第5話 フィリア派

「フィリア様、ごぎげんよう」

「ごきげんよう」


 フィリアと呼ばれた女生徒は、一般生徒の呼びかけに対し笑いかけて応じた。それだけで、周囲で見ていた何人かの生徒は足元がおぼつかなくなる。何ら魔力を使ってはいないが、魔法に数えても良いのでは……などと冗談交じりに語られるほどにその少女の持つ雰囲気は異次元に達していた。


 もっとも、魅力は彼女の持つ数多ある力のひとつでしかない。なぜなら彼女は全てを持っている。このフィリア六年生こそは、このティツィーリア女学院の、当代の生徒会長である。全てを持っていなくてはこの地位につくことはできない。


「ああ……フィリア様。なんという美しさなの。もっとお近づきになりたい……せめて、あと二年早く入学できていれば」

「何を言うの。あの方のお近くにいるには……ユレィヌ様くらいの成績が必要になるのよ。途方もないことだわ」

「こうして遠くからお慕い申し上げるのが関の山よ……」

「嗚呼……せめてあの長い御髪おぐしの一本でいいからこの手に」


 フィリアが通り過ぎた廊下には、こうした話題がつきものである。それらを彼女が一顧だにすることはなく、凛と颯爽とその場を通り抜けるからこそ益々声が上がるのであった。


 無論、意図しての仕草である。「全てを持っている」ためには立ち居振る舞いのひとつにも気を抜いてはならない。


 だから第一新校舎の三階、中央部の空中庭園を抜けた先にある生徒会室に入るまでは、決して口にしてはいけないのである。


「――何よ、『長い御髪の一本でいいから』って」


 などとは。


 バタン、と扉を閉めると同時に出た発言がそれであった。


「この学校、私が入学してから年々、風紀が乱れていっていないかしら……。校内での不純な交遊も増えているようだし。バレていないとでも思っているのかしら。『風紀委員』にはよくよく言っておくように」

「御意に」


 近場にいた生徒に命じると、その生徒は恭しく頭を下げて生徒会長の指示に応じた。しかしこの生徒も、本人の見ていないところでは、こっそりフィリアの背から落ちた髪を拾ったりしているのである。世も末である。


「はぁ……。まったく、雑事に気を煩わせないようにしてほしいものだわ」


 ため息をつき、部屋の最奥に位置する生徒会長の椅子に腰かける。なおこの吐息も回収に成功すれば校内闇ルートでの高額取引が可能である。フィリアはこの売買ルートを過去に三度摘発、厳罰に処してきたが、なおも壊滅していないようである。


 美しさは罪、とはよくいったものであるが、彼女の場合は美しさが罪を誘発していた。これについては取り締まりも限度があるものと考え、少々の恥ずかしさはあるものの、唇を噛んで耐えるしかないとの結論に至っていた。これもまた、フィリアの魅力と威光がゆえのもの。自らの強みの裏返しであるからだ。


「ユレィヌ……ユレィヌはいる?」


 そうしてフィリアは、今日の本題に入るべく、自派閥の幹部の一人である少女の名を呼んだ。

 しずしずと、学院生の模範的な歩みにて、指名されたユレィヌという女生徒が現れる。まだ二年生とは思えぬ振る舞いである。後ろには、やや緊張した面持ちの三つ編みの少女を付き従えていた。


「はい、会長」

「あら? その子は……」

「この度、私の妹となりました。エリィといいます。もっと早くご紹介すべきだったのですが」

「へえ! この子があの」


 フィリアの顔が一段階明るくなった。ティツィーリア女学院の生徒にとって、親しい生徒に姉妹ができたというのは基本的に吉報である。


「有望な一年生というから噂の『ゴーレム』でも連れてくるのかと思っていたけど。貴女が選ぶくらいだからそれは有能なのでしょうね」


 しかしすぐに、いたずらに目を細めつつ、フィリアは意図的にエリィの地雷を踏みぬいた。ピクリ、とエリィの肩が震える。メリアと比較されることは、言うまでもなくエリィにとっては好ましくない。


 フィリアは目の前の一年生を試していた。この幼い少女が、自己の派閥の構成員たる頭脳、礼儀、判断力を持つかどうか。


「……私では」


 すると、エリィが口を開いた。ユレィヌが一瞬、妹を止めるか迷う。しかし間に合わなかった。エリィはやや早口気味に言い切った。


「私ではご不満でしょうか?」


 その瞳には、彼女の行使する魔法のごとく、凝縮された苛烈な炎が宿っていた。


 結論からいえば、エリィはフィリアの求める頭脳、礼儀、判断力を持ち合わせていなかった。エリィの精神年齢はほぼ年相応であり、まったく冷静ではなく、加えてこの場を頭の回転で乗り切れるほどの能力もなかった。馬鹿正直な言葉を返してきただけだ。


