君は看板娘

@kakotsu

君は看板娘

 今日のユキシロは黄色かった。頭のてっぺんからデコルテのあたりまでが鮮やかなレモンイエロー。その上を、右のこめかみから左の口角あたりまで袈裟懸けに、スカイブルーに白抜きフォントのロゴが点滅している。

「お、新商品?」

 隣の席についてロゴを読む。確か清涼飲料水の商品名だ。

 大講義室はそこそこ盛況で、通りすがる学生たちがちらちらと、あるいはあからさまにユキシロの方を見ていく。

当の本人はどこ吹く風と言う感じで、気にするでもなく顔と同じロゴのついた500ml缶を傾けて見せる。

「表の自販機でも売ってたから買ってみた。割と美味しい」

にっこり笑った、んだろう多分。目はロゴに覆い隠されており全く見えないが、声と気配で判断する。

ちょうど、BRAND NEW!の文字がロゴの下を横切って流れていった。

 ユキシロと私が出会ったとき、もう彼女は全身を広告塔にしていたので、実は私は彼女の顔を知らない。

私達の頭には物心付く前から端末化処理が施されていて、特に意識することもなく現実と仮想空間を重ね合わせて見ている。

私の着ているワンピースだって、大体の形は本物の布だが裾のフリルや生地の花柄はアバターだ。

アバタースキンが普及し、コスメやアパレルの半分くらいが実物ではないものに取って代わった頃から、そこに広告を流す技術も登場した。

よくあるのは、インフルエンサーが新作のアバターを着て街を歩いたりメディアに登場する、あるいは企業ロゴが図案化されたアバタースキンを無料で配布し、一般人の服のどこかにつけてもらうといったささやかなものだ。

しかし技術的にはもっと派手に広告を打つことが可能である。例えば今のユキシロのように。

 ユキシロは苦学生で、奨学金で足りない学費と生活費をほとんど広告料で賄っている。

彼女の体は髪から顔からつま先に至るまですべての面が広告枠として毎秒自動オークションにかけられている。

首から上、顔にかぶるあたりが一等地で、一番高く売れる。次に胸元、そして背中も広い面でひと目を引くので優良な面なのだそうだ。

彼女の華奢な二の腕から胸は深いグリーンで染められ、三秒に一回のペースで黒のストライプが横切っていく。ストライプは胸の中心でぐるぐると渦を巻いて、スポーツ専門のTVチャンネル名を形づくる。ひょっと覗いてみると、背中ではデフォルメされたパンダが昼寝をしているアニメーションが繰り返されていた。近くの中華街のマスコットキャラクターだ。

「パンダ可愛いね」

「あ、今パンダ出てる?」

首を回した彼女の代わりに、パシャリと脳内で音を立ててキャプチャを撮る。送信。

「あ、ほんとだ」

「月界100年祭直前大感謝祭、肉まん大特価」

キャプチャを撮ったときに自動で展開された広告の説明文を読む。「祭りかぶってるね」

「ソウビ、後で食べ行く?」

ユキシロの提案に即うなずく。今日は私達ふたりともこの講義で終わりだ。

「決まりね」

ユキシロの顔にデフォルメされた右目が一瞬現れて、ぱちん、とウィンクする。イエローのハートが飛んだ。

「おっ」私もすぐユキシロの顔から清涼飲料水のサイトにアクセスして、拡張機能を落としてくる。

ぱちん。

「どお?」

「飛んでる飛んでる」

 無駄にハートを飛ばしあっているうちに講師が入室し、波が引くようにざわめきが静まっていく。

正面を向くと、演壇に立った講師はユキシロを見て少し眉をひそめたようだった。

横目で伺うが、ユキシロは何も気づかなかったような顔をしている。

すぐに講義が始まったので私も黙っていた。


 中華街は飾り付けこそお祭りムードだったが、平日の夕方とあって、人出はそこそこだった。

表門をくぐって通りに足を踏み入れた瞬間、ユキシロの全身を覆っていたアバタースキンが一斉に色を変える。

頭部はターコイズブルー、後頭部には翡翠の龍が絡みつき、20秒に一回炎を吐く。火が消えたあとには陽炎のようにゆらめく老舗中華料理店の名前と本日のおすすめメニュー。

首から下は真っ赤なチャイナミニワンピに変わり、肩から背中に小さなパンダがコロコロ転がり落ちるアニメーションが繰り返される。

歩行者天国の真ん中を歩くユキシロの背中を、数人の子どもが指差しながら追い抜いていった。

「パンダ!」「パンダ!」口々にいう子どもたちに、ユキシロはひらひらと手を振ってやる。

 何もない日でも、ユキシロはよくこうやって散歩をする。なるべく人通りの多いところを選んで歩く。そのほうが収入が良いらしい。

その昔、おばあちゃんたちがまだ地球で暮らしていた頃は、物理看板で体の両面を挟んだ『サンドイッチマン』というのがいたそうだ。さらに昔には、容姿の優れた女性そのものを広告塔として雇う、『看板娘』という習慣があったらしい。字面だけならユキシロの方が看板娘と呼ぶにふさわしい。

