第4話 メリアとエリィ 3

「……ちょっとちょっと!」


 いきなり肉弾戦に持ち込んだエリィに対し、女性教師が声を張った。


「見せてほしかったのは魔法の見本よ!? もう十分、終わり終わり!」


 が、この程度で止まるようならエリィではない。ドロップキックから着地しつつ、彼女は教師に向けて怒鳴り返した。


「ヌルいこと言ってんじゃないわよ! 棒立ちしたまま魔法の打ち合いだけで終わる実戦があるワケないでしょ!?」


 常在戦場。炎のように生きているこの少女にとって、すべての実技は決闘である。

 エリィが人差し指を立てると、再び炎の鞭が彼女の背後から発生する。

 メリアもそれに呼応するように手を掲げる。彼女の場合、相手が決闘のつもりでくるならばそれに応える。


 ――ずぁっ。


 湧きあがった光の粒子が波をうってエリィを飲み込んだ。炎の鞭がすべて消えている。

 その隙に、エリィはメリアの真横にまで接近していた。パンチの予備動作で右腕を引く。その腕には、這うように一本の炎が復活し巻き付いていた。


「適当な対処しやがって……全部読めるのよ!」


 エリィが拳を前に突き出した。同時、ひとすじの炎が右腕の軌道に沿って放たれた。最高速度の炎のレーザービームから、メリアはすんでのところで身体を真横にスライドして逃れる。


「……!?」


 相手の不可思議な動きに、エリィが目を見張る。答えは足元にあった。メリアの真下から発生した光の奔流が、彼女の身体を強制的に運んでいた。


「相変わらず応用がズルいわね、そのクソ魔術」

「……ずるくない」


 エリィが悪態をつくと、メリアはぷう、と頬を膨らませた。まだまだ余裕である。エリィはぎりりと奥歯を噛みしめ、次の手を一秒以内に考える。


 すでに二人は密着距離。手を伸ばせば届く間合い。ならば逃げられないように腕を掴み、炎を消される前に焼き尽くす。エリィは手を伸ばそうとした。グッ、と、その手を引かれる感覚があった。目を見開く。既にメリアに、右の袖を掴まれている。


「――!!」

「つかまえた」


 メリアの細腕がエリィの袖を引くと、抵抗むなしくエリィのたいが崩れた。純粋な腕力でエリィはこの天才にかなわない。続けてメリアはエリィの右足を払う。魔法なしの体術でもメリアが上である。綺麗に投げが決まり、エリィは背中から白砂の地面に落とされた。


「……がはっ……! クッ……ソ……!」

「しゃべってると舌をかむよ」


 メリアの忠告。エリィの背筋にぞくりと悪寒が走った。この正直者の天才児は、相手を本気で心配する時に限り忠告をする。


 メリアは仰向けのエリィの腹部に馬乗りになり、右腕を振り上げた。膨大な光の粒子が集まり、棒状の形をなした。彼女はここからこの魔力を、刺殺にも撲殺にも使うことができる。他のすべての魔法を打ち消しながら。

 エリィはここから逃れる方法を、彼女なりの優秀な頭脳で模索した。だがもはや何もかもが詰んでいた。


「やっ……て……みなさいよ……!」

「…………」


 エリィの苦し紛れの一言も、メリアのガラス玉のような血の気のない瞳を動かすことはない。メリアは右腕に力を籠めた。周囲の光の粒子がざわざわとうごめいた。それと同時だった。彼女の細い右腕に、黒く重い鎖が巻き付いて動きを制止したのは。


「――そこまで!」


 女性教師の声が響いた。この鎖は、巻き付いた相手の魔力を吸収し、あらゆる魔法の効力を停止に追い込む効果のあるものである。


「授業で死人でも出すつもり!? 『課外活動』は放課後にって、いつも言ってるでしょう!?」

「……すみません」


 教師のしごくまっとうな注意に、天才児はいつもの無表情に戻ってエリィを馬乗りから解放した。遅れて、仰向けになっていたエリィが舌打ちとともにゆっくりと立ち上がる。


「エリィさんは!? 返事!」

「……悪かったわよ」

「まったく……成績だけは優秀だから委員長を任せてるものの……この調子だといつか解任もありますからね」

「好きにしていい」


 エリィは虚ろな目で答え、とぼとぼと他の生徒たちのもとへ戻った。

 それをメリアは、表情を変えずに見送る。

 一度、負けたエリィに肩を貸そうとしたこともあるが、物凄い眼力で睨まれた上で理不尽なほど怒られたので、勝負の後は彼女に声をかけないと決めている。


 たぶん、今日はエリィに関わらないほうがいいだろう。

 メリアとしては、実は最も彼女にお礼を言いたいタイミングが今なのだが、そこは我慢である。


 ◆


 第二旧校舎の校舎裏は、この広大な女学院で最も人が寄り付かないスポットである。入学して一か月ほどで、エリィはここを発見した。


 他の校舎や中庭、屋上など中途半端に地味な場所は「課外活動」の舞台となりやすく、何らかの裏取引や抗争、場合によっては恋人同士の逢瀬などにも使われるため、ゆっくりと落ち込むことができない。やはり第二旧校舎裏が最適である。