 だがそれを補って余りある意思の強さと胆力、何よりも迫力というものをエリィは持っていた。覇気と言い換えてもいい。それはこの先の派閥闘争を生き残るのに必要なもののひとつだ。


「――失礼。不満だなんてとんでもないわ。ユレィヌ、いい妹を見つけたわね」

「は、はい。ありがとうございます」


 フィリアはユレィヌに対して微笑み、ユレィヌは頭を下げた。これで事実上、エリィはこの生徒会……イコール、学内最強の派閥であるフィリア派の勢力に加わることができた。


「では、本題に入りましょうか。ユレィヌ、教師側から授業計画は来ているわね?」

「はい」

「最近はぬるい考えの教師が増えてきたようだから、叩き直してやるわ。修正案を一緒に作成しましょう。その後の交渉は貴女に一任するわ」

「承知しました」


 こうして今日も生徒会は、多忙な実務に入っていった。その権限は教師陣とほぼ同等であり、それぞれに守備範囲はあるものの議題によっては理事長以上の権限を行使する場合もある。


 多数の少女たちの憧れであり、野心的な女生徒たちにとっては明確な目標でもある生徒会長は、決して「あがり」ではない。そこには実務があり、卒業するまで政治を行わねばならない。


 なぜなら彼女らの視線は「生徒会長」の先にある「女王」の座を見据えているからだ。フィリアはもちろん、後の生徒会長の座を虎視眈々と狙うユレィヌも、そして、エリィも。


 この国の君主である「女王」は世襲ではない。ティツィーリア女学院の生徒会長経験者の中から、過酷な闘争を経て選ばれる。この巨大な箱庭は女王を育てるための訓練場であり、試験場であるのだ。


 ◆


「……それで、ユレィヌ。貴女の真意を聞かせてちょうだい」

「真意、とは?」

「姉妹の件よ」


 ひととおりの生徒会業務を終えた後。大半の構成員はすでに寮に帰り、いま生徒会室に残っているのは派閥の中核メンバーのみである。


「二年生筆頭の貴女の下に誰をつけるか、というのは派閥全体の問題でもあるの。『姉妹』は学院の制度の中でも特に神聖不可侵……普通、他人が口出しするものではないけれど」

「……はい」

「さっきの子がいい目をしていたのは認めるわ。でも一年生から派閥に迎え入れるなら、まずメリアを選ぶのが定石だったはずよ」


 フィリア派は、現在の学内の三大派閥の中でも現実主義、合理主義に重きをおく派閥である。有能な下級生を確保すべく常に情報収集し、勧誘を怠らないのはどの派閥もそうだが、中でもフィリア派は格別に成績面を重視している。


「そうですね。各種の成績……カタログスペックならばメリアは抜けていました」

「なら、どうして」

「利害と……相性ですかね」


 ユレィヌは落ち着いて、エリィ本人にした説明を繰り返した。


「メリアは集団行動に適した人材ではないですし、勧誘されたからといって派閥に属する人間ではありません」

「嘘よ。貴女ならばあの人材を使いこなせるし、それに口八丁でどうとでも勧誘できたはずだわ」

「買い被りです」


 フィリアは椅子の背もたれに体を預けつつ、相手の心理を探るようにユレィヌの目を見た。ユレィヌは緊張の面持ちでそれを受ける。

 やがて、フィリアは再び口を開いた。


「まあ、いいわ。今それを論じても後の祭りだし。ただ――」

「ただ?」

「勝算はあるの? オルフ派に」


 オルフ。その名が出たことに、生徒会室内にわずかな緊張が走った。オルフは、現政権のフィリア派の候補を差し置いて、次期生徒会長となる公算が高いと言われている生徒だ。


「奴ら、メリアを持っていくかもしれないわよ」

「そこは計算に入れています」

「……へえ」


 フィリアが頬杖をつく。ユレィヌはすでに落ち着きを取り戻していた。

 二人は目を合わせた。ふう、とフィリアが息をつく。


「ねえ、やっぱり教えてよ」

「何をです」

「そこまでしてエリィって子に入れ込む理由よ」


 ユレィヌはその質問にくすり、と笑った。


「……ふふ。だってあの子を見てると、元気を貰えるじゃないですか」

「元気って……貴女にしては随分ふわふわした事を言うのね」

「いえいえ。元気は大事、ですよ……とてもね。私は……あの子の元気なところが、大好きなんです」


 ユレィヌの細められた瞳は黒々とした深淵で、どこまで本気かわからない。

 この子の心は読み切れない、とフィリアは思った。

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