 広告塔として常にスポンサーにふさわしい振る舞いが求められるため、ユキシロは信号無視もしないし、ポイ捨てもしない。煙草も吸わない。

私もユキシロといるときは吸わないようにしていたらいつの間にか禁煙できてしまった。思わぬ副産物だ。

 昼間広告からゲットしたクーポンで2割引になった肉まんを頬張りながら、私とユキシロはゆっくり歩く。

だんだん日が暮れてくると、ユキシロの体は眩しい。ぴかぴか、ちかちかと光っている。本人は眩しくないんだろうか。

人通りが増えて、すれ違う人と人の距離が近くなってくる。昼間は子どもと年寄りばかりだったが、一日の労働を終えた大人や学校帰りの若者が増えて、私は少し居心地が悪くなる。

「ソウビ、先に帰ってもいいよ」

自分はもう少し歩いていくけど、と言外に言われて、首を振る。

「あ、あれ美味しそう」

話題を変えるために、行列のできている屋台を指差す。曖昧に笑ってユキシロは一緒に並んでくれる。

 適当に選んだ屋台のメニューは謎のドリンクで、派手な色のソーダ水だった。フルーツ味と言われればそんな気もするが、では何の、と言われると答えられない感じの味だ。

ストローですすりながら歩く。もう中華街の端まで来てしまって、ここから先は飲み屋街だ。

「私焼き鳥食べたいな」

中華街の門を出ようとしたとき、酔っ払いがぶつかってきた。手に持っていたドリンクが派手にこぼれてユキシロの服にかかる。

「あ」

相手は一瞬気まずそうな顔をしたが、ユキシロの体をじろじろと眺め回すとぷっと吹き出した。

そのまま謝りもせずに歩いて行こうとする。

次の瞬間、私は手に持った極彩色のドリンクを酔っ払いの背中にぶちまけていた。

「冷てっ」

酔っ払いが振り返るより早く、ユキシロが私の手をとって走り出す。

怒鳴りながら追いかけてこようとする酔っ払いの顔面に向かって、ユキシロがまだ手に持っていたプラカップを投げつける。

半分以上残っていたドリンクをまともに食らって酔っ払いは目を押さえてのけぞる。

そのまま私達は路地へと逃げ込んだ。


 どのくらい走っただろう。暗い裏通りで、私達はようやく立ち止まった。

「ユキシロ、ごめんね」

まだつないだままの手をじっと見て、私は声を絞り出した。

手を離そうとすると、ユキシロはぎゅっと握り直してくる。

「ソウビは喧嘩っ早すぎ」

怒ったような、笑ったような声でユキシロが言う。

顔を上げると、夜空にはまんまるな地球が出ている。見慣れた青い光を背に、ユキシロの姿は真っ黒だった。

大通りで喧嘩などという不良行為を働いたので、広告がすべて止められてしまったのだろう。

「ごめんね……」

「あーあ、バイト探さなくちゃ」

あっさりとした調子でユキシロはつぶやく。

「怒ってないの?」

「怒ってるように見える?」

笑ってそう言うから、私はもっとよく見ようとユキシロの頬に手を伸ばす。

はじめて見る広告のない顔は、アバタースキンのすべての色彩が落とされて、真夜中のTVみたいだ。

それでもよくよく覗き込むと、暗闇の奥にユキシロの瞳が見えそうな気がして、私は顔を近づける。

「ユキシロ」

瞳が見えた、と思った瞬間、ユキシロの顔全面にピンクのロゴが表示された。

「あ」

見上げると、100メートルくらい先に同じロゴの看板。下には「ご休憩」の文字。

ふたりとも、思わず吹き出す。

「復旧したね」

「意外と早かったね」

「休憩してく?」

「ばか」

私達は笑いながら、ホテルのネオンサインを通り過ぎて歩き出す。

表通りに出る頃には、ユキシロの顔面ももう少しお行儀の良い広告に変わっているだろう。

昇りはじめた地球に照らされて、私達の夜は始まったばかりだ。


(了)

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