ウルフボーイ・プロトコル
@kakotsu
第1話
朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。
「今週末のキャンプどうする?」と夫がキッチンから聞く。
「うーん…当たるか分からないし、いちおう決行で」と私は答える。
なんらかの事情により、世界の終わりが近いうちに来ることが分かってから半年。
最後の日を発表することで起こるであろう世界的なパニックを防ぐため、各国首脳が話し合って決めた方針は、『世界の滅亡のお知らせについては、ダミー情報をランダムに流し、その中に本物を紛れ込ませること』だった。
この計画は日本では通称ウルフボーイ・プロトコル(イソップのオオカミ少年(The boy who cried wolf)より。英語圏ではWCWと略される)と呼ばれている。
そのおかげかどうか、今日も世界は平常心を保っている。
私の知る限り世界滅亡のお知らせは今月に入って二度目だったし、今年に入って五度目だ。
都度都度残り日数は変わる。ただ、共通しているのはニ週間以内五日以上の日数で世界が滅ぶ、ということだ。それ以上短くすると急にヤケになる人がたくさんいるからかなと思う。
ラジオ局に勤めている妹の話では、この世界滅亡のお知らせは番組や局で適当に考えているわけではなく、毎回政府機関から通達がある内容を報道しているということだ。つまり、このニュースを読んでいるキャスターも、これが本当の世界の終わりかは知らないということだ。
「この『あと7日』ってさ、当日含むかな?含まないかな?」夫が言う。
「さあ…含むんじゃない?」
なんで?と促すと、彼は皿を洗い終えた手を拭きながらリビングに戻ってきた。ソファの私の隣に座る。
「含むだったら日曜が最終日、含まないんなら月曜が最終日でしょ。最終日は家がいいかなぁって思ったの」
今週末は三連休で、私たちは土曜出発月曜帰宅の予定でキャンプに出かける。確かに、日曜が最終日なら最後の瞬間を出先で迎えることになる。
「そんなことのために予定を変えるのも…いちいち面倒というか」
「まあ前それやって外れたしね」
前回の旅行を少し短くした時のことを思い出す。それにしても、これまでのお知らせは全て最終日を休日に持ってくるものだった。その一点だけでフェイクなんじゃないか、という論調もネットではあるが、私にはなんとも判断がつかない。
「じゃ、今回は予定通り、世界は滅ばない方向で」
彼が笑いながら言う。
「家にいなくても二人一緒ではあるしまあいいでしょう」
そうだね、と私もうなずく。
うなずいたのに。
目の前にある白い壺を見下ろす。
この中に彼が全部入っている。
彼がしていた指輪は、わたしの胸の銀鎖で揺れている。
(そうだ、世界の終わりの日じゃなくても、人って死ぬんだった)
普通に、会社帰りの交通事故だった。
居眠り運転につっこまれて、彼も即死、運転手も即死。それが火曜で、今日は日曜日。
金曜日にお葬式が終わった。義両親も実親も本当に心配してくれて、しばらく泊まろうかとか家においでとか言われたが、断って一人で家にいる。
一人でいたかった。
窓の外でお囃子みたいな音がする。
マンションのベランダから見下ろすと、鐘や太鼓、笛を鳴らしながら何十人もの人が練り歩いていた。
みんな薄桃色の服を着るか、どこかに同色の布を身につけている。
楽器を持っていない人が行列の左右を歩きながら、桃色の花びらを振り撒いていた。
最近増えてきた新興宗教の人達で、特に悪い噂があるわけでもなく、あまり既存の宗教とも繋がりが深くない、むかしの踊り念仏みたいなものだとニュースでやっていた。
明るい感じの音楽を、スローなテンポで演奏しながら、行列は街を横切っていった。
(そうだ、キャンプ行こう)
急に気持ちが決まった。予定より一日遅れだけど、キャンプに行こう。
助手席に骨壷を乗せて、予約していたオートキャンプ場へ来た。
電話で無断キャンセルを詫び、確認したところ空いていたので予約を入れてもらっていた。
受付で「二名で予約した○○です」と名乗ったが、両腕に抱えた骨壷を見て、受付の人はにこやかに対応してくれた。
テントを張り終わり、焚き火の前に椅子を出して座る。
夕飯は途中のコンビニで買ったサンドイッチをホットサンドメーカーで炙ったもの。有名なピーナツバターを食パンで閉じたパックは、閉じた食パンをこじ開けてチョコレートを追加した。うまい。
(カロリーを気にせずに美味しさを追求できるのって素晴らしいな……)
世界滅亡のお知らせが流れるようになって、この半年で結構太った。貯金は思ったほど減らなかった。
こういう状況で海外旅行とかに行くのはちょっと怖かったので、あまりお金を使うポイントがなかったのだ。私も彼も小心者だった。
仕事は少しセーブして、二人とも早く家に帰るようになった。
前より一緒にいるようになった。
私の会社では、希望者を募って週休四日制が導入された。私は、まだ迷い途中で週休三日だった。
彼は自分の会社ではそういう話は出ていないと言って羨ましがった。
私は彼に、煙草を吸っても良いよと言ったけど、彼は別に要らないと言った。
付き合いたての頃はヘビースモーカーだったのを、私と暮らすにあたってやめさせたから、吸いたかったら吸って良いよと言ったのだ。でも彼はもう別に欲しくないと言って笑った。
彼のクロゼットの奥に封のあいた箱と、百円ライターが隠してあるのは知らないふりをした。
骨壷と一緒に持ってきた煙草を一本咥えて、火をつける。
煙草を吸うのは大学生ぶりだ。むせるのがわかりきっているので、吸い込まずに咥えるだけにする。
足元に気配がして、見ると野良猫が一匹寄ってきていた。焚き火からは上手に距離を取って、私の足元できちんと前足を揃えてほわぁと鳴く。私は煙草を地面に押し当てて消した。
パタパタと手を振って煙を散らす。
まだそこに立っている猫に向かって「こんばんは」と声をかける。返事はなかったが、猫は椅子の足元に香箱座りで座った。キャンプ客に食べ物をもらっているのだろう。よく慣れていて焚き火も怖くないようだ。
煙草は片付けて、ウィスキーのポケット瓶を開けた。
ポケット瓶って口をつけたら飲みきらないといけないんだろうか?衛生的にはそういう気がする。はじめて買ったから分からない。
触っても逃げなかったので、猫の背中を指先でゆっくり撫でる。やがて猫は体を丸めて寝てしまった。
健康で長生きしてほしいな、と思う。
昔看取った猫を思い出して少し泣いた。
腕時計を見ると、もうすぐ午前零時だった。
明日の朝は早起きしたいので、深酒はしないで寝ようと思う。山は何より朝の空気が素晴らしい。
もうしばらくしたら焚き火を始末して寝よう、と思って、再度ウイスキーに口をつけた時、
一つとても明るい星があることに気づいた。
(人工衛星かな?)
その星はみるみるうちに明るさを増して、豆電球くらいになった。
そして次々と光の点が増え、全天がきらきらと明るくなった。
まるで夜空一面にイルミネーションが点いたようだった。
一秒ごとに明るさを増す空の彼方から、暖かい波動が津波のように全てを塗り替えていく。
(あと七日って、当日含むだったのか……)
椅子の足元で顔を上げた猫を、膝の上に抱き上げて、一緒に最期の景色を眺める。
やがて、私はいなくなった。
そのあとは、知らない。
(了)
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