2 役満美人・弓削若葉
陽がそのサークル室を訪れたのは翌日のことだった。あれから家に帰り、様々なサークルチラシを見比べながら考えてみた結果、相澤のいる「学内イベント支援サークル AUWB」をまず覗いてみよう、という結論に至ったのだ。将来に向けて少しでも有利な道を選びたかったというが理由としては大きいが、図らずも助けてもらったという恩もある。
「えっと……」
三〇八と素っ気なく書かれた扉の前で立ち止まり、チラシに記載されている部屋番号と見比べる。確かにここだ。ドア枠の上部に「イベント支援サークル」と二段組で書かれたネームプレートも見える。どう略したら「AUWB」になるのだろう。
陽は「三〇八」のやや下部にこんこんと拳をぶつけた。すぐに中から「今出ます」と男の声がして、扉がガチャリと音を立てて開く。顔を覗かせたのは、昨日出会った相澤だった。
「あー……野々宮クンだよな。来たんだ」
相変わらずにこりともしない相澤だったが、一応知っている人が出て来てきたことに安堵する。陽はほっと息を吐き出しながら、今日ここに来た意図を説明する。
「あ、はい。ちょっと見学し――」
が、しかし、それは室内から聞こえてきた女性の声に見事に遮られた。凛とした、美しく響く声だった。
「ツモ。
「お前うっそだろ」
謎めいた呪文のようなセリフの後に、男どもの阿鼻叫喚が部屋中にあふれ返る。そこに混じる高らかな笑い声の持ち主は、こちらに背を向けて座っているため顔が見えない。
「いや、我ながらこの手はすっごくない? 毎日麻雀しててもなかなか出る手じゃなくない?」
「なかなか出ねえだろうな、俺はまずお前の不正を疑うが」
「そうだそうだ、袖の中見せろ! 牌がじゃらじゃら出てくるかも」
「マジでこの勝率は有り得ん……」
「喚いていないで一六〇〇〇点ずつ献上したまえよ、ほら早く」
四人の中でたったひとりの勝者と見える女性が不敵に手を差し出すと、男たちはぐおおおと呻きながら彼女のもとに白いプラスチック製の棒をばらばらと放り投げた。あれが点数棒なのだろう。手元になにも残らなくなった二名がさめざめと泣いている。
「……」
「まあ、入れば」
陽が室内の空気感に慄いていると、相澤がそれとなく入室を促した。いや、「入れば」ではないが。思わず一歩後じさる。
そんな様子の陽を気遣ったのか、相澤は室内に向かって「新入生来たんで」と声を張り上げた。「とりあえず卓しまってくださいよ」
「え、マジ?」
「ほんとに来たんだ」
「ありがたいねえ、ありがたい」
先ほどまで勝負に負けて泣かされていた男たちがガタッと立ち上がり、サークル室の机を占拠していた麻雀卓を片付け始めた。かちゃかちゃと牌同士がぶつかり合う音が小気味いい。そんな中で、こちらに背を向けていた女性が優雅な仕草で振り返った。長いまつ毛に縁どられた瞳と視線がぶつかる。
「へえ、あのクソ適当なチラシでも新入生って来るんだ」
「適当って言うな――適当だけど。誰も作りたがらないから仕方なく俺が作ったんだぞ」
相澤が眉をしかめて苦言を呈す。先ほど室内全体に呼びかけたときには敬語だったのに今は違うことから鑑みるに、この女性は同学年なのだろう。
ぱっと見で「綺麗な人だな」という印象が出てくる人だった。顔は小さいのに目が大きく、化粧っ気がなくても顔立ちがはっきりとしている。勝気な表情がよく似合う口元からは白く濡れた八重歯が覗き、先輩相手でも遠慮のない性格であることがよく窺える。
「新歓シーズンは卓広げるなって言っただろ。――先輩方も自重してくださいね、いくら暇だったからとはいえ」
「あーい」
相澤に叱られた男子学生たちが間延びした返事をする。二年生の相澤が敬語なのだから、三年生以上だろうか。自分が高一のときの高三だと考えると少し緊張してしまう。
先輩たちが最後に緑色の麻雀マットを専用の箱にしまい込むと、サークル室は幾分か落ち着いた雰囲気を取り戻したようだった。八畳ほどの部屋の中央に大きな白いテーブルが鎮座しており、部員たちがそこを取り囲むように座っている。奥の窓からは大学自慢の広い中庭が見えており、新歓活動に勤しむ学生たちの喧騒が聞こえてくる。
「まあ、座れば」
さっきの「入れば」とほぼ同じテンションで相澤が促す。陽は出入り口のすぐ近くに置いてあったパイプ椅子に恐る恐る着座した。上級生の視線がこちらに突き刺さっているのがつらい。特に女子の先輩――目の前に座ってこちらに振り返っている――の視線が怖い。猫のような、虎のような、どちらにせよ肉食動物のような視線だ。うかうかしていると噛みつかれそうで落ち着かない。もう少し瞳の光度を落としていただけないだろうか。
「相澤の知り合い?」
先輩のひとりが相澤に尋ねた。さっき点数がゼロを振り切って泣いていた先輩だ。
「昨日怪しいサークルに絡まれてたんで声かけたんです。野々宮クンって言うらしいす」
相澤が大雑把に説明し、座っている陽を見下ろした。
「学部は?」
「あ、えっと、農学部です」まだ入ると決まったわけでもないのに、なんだか転校生として紹介されているような気分だった。陽は慌てて付け足す。「あの、今日はとりあえず見学のつもりで」
あわあわと逃げ道を確保しようとする様が面白かったのか、先輩たちがけらけらと笑う。
「わかってるよ。そんな急に取って食ったりしないって」
「こういうのはとりあえず世間話から始めて、フィーリングが合えば入部検討すればいいんだよ」
ひとまず話のわかる先輩たちだったようで、陽は胸を撫で下ろす。入部届を書くまで帰さない、などとヤクザまがいのことを言われなくてよかった。
「履修登録はどうするか決めてるの?」
椅子の背もたれに肘をつきながら、女子の先輩が口を開いた。
「履修登録でしくじると留年するから、最初は上級生に相談するといいよ」
「留年……」
高校のころまでは縁遠かった言葉が、大学では急に身近に囁かれる。噂では聞いていたが、陽はなぜか少しばかり脅されたような気持ちになって、視線を下に落とした。
履修登録。数多の授業の中から受講したい授業を選択し、自分で自分の時間割を決定すること。そういえば考えておかなければいけなかった。色んなサークルの新歓用プラカードにも「履修相談可!」と書いてあったのを思い出す。相談しなければいけないほど、新入生にとっては煩雑な作業なのだ。女子の先輩に問われた陽は、俯きながらおずおずと声を出す。
「えっと……まだ全然」
「なら若葉に相談だな」壁際で成り行きを見守っていた相澤が、おもむろにそう言った。「若葉も農学部だ。参考になるだろ」
「よし来た、こっちおいで」
若葉と呼ばれた女子学生が、自分の隣のパイプ椅子の座面を叩いた。勢いに引っ張られて、それまで座っていた席から反射的に離れる。大人しくテーブルに着くと、若葉が手を差しだしてきた。
「
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます