第3話 メリアとエリィ 2
「二
位!!!!?」
入学してすぐの頃。乙女たちが足音すら立てぬ神聖な学び舎に、馬鹿げた声量の絶叫が響いた。
ティツィーリア女学院においては、座学・実技を問わずほぼあらゆるテストの結果が廊下に貼り出される。実力主義、切磋琢磨を旨とする強靭な理念に基づいた教育方針である。
今ここに貼られているのは、入学したばかりの一年生を対象とした実力テストの点数と順位。
叫び声の主にとって何がそれほどまでにショックだったのかは、その内容を聞けば瞭然であろう。二位。あり得べからざる結果であった。
「座学すら殺意で解く」を信条とするこの少女は、今まで一位以外の成績を取ったことがなかった。そして人に勝つことがこの世の何よりも好き、だから努力するのも好き、という歪んだ嗜好を十三歳にして形成してしまっていた。
その少女の名を、エリィという。
エリィは即座に、自らの名前のすぐ上に記載されている内容を確認した。そこに記された文字列を網膜に焼き付ける。己に屈辱を刻み付けた女の名前を。
――メリア。
なんということだ。確か同じクラスにそんな名の少女がいたはずだ。名簿に名前があったのは覚えている。
憤慨しながら教室に戻り、席順を再確認する。まだクラスメイト達の顔と名前も一致していない時期だ。メリアというのはどこに座っているのだろうか? 次こそは勝つ、と、宣戦布告のひとつでもしてやらねば気持ちがおさまりそうになかった。
のだが。
「…………えっ」
確認して、唖然とした。首を真横に向ける。
メリアはエリィの右隣の席だった。つまり、常に真横に存在していたことになる。
なのに意識したことがないほど、物静かを通り越して無音で、彼女はただそこに座っていた。
一瞬、その姿に目を奪われてしまう。あらためて存在を意識すると、そこには替えの利かない美があった。
全身がか細く、髪から肌、瞳に至るまで色素が薄い少女だった。実は透明なのだと言われても信じてしまいそうだった。
エリィはすぐに我にかえった。それから、憎むべき敵に見とれてしまった自分に無性に腹が立った。目の前の繊細な氷像のような少女を、即座に魔法で焼き払ってしまいたいほどだった。
「……あんた」
「…………ん」
我慢ができず、エリィはメリアとおぼしき生徒に声をかけた。透明な少女は、蚊の鳴くような音量でわずかな反応をした。
「こないだのテスト、一位……おめでとう」
「え」
メリアは少しおどろいたように、こちらを向いた。そしてこう続けた。
「そうなんだ」
どうやら初めて順位を知ったようだ。知ったところで特に興味もなさそうであるが……そんな我関せずといった態度が、ますますエリィを苛立たせた。だが事態はそこで終わらなかった。
「余裕って感じの態度ね……言っとくけど、次に一位とるのはあたしだから。その次も、そのまた次も、ずーっと。せいぜい短い天下に酔いしれておくことね!」
息を荒げながら啖呵をきったエリィに、メリアはこう返したのである。
「うん」
「は?」
人形のように、微動だにせず、彼女は言った。
「とって。一位」
「はあ?」
そして、メリアはもはや言うことはないとばかりに前を向き、会話はそこで終わった。
「……な、なによそれ」
一連の会話には意思というものが感じられず、この少女には存在感とか覇気といったものがまるでなかった。
この人物に自分が負けたというのがエリィにはどうしても実感できず、それが不気味ですらあった。
「ふ、ふふん。まあいいわ。次に負かせば、それで終わりよ」
エリィはそうやって無理矢理自分を納得させ、自分の席に座りなおした。
次だ。次に勝てばいいのだ。
そうすれば、すべては解決する。メリアというのがどれだけ不気味で得体の知れない生徒であっても、「自分より劣っている」その一点さえ保障されていれば、エリィには十分であった。
しかし。
いくら待っても、その「次」は来なかった。
まともに授業を聞いている様子もないのに、メリアは座学の試験で一位を取り続けた。
いや、それだけならまだいい。問題はそれ以外の種目だ。
筋力、瞬発力の測定。魔力量の測定。魔術の実技訓練。さらにはスタミナを測る持久走から身のこなしを見るための障害物走に至るまで……エリィはただの一つもメリアに勝つことができなかった。
ぜいぜいと息を切らし、限界を超えて走るエリィの前を、メリアは涼しい顔で最初から最後までリードしたまま走る。
一事が万事、そんな結果であった。そしてメリアはそのすべての結果に頓着しなかった。どれほどエリィが罵倒してもそれは変わらなかった。
