第1話 その4

 時刻は既に午後三時を回っていた。昼食は部室で済ませていた。

 島をぐるっと縁取るように伸びている海沿いの道路を、麗奈と二人で歩く。

 その白いワンピースは日の光を受けて、少し眩しいくらいの存在感を放っていた。まさに海を背景とするに相応しい女の子。その子と並んで歩く。それだけでなんだか、自分まで特別になったような錯覚に陥ってしまいそうだった。

 もう六月に入り、太陽はこれからさらに強く睨みを利かせるようになるだろう。いや、その前に梅雨が来る。そして太陽が、梅雨の間に目立てなかった鬱憤を晴らすかのように、そのあとすぐに夏が来る。

 いつもなら来たる夏に心躍らせる時期だった。

 でも今は、季節が過ぎていく度に焦燥感に苛まれるようになっていた。


 商店街までの道のりを歩きながら、麗奈と二人でただ雑談をしていた。最近こんな小さなことでもなんとなく、幸せだなあと思うことが多くなってきた。年を取ったからだろうか。いやいやまだ中学生だし。理由は別にきっとある。

 私はそれにきっと気付いている。

 そして目をそらしている。

「最近暑くなってきたね。これでまだ六月とか考えたくないよ」

 いつものように、少し掠れていて、でも芯がある、静かに眠りに誘うような声で麗奈は言った。

「地球温暖化だね。わかんないけど」

「とりあえず適当に言っちゃうよね、地球温暖化って」

「まったく、こんな暑い日に地球温暖化の野郎は何やってるんだ」

「適当すぎる」

 軽くチョップを食らう。もちろん痛くない。いつもツッコミのときはこんな感じだ。

「それにしてもどうしてこんなに暑いんだろう。太陽怒ってる?」

「誰だ、太陽様のお怒りに触れた者は…」

 今度は乗ってくれた。お互い、適当だ。そんな適当さが心地よかった。

「我々、愚かな人類かもしれない」

「銀河系を支配する太陽様に目を付けられるなんて、我々人類も捨てたもんじゃないね」

「開き直る方向がおかしい」

 そんな具合でボケたりツッコんだりをお互い繰り返していたら、目的の商店街に着いた。


 一日に二度同じ店に来るなんて、なんだか変な感じだ。

 魚屋のおばちゃんはまだ仕事中だったけど、合間を縫って話をしてくれた。

「いなくなったのはこの三匹で間違いない?」

 おばちゃんにもらった写真をもう一度確認してもらう。正確には、おばちゃんがケータイで撮った写真を、魔法を使って手近なメモ帳に印刷したものだ。こういうときほんとべんりだなー。

「そうねえ、大体いつも決まった子たちがえさ場に来てるから自然と覚えちゃうのよ」

「いつ頃から見なくなったの?」

「いつだったかしら。二週間は経ってないと思うんだけど」

 その他にも、いつも何時くらいにえさ場に集まっていたのか、集まっていた他の猫たちの特徴、鳴き声、どんなエサが好きだったのか、など色々教えてくれた。というかおばちゃんの方から熱心に語ってくれた。

 一通りメモを(一応)とった後おばあちゃんにお礼を言ってその場を去ったけど、正直どの情報がどう役に立つのか見当もつかない。探偵って大変だ。というか探偵さんって本当にいるんだろうか。いやいるか、流石に。

 その後、おばちゃんと同じ商店街にいるから聞いてもあまり意味は無いと思うけど、念のため他の店も回って写真の猫を見てないか尋ねて回った。

「あら水織ちゃんに麗奈ちゃんじゃないの。ちょっと見ない間にまた背伸びたかしら?」

「仕事中ごめんねおばちゃん。この写真の猫最近見かけたか教えてほしいんだけど。あと私、三日前にここに大根買いに来たよ」

「うーん、見てないわねぇ。ごめんね。あ、そうだ飴ちゃんいる?」

 貰った。

「みおりちゃんとれいなちゃんじゃねえか!元気にしてるか?猫かい。よく見るがあまり柄とか覚えてねえんだわ。すまねえな。お、そうだきゃんでーがあるぜ、持って行きな」

 貰った。

「猫ねえ。確かに最近この子達見ないわね。へー、今度は猫探しやってるのね。役に立てなくてごめんなさいね。お詫びに飴あげるね。頑張ってね!」

 貰った。

「見てないわ、ごめんなさいね。よかったら飴ちゃん…」

「いや、飴はもう流石に」


 貰った。


「結局良さげな情報は手に入らなかったね。まあ、まだ商店街の人にしか聞いてないけど」

「そうだね。でも最近あの猫たちがいなくなったのは本当みたいだね」

 一通り聞き込みが終わった後、私たちは駄菓子屋の前のベンチで飴を舐めながら休憩していた。もちろん貰ったやつ。

「今四時半か、これからどうしよう」

「もう少し町の人に聞いてみてから、今日のところは帰ろうか」

「数日かけての捜索、探偵っぽい…!」

「猫が心配ではあるけどね」

 日は傾いてきているが空にはまだ赤みがかった部分は無い。しかし色には出ないが今にも崩れてしまいそうな、まるであと一滴でも別の色を垂らしたら途端に色が変ってしまう色水のような危うさを孕んだ青が、私たちを見下ろしていた。きっとあの太陽があの空に落ちたら、一瞬でこの青は真っ赤に敗北してしまうだろう。

 二人でそんな空を眺めながら話していると、ふと気が付いたように麗奈が言った。

「そういえば十日くらい前に一回大雨が降ったよね」

「そうだね、十日前。…え?もしかして」

 考えたくもないような情景がいくつも浮かんだ。いや、まさかそこまでのことは。

「うん。猫さんたちがいなくなったのって…」

 それが原因、とは口に出さなかった。流石にそんなことは想像したくない。でも、少しでもこの出来事と関係している可能性は十分にある。

「行こうか」

「うん」

 さっきよりも少しだけ早足で、私たちは歩き始めた。


 もしこの件に関わらなければ、こんなに胸の締め付けられるような思いはしなくて済んだのだろうか。

 いや、この件に関わったからこそ、助けられる命があるかもしれない。

 今はそう自分に言い聞かせていた。

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