 というわけで、エリィは古びた校舎の外壁に背を預け、何も考えずにただただ落ち込んでいた。日頃常に彼女を支配している情熱も焦燥感も苛立ちも怒りも、この時ばかりは鳴りを潜めている。ひたすらに己の惨めさを噛み締める。


 そう。エリィは惨めな存在である。曲がりなりにも学年二位の秀才である彼女自身が、その事実に気づいていない筈がない。


 勝てもしない天才を相手に、毎日のように啖呵を切り、偉そうに振る舞う。喧嘩を売り、そのたびに転がされる。滑稽ですらある。周囲の生徒たちがエリィのことをどう思っているか、聞くのも恐ろしいほどであった。


「……なんで、」


 その言葉に続きはない。考えもしないし、口に出すこともない。

 膝を抱え、額を埋める。誰もその「なんで」に答えてはくれない。


「――なんで、って?」


 だがこの日だけ、彼女の問いに問いを被せる声があった。聞き覚えのある声だった。まさかと思って顔を上げる。見知った先輩……いや、今やそれ以上の存在である女生徒の姿がそこにあった。


「え?」

「やっと、見つけた」

「ユレィヌ先――じゃない、お姉様」

「ふふ」


 薄く笑ったユレィヌは一歩、二歩とエリィに近づき、己が妹の目線と合わせるように隣にしゃがみ込んだ。


「どうして、ここが」

「……言ったでしょう。あなたの授業、よく見ていると」


 そう言われ、エリィは息が止まる思いがした。あれを見られたのだ。自分を認めてくれた姉に。「ぶっ殺す」とまで宣言した相手に無様に転がされる様を。

 だがユレィヌは気にせず続けた。


「それでね。『実習』のあった日は……必ず、あなたが失踪するって耳にしたの。教室にはいないし、寮にも戻ってない。私たち派閥のところにも来てないしね」

「…………」

「それで、探してみることにしたの。人目につかないところを、しらみつぶしに」

「なんで、そんなこと」

「決まってるじゃない」


 ユレィヌはエリィの頭を掴んで引き寄せ、己の胸元に抱きとめた。


「ちょ、ちょっと、お姉さ――」

「そう、姉だからよ」


 エリィは姉の腕の中でもがいた。目尻の涙を悟られるのが嫌だった。しかしユレィヌは離さなかった。


「厳密には、姉になると決めたくらい、貴女を評価しているから」

「え」

「やっぱり貴女は素晴らしいわ。あれほどの才能を前に怯まない胆力。諦めない根性。貴女はいつでも燃えてるし、輝いてる。そこらの凡庸な生徒には出来ないことなのよ。挑んでいるだけで、貴女は他を圧倒的に凌駕して――」

「待って、待ってお姉様」


 ユレィヌは美辞麗句を並べ立て始めた。途端にエリィは赤面した。もはやメリアを前に罵詈雑言を吐いていた少女と同一人物にすら見えない。

 しかし無理もない。入学以来、ここまで褒められるのは初めてだった。ましてユレィヌの妖艶な魅力が、妙にうわついた気持ちに拍車をかける。我慢ができなかった。


「――なあに?」

「それ以上、褒めないで」

「どうして」

「私がこれでいい、なんてこと、あるはずがないんです。ここで満足するわけにはいかないんです。なのにそんなに認められたら、私は、いや、あたしは、おかしくなって――」

「おかしくなりなさい」


 ユレィヌは言い切った。

 エリィは顔を上げた。姉の顔は慈母の微笑みから、真剣な表情へと変わっていた。


「それが貴女に足りないものよ。いずれにせよ、その張り詰めた心で挑み続ければ、遠からず貴女は狂ってしまう」

「えっ」

「認められなさい。そして自分を認めなさい。事実として、貴女の心意気は美しい」

「そんな、でも、急に」

「急には無理でしょうね。だから、貴女ができるようになるまで、私が何度でも認め続けてあげる。安心してメリアに挑み続けなさい。私が、貴女の存在を保証する」

「うっ、うう」


 エリィは涙をこらえようとした。だが無理だった。入学してから今に至るまで、強いて己を励起し続けてきた十三歳の少女の心は、すでに限界を迎えていた。


「うっ、わ、あああ」

「いいのよ。壊れなさい。一度決壊なさい。そのほうが案外、精神を維持できるものよ」


 エリィは本当に久しぶりに、顔が濡れるほどの涙を流した。そんな妹を、ユレィヌは陽が落ちるまで抱きしめたまま頭を撫で続けた。


 ◆


「…………エリィ?」


 二十メートルほど離れた位置で、メリアはその光景を見た。一人になれる場所を探しているところだった。


 一人になろうなどと考えたのは初めてだった。一度、エリィとの関係についてゆっくりと考える時間が必要だと思った。彼女自身、友人ともライバルとも呼び難いその存在をどう扱っていいかわからなかった。


 極論、人生というものは何をしようと究極的には無意味である。その考えに変わりはない。だが死ぬまでに感情の起伏は発生せざるを得ない。これはそのうちの一つである。


 心がざわめいた。なぜかは分からなかった。エリィを抱きしめているのは誰だろう。どうしようもなくそれが気になった。メリアの前では絶対に見せない泣き顔を、その胸で受け止めているあの女生徒は何者だろう。


 考えるだけ無駄だ。答えは自分には知りようがない。そう思っても、波立った心が収まってくれない。


 メリアは無言でその場を立ち去った。他にできることはなかった。

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