ある時。エリィはメリアの胸倉をつかんでこう言った。
「……なんでよ! 自慢しなさいよ! 誇りなさいよ!」
「…………え」
メリアは、いつものように蚊の鳴くような声量で返事するだけだった。ガラス玉のような瞳には、何の感情も映ってはいなかった。
興味のないものに、どうやって興味を持てばいいのか? とでも言いたげだった。エリィは価値観の違いにぞっとした。
「……っ、もういい」
怒りをぶつけるのもばかばかしくなって、エリィはメリアの胸元を掴んだ手を離した。
「あれっ」
するとメリアは、珍しく疑問を口にした。
「今日は言わないの? あれ」
「……あれって、何よ」
「『次はあたしが……』って、やつ」
「は?」
「あれ言われるの、好き」
そしてメリアは。あのメリアが。
顔をほころばせたのだ。
「…………えっ」
今度はエリィが、蚊の鳴くような声で返事するしかなかった。
ますますもって、このメリアという女がわからない。
「意味わかんない……。あんた、何かの変態なの?」
「そうかもしれない」
メリアは頬を触って自分の顔が笑っているのを確かめながら、平然とそう言ってのけた。
「まあいいわ。そんなに言ってほしいなら、言うわよ。次はあたしが一番だから。それどころか……」
「?」
「いつか実習で、ぶっ殺してやるわよ。あんた。どうせなら派手にね」
エリィは強いて笑顔を作り、憎き敵にそう言い渡した。
メリアは薄く笑って、その殺意を受け止めた。
◆
その「いつか」を、今日にする。
場所は第一実技グラウンド。一年生たちの見守る中、ただの授業の実習にて。
「死ね!!」
エリィが叫んだ。メリアが無言で微笑んだ。
最上級の暴言を受けても、メリアはその笑みを崩すことはなかった。彼女は制服姿で突っ立ったまま微動だにしない。
ティツィーリア女学院においては、あらゆる授業は指定の制服を着用の上で行われる。魔法や体術の授業においても例外はない。
有事の際、着替える時間など敵は与えてくれない。そういった理念に基づく規則である。
エリィの指先から威圧的な炎があがる。さらには彼女の足元から幾本もの炎の奔流が噴き出し、それらは螺旋の形を描いて上空へ立ち上った。風圧が模範的な丈のスカートを強く揺らすが、よく訓練された魔術師は当然その程度で振る舞いを乱したりはしない。
「……チッ。少しはビビんなさいよ」
前回の授業から、炎の総量は明らかに一段階増えたはずである。魔力を増やすための地道なトレーニングの成果だ。魔力は筋力のように、限界までの酷使と休養を繰り返すことである程度増やすことができる。
だがその程度ではメリアを驚かすには足りない。対面から熱風を吹き付けられながらも、彼女は笑顔を崩さず平然としている。
まあいい。エリィは舌打ちとともに攻撃の魔術を発動させた。
「――行け!!」
天高く掲げた手を、相手に向けて下ろす。地面から上へ噴き上がっていたただの炎が幾重にも編み上がり、細い鞭の形をとってメリアに襲いかかる。
その数、十二本。それぞれに速度も、角度も絶妙にずらされており、目標到達までの軌道は蛇行しており読み切れるものではない。すべてを回避することは人の形をしている以上は不可能な、多段階の多角的攻撃。
ここまで対処困難な攻撃を一年生にして編み出したのは、間違いなく優等生・エリィの、対人戦の研究のたまものである。標的の意識を散らし、一本が命中すれば崩れた相手に残りの全弾命中も狙うことができる。上級生でもこの魔法に対して無傷でいられる者は限られるはずだ。エリィが短い舌をなめずる。メリアが片手を前に出した。
――ずぁっ。
メリアがその手を真横に薙ぐ。
唐突に出現した膨大な数の光の粒が、波をうって炎の鞭に襲い掛かり、そのすべてを一瞬にしてかき消した。
その間も、天才児は眉のひとつも動かしていない。無慈悲なまでの力の差。メリアにとってはロウソクの火を吹き消すよりも簡単なことであった。メリアは前を見据えた。エリィの表情が気になった。呆然とするか、唇を噛んで悔しがるか、烈火のごとく怒り狂うか。果たして答えは。
そのどれでもなかった。エリィの姿が対面から消えていた。
「毎度毎度……」
声がした。右斜め前。かなり接近している。炎の鞭は、ただの目くらましだったのだ。
「大雑把すぎるのよ! このクソゴーレムが!!」
エリィの足元で爆炎がはじけた。加速した少女の全力のドロップキックを、メリアはかろうじてガードした。
火花をまとって飛び込んできた少女の表情は、得意げな笑みだった。
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