのずと決まってくる」

 その後、第一科目群やら第二科目群、必修英語、後期の体育の授業などの説明を交えながら、若葉は陽の時間割表を少しずつ埋める手伝いをしていった。

「か、完成……ですか?」

 陽は目が回りそうになりながらも必死で彼女の説明についていき、一時間後にはどうにか時間割の形をそれらしくすることができた。若葉が指でオッケーサインを作る。

「おおよそ」

 オッケーサイン出すのに『おおよそ』なんだ……と思ったのは心の中に留めておく。そこは『ばっちり』とか言ってほしかった。

 履修相談に乗ってもらっているあいだに、外はもう日が暮れかかっていた。新入生が誰も来なくて暇だったのか、三年の先輩たちも相澤も、テーブルの反対側で履修決定に勤しんでいる。

「若葉はもう履修決めたのか?」

 そんな中で、相澤がシラバスに視線を落としたまま若葉に尋ねた。若葉は即座に「決めたー」と伸びをしながらにこにこと答える。

「植物学と土壌学に関連するところをメインにね。あたし四年生になったらそこの分野の研究室に入るって決めてるから」

「去年から言ってたもんな。とうもろこしがどうのこうのって」

「とうもろこし?」

 陽は若葉に振り返った。若葉はニヤッと八重歯を見せて笑うと、「聞きたい?」と前置いて話し始めた。

「たとえばさ、どんなに荒れた大地でも、驚くほどよく育つ穀物があれば、どう思う?」

「どうって……良いと思います」

「そう、良い! とても良いんだよ、穀物、例えばとうもろこしなんかがそこに育つっていうのは。どこでもすくすく育つならば、世界の食糧不足問題に一石を投じることができるかもしれない、いやできるんだよ! わかるかな、陽くん」

 わかるかな、というか、小学生でもわかる説明だったと思う。陽はこくりと頷く。若葉はその反応に嬉しそうな顔を見せると、さっきまで握っていたボールペンを再度握りしめると、宙になにかを書き出すように振り上げた。

「自分の研究で、世界に巣食っている問題に切り込む! そういう夢があたしにはあるんだ。研究室に入るのが楽しみだな!」

「ペン振り回すな、危ない」

 目線も上げずに相澤が注意する。若葉は「はーい」と口をすぼめながら、陽の隣で小さくなった。

 陽はというと、ただただ呆気に取られていた。

 ただでさえ光度の高い彼女の瞳が、壮大な夢を語る瞬間にひときわ強く輝いて見えた。それはまるで未来を照らすためのヘッドライトのようにも見えて、陽にはあまりにも眩く、直視できそうもない――一方で、目が離せない。不思議な魅力を持つ、不思議な人。

「ねえ陽くん」

 光の強さに圧倒されていた陽に、若葉が直接そのライトを向けてきた。恐れ慄きながら、「はい」と居住まいを正す。

「陽くんの夢は?」

 唐突な問いに、陽は黙り込んだ。夢、とは。ただ、安定した将来を求めてこの大学に入っただけの自分に。

 陽の沈黙をどう捉えたのか、若葉は明るく笑いかけながら軽く背中を叩いた。どきりと心臓が音を立てる。光で焼け焦げたように、触れられた箇所が熱を持った。

「ま、そんなものは追い追い見つけていけばいいよね。とにかく大学生活楽しんで! サークルにバイトに、部活に恋愛、もちろん勉強も、高校時代とは選択肢が桁違いだからさ」

「は……はい」

 どぎまぎしながらどうにか返答する陽を、なぜか相澤がじっと見つめていた。表情があまり動かない相澤だが、視線だけでなぜか彼が楽しんでいる様子が見て取れる。面白がられている、と陽が気付くのはもっと後になってからだった。

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