第2話
朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。
頭の中でブルース・ブラザーズがオープンカーでニューススタジオに突っ込むところを思い浮かべる。
冗談じゃない。腹が痛い。いや片腹痛いとかではなくてマジで下腹部が痛い。生理の二日目だ。
あと七日だと?冗談じゃない。そんなん生理痛で寝ている間に終わりではないか。運が良ければ最終日か前日くらいには終わっている(生理がだ。世界がではない)かもしれないが。
迷わず会社に有休の連絡を入れ、鎮痛剤を水道水で流し込む。
今回も世界は滅びないかもしれない。がもう有休は尽きそうだった。それでも残りの平日五日をなんだかんだ全休にする決意をする。
世界が滅ぶかもしれない時に生理痛こらえて仕事してられるかバカヤロー。頭の中の北野がピストルでテレビを蜂の巣にする。
布団に潜り込んで抱き枕に体幹を押し付けると、少し気分が楽になった。
こんなことなら週休四日制に挙手しておけばよかった、と思ったが、都心の一人暮らしはそれでは賄えない。
株でも始めようか、と思わないでもなかったが、なんか馬鹿馬鹿しくなって手をつけなかった。
大体来年の今頃には全員いない可能性が高いのである。会社も株もないもんだ。
トイレを覗いて舌打ちをする。ナプキンが後一枚しかない。
とにかく、今は鎮痛剤が効くのを待つしかない。落ち着いたら徒歩50秒のコンビニまで行こう…と思って目を閉じているとあっという間に寝た。
ぴんぽーん、ぴんぽーん、と間抜けな音を響かせているのが自分ちのインターホンであることに気づいて、私は舌打ちをした。どこのどいつだこんな平日の昼間に。
のろのろと起き上がって拳でインターホンのボタンを叩くと、音が止んでモニターが映像に切り替わった。そこには妙におどおどした女が映っている。
「はい」
『あのー…、天ちゃんのお宅ですか……』
「あ?」
天ちゃん、というのは学生時代の私のあだ名だ。
「誰?」
『えっと…びーちです…覚えてる?』
びーち?
しばらく脳細胞に皺を寄せて考えて、あ、と思い出した。
「ちかこ?」
『はいぃ!』
モニターの中でびーちが嬉しそうに顔を上げた。相変わらず犬みたいなやつだ。
『びーち』は高校時代の同級生だ。
びーちというのはもちろんあだ名だ。ちかこ→地下→B1→びーち。地下室のように暗い女だったのでそういうあだ名がついた。
「なんでうちの住所知ってんの?」
とりあえず、ドアだけは開けてやった。玄関先の土間で、ドアを細く開けて話す。
「えっと…ちょっと前になっちゃんに会って…その時に…」
奈津美の野郎。
高校時代のクラスメートに頭のなかで中指を立てる。昔から口の軽いやつだった。
「それで?」
「それで、って…え…?」
「何の用」
「えっと…近くまで来たから」
こいつとそんなに親しかった覚えはない。ないが。
「悪いんだけどさ、今体調悪くて。帰ってくれる」
「え、だいじょうぶ?なんか要るものあったら買ってくるよ」
「ああ?」
要るもの?
