第2話 メリアとエリィ

 入学からほどなくして、彼女のあだ名は「ゴーレム」で定着していた。


 色素の薄い肌と髪、人形のようにほとんど感情を映さぬ瞳、滅多に言葉を紡ぐことのない小さな口。

 そういった被造物のような無機質さが原因だろうと本人は解釈していたが、それに対して思うところも特になかった。


 少女の本当の名はメリアという。


 女学院始まって以来と言われる天才児は、そう評価されていることにも別段興味を持っていなかった。己の持つ力の大きさも、名誉も、周囲から注がれる嫉妬も羨望も尊敬も、彼女の心を動かすことはできなかった。


 なぜなら突き詰めれば人生というのは究極的には無意味であり、自分のあらゆる行動は意味を持つことはない。若干十三歳にしてその事実を静かに受け止めている程度には聡く早熟な子供だった。


 家族はメリアが有力派閥に所属し、最終的には『生徒会長』にまで上り詰めることを強く望んでいた。無名である一族の悲願を背負わせてこの学院に送り出してきたはずなのだ。

 だが、メリアは全寮制の広大な敷地にしばらく閉じ込められているうちに、いつしかそんな家族の声すらも思い出せなくなっていた。


 だから当然授業なんてものにも興味はなかったし、座学の時間はほぼ寝ているし、次の時間割が何であるかなんてことも勿論頭にはなく、気が付けば同じクラスの生徒たちが教室からいなくなっていたとしても彼女は決して動じることはないのだが


「こらあ! ゴーレムあんた、また実習サボるつもり!?」


 周囲がそれを許してくれるかというと別の話であり、クラスの委員長に怒鳴られた上に頭をブン殴られた。殴ったほうも殴ったほうで、上品を旨とするティツィーリア女学院の生徒としてはあるまじき言動であるが、こればかりはメリアが悪い。


 メリアは痛む頭頂部をさすりながら身を起こし、怒りをあらわにする委員長の名を呼んだ。


「……エリィ」

「エリィ、じゃないわよこの石頭! 最近あたしが何て呼ばれてるか知ってる? 『ゴーレム技師』よ『ゴーレム技師』! いつあたしがテメーのお世話係になったのよ!? いいかげんにしろ!」


「……ごめん」

「本心で謝ってんなら表情をもうちょっとなんとかしなさいよ」

「へ?」


 そう言われ、メリアは自らの表情筋をぺたぺたと触って確かめた。

 頬が、緩んでいる。


 この世のどんな事象でも動かせないと思われたゴーレムの感情が、今、わずかにでも動いたのだ。メリアは、エリィに話しかけられることを、喜んでいる。そう結論するのが自然である。


 そうなのだ。今、彼女の目の前にいる存在こそが、この世でたった一人、メリアの心を動かすことを許された人物。

 もし。もしエリィ以外の生徒が委員長だったとして、メリアを叩き起こそうとしても、メリアは寝なおして終わりだったであろう。


「……ほんとだ。わたし、笑ってるみたい」

「『みたい』て。あんたマジでゴーレムにキャラ寄せにいってるの? あんたがそのつもりなら止めはしないけどさ……っていうか!」


 エリィは壁にかけられた時計を確認して額に手を当てた。


「あんたの顔なんかどうでも良かったわ! 実習よ実習! 次の時間、グラウンドだから! あんたいないと困るのよ!」

「……わたしがいなくて困ることなんかないよ」

「あんのよ! 勝手に決めるな!」


 己の価値を否定するメリアに、エリィは即答した。


「今日の実習こそ、あたしがテメーをぎゃふんと言わせんのよ! あんたがいないとぎゃふん要員がいない! あたしが困る!」


 言いながらエリィは、メリアの首根っこをがっしりと掴んでいる。

 一方のメリアは微動だにせず、ただ表情だけがまた少し緩んでいた。


「さあ、行くわよ! 今日こそ目にもの見せてやるわ!」

「むー……」


 そうして、メリアはエリィに引きずられる形で教室を後にした。

 次の授業は第一実技グラウンドにて、魔法実習が予定されている。


 ◆


 第一実技グラウンドは、ティツィーリア女学院で最も広さのある実習場である。砂の敷き詰められた殺風景な景色の向こう側には旧校舎や時計塔などの比較的古い建物群が見えている。


 これからここで行われるのは、一年生全員が参加する魔法実習だ。座学で学んだ魔法の知識を、己の魔法構築にまで昇華させ、実際に使用する感覚をつかむことを目的とする。実体験による裏付けほど、知識を補強してくれるものはない。


「――と、いうわけで。なんとか全員揃ったようなので」


 並んだ生徒たちを見回しながら、女性教師がぱん、と手を叩く。


「さっそく、遅刻組のお二人にお手本を見せていただきましょうか」


 じろり、と教師は遅れてきた二人を睨む。

 睨まれた二人のうちメリアは「むう……」と面倒そうに唸り、エリィは「望むところよ!」と遅刻とは思えないほど堂々と宣言した。


 それぞれがそれぞれに、女学院の理想からは程遠い態度の人間だった。だが一年生で「お手本」をやらせるとすれば、この二人以外に存在しないのも事実である。

 知識、魔法構築、さらには体術を交えた実戦……そのどれをとっても、この二人は他とは一線を画すレベルで、圧倒的に、不動の一位と二位であるからだ。


 教師に促されるがままに、メリアとエリィは一定の距離をとって向かい合った。


「今日の実習のテーマは、魔力の形状変化と性質変化です。基礎中の基礎ですが、この基礎をどれだけ極めたかで応用の幅がまったく変わりますので、皆さんはしっかり見ておいてくださいね」


 教師が、二人以外の生徒に向けて説明を開始する。成績上位の二人には説明の必要すらないとばかりに背を向けている。そしてそれは事実である。


「それじゃあ二人とも、何か参考になりそうな魔法を使ってみて――」


 言いかけた言葉が止まる。言われるまでもなく二人は実戦の態勢に入っていた。特にエリィは目を見開き、口の端を歪め、すでに全身に魔力を迸らせている。

 実習のたびにやらされる、メリアとの魔法披露。このイベントが、今ではすっかりエリィにとって人生でもっとも大事な、すべてを懸ける時間となっていた。特に、今日は。


 彼女は小さく口を動かした。


「見ていてください、お姉様――」

「?」


 その様子に、メリアは小さく首をかしげるだけだった。


「で、では――始め!」


 教師の合図。エリィは右の人差し指を立て、空中でくるくると回した。

 その指の先端からは、一年生離れした熱量の高密度な炎が噴き上がっている。


「死ね!!」


 エリィが叫んだ。メリアが無言で微笑んだ。

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