「…じゃあさ」
そういうわけで、私はまんまとびーちを部屋に上げてしまったのである。
座卓を挟んで差し向いにびーちのにやけた面が見える。
座卓の上には頼んだ多い日用のナプキンの他に、レンジでチンするだけのうどんだのエネルギーゼリーだのが陳列されている。
「はい、貼るカイロ」
びーちが包装を剥いて手渡してくれたものを受け取る。ジャージの腹に貼るといくぶん楽になった。鎮痛剤も効いている。
「悪かったね」
「ううん、困ったときはお互いさまだから」
そういってびーちはにこにこしている。にこにこ。にこにこ。
……こいついつになったら帰るんだろう……。
「あのさ、」
「あのさ、しばらく泊めてもらえない?」
声に出して問おうとしたとき、びーちが一声早く言った。
「……ああ?」
「えっと……彼氏と喧嘩しちゃって…部屋を飛び出しちゃって…気まずいので……」
びーちの視線は言葉が連なるごとに下がっていき、言い終わるころには正中線と並行になった。
沈黙。
ためいき。私の。
「……いいよ、泊まってけば」
「本当!?」
「その代りごはんくらい作ってよね」
「作る作る。とりあえずうどんでいい?」
いや、それはチンするだけだろ。
というツッコミは面倒くさいので飲み込んだ。
やけに嬉しそうにキッチンに歩いていくびーちの背中を見送って、私は目を閉じた。
そのあと、びーちと私は実のある話をするでもなく、私はベッドに横になったまま、びーちは座卓を挟んで向かいに座って、だらだらとテレビを見るなどした。
テレビは今朝あんなニュースが流れた割には特におかしなこともなく、カメラの前で脱いじゃうようなやけくそがでてくるわけでもなく、普通のバラエティや時代劇やニュース番組を流していた。
「あ、ここのチャンネルは録画に差し替わってるね」
びーちがザッピングする手を止めて言う。
「どういうこと?」
「えっとね、今朝あと7日ってニュースが流れたでしょう?テレビ局側もね、終末が近くなったらサボったりボイコットしたりするキャストやスタッフがいるかもしれないから、
そういう時用に差し替え番組を用意してるの。特番の再放送とか、バラエティ余分に撮っておいたりしてね」
「へー。詳しいじゃん」
「うん、私テレビ局にいるから」
「え、そうなの?」
「うん。ADなんだ~」
淡々と言うびーちの横顔に、テレビの光が影絵のようにちらちらと映る。部屋の中に西日が射していた。
高校生のとき、一度だけびーちが泣いているのを見たことがある。
びーちはどんくさくて、空気が読めなくて、嘘がつけなくて、気が利かなかった。
成績も中の下で、唯一得意なのは国語だったけど、人前で何か読んだりするのが極端に苦手で、当てられて教科書を読まされたりすると必ずつっかえた。
それを見てクラスメートがどっと笑う。びーちも、困っちゃったなあ、という顔で笑って、教師も適当な場所で次の生徒を指すのだった。
ある日の放課後、私が屋上に行くと、びーちがいた。
西日さす屋上で、びーちは、背筋を伸ばして立って、賞状でも読むみたいに両腕をぴんと伸ばして、国語の教科書を読んでいた。
朗々とした声だった。どこもつかえることなく、それは続いた。ビーチの両目からは、涙が流れていたが、声は震えていなかった。
閉めた屋上のドアに内側からもたれて、私はびーちの朗読を日が沈むまで聴いていた。
「天ちゃん」
テレビをみつめたまま、びーちが言う。
「うん」
「彼氏と喧嘩したって嘘なの」
「うん」
「彼氏なんていない」
「うん」
「部屋なんかない」
「うん」
私はびーちの横顔から目をそらさない。
「仕事辞めて、昔の知り合いのところを渡り歩いてるって?」
「そう。なっちゃんから聞いた?」
「うん」
「優しいね、天ちゃん」
「あ?」
妙に穏やかなまなざしで、びーちはテレビを眺めている。私を見ないまま言う。
「分かってて家に入れてくれたんでしょう?優しいね」
黙り込む私の方を見て、びーちは笑った。そのまま西日に溶けてなくなりそうな笑顔だった。
「……まあ、いいんじゃん。あと7日くらい泊まってけばさ」
「いいの?」
「7日経ったら出てけよ」
「分かった」
私たちは8日目の約束をする。来ないかも知れない日の約束を。
これまでだって同じだった。明日なんていつでも来ないかもしれないものだった。
だから、忘れたふりをして約束をする。
「明日の朝はフレンチトーストだよ」
びーちが得意そうに言うのを見て、私も笑う。
誰だって、誰かと一緒にいたいときがある。世界の終わりならなおさらだ。
あり合わせの二人はそうして、何事も起こらないかのように、テレビを見続ける。
最後かも知れない月曜日は、そうして暮れていった。
(了)
ウルフボーイ・プロトコル @kakotsu
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