第2話 馬上にて
見習い商人から逃げ出してどれくらいたっただろうか。
太陽が沈みあたりは完全な夜に染まっていた。
夜空一面の見事な星明かりが煌々と地上を照らし広い草原を浮かび上がらせる。
疲れを知らないのか、私と同じで自由を感じているのか馬は私を連れて一直線で風を切り何も見えない地平線を目指す。馬術の心得などからきしな私の太腿と臀部が地上を恋しがっているがそもそも止まり方を知らないのだからどうしようもない。
ただ馬のなすがまま星空の下をランデブーだ。
(これからどうしようか)
ここが私の常識の通じない世界だとするならば裸一貫で放り出された私はどう生きるのが賢いのだろうか。手札といえばこの栗毛の馬と見習い商人の身に着けていた鞄くらい。中身を大して確認せずに逃げてきたのだからこれがどれだけ頼りになるか見当もつかない。
専門学校で培ったパソコンの技術もきっと高い確率で無駄になるだろう。
(・・・本当ならここで家族を思うんだろうけどなぁ)
無い記憶を探り少しだけ苦笑いをして溜息をつく。
溜息が白く変化し逆風となって顔に当たる。
風が肌を切り裂くような冷たさを帯びていることに気が付く。
奴隷服の緩い袖口から風が入り込み冷気が体を蹂躙する。
さすがに体が限界を感じせめてもと馬の首の後ろに小さく縮こまり身を隠す。
鞍に裸足で足をかけていたはずだが感覚がない。
足がしっかりついていることを祈りつつ目をギュっとつぶり痛みと寒さを凌ぐ。
頭をよぎるのは今までの出来事。
この世界に来る前の私のこと。
私、四宮愛は孤児員出身だ。生後間もなくして孤児院に引き渡されたとはそこの院長の談。
親に捨てられた経緯は教えてもらえなかったが独り立ちしても教えてもらえないということはどうせ碌でもない理由だったのだろう。
正直、顔も見たことのない両親を今でも恨んでる。
捨てる子供に「愛」なんて名前付けるなんて馬鹿げてると思う。
学校の先生にも友達にも、どこに行っても「親に捨てられたあいちゃん」として扱われお古のランドセルや洋服を着てうつむいて登校する毎日だった。施設にかえっても一人の時間はなく、騒々しい男子やちびっ子たちの声に顔をしかめながら黙って本を読んでいるふりをする。卑屈で不愛想で愛嬌の欠片もない子供に育った。つくづく「愛」なんて名前が似合わない。
私の親、ほんとにセンスないんだろうなぁ。
それでも、孤児院の人たちには感謝している。私が非行に走らなかったのも、最低限の家事ができるようになったのも施設の人たちのおかげだ。中学生の時に風邪をひいて、そばで林檎を擦ってくれた院長の奥さんの後姿を鮮明に覚えている。あの時初めて大事にされていると感じて泣いちゃったんだっけ・・。
・・・そうだ、私はそれを見て栄養士になりたいんだと思ったんだ。
懐かしいな、学費が高くて奨学金を借りようにも孤児院のお手伝いで勉強の時間がとれなくて成績が届かず泣く泣くあきらめたんだ。
それで学費の安い専門学校にバイトしながら通いはじめたんだ。
2年前なのにずいぶん昔に感じる。
卒業して孤児院を出るお別れ会の時、施設の人たちと私に懐いてくれてた弟や妹達は私のために泣いてくれた。私は泣かなかったけど、今思えば泣いて困らせてしまえばよかった。
社会人になってようやく「親に捨てられたあいちゃん」のレッテルが外れ一人の大人になったとき私は初めて社会の辛さを知った。意味の分からない上司に未成年を飲み会や喫煙所にやたら誘ってくる先輩、そしてそんな先輩を狙っている30代後半のお局さん。人間の汚い感情に直接触れてつい孤児院に帰りたかったことが何度もあった。
一度だけ。
一度だけ電話をした。
孤児院の生活様式を思い出しながら深呼吸をしてしんぱいさせないように、
邪魔しないように、長くなりすぎないようにと
『はい、辻児童養護施設です。』
しばらくの呼び出し音の後に懐かしい声が聞こえつい目じりに涙がたまる。
『あ、ハツさん。わたし、あい。』
必死にいつもの調子を装って。
『あら、愛ちゃん!心配してたのよ‼元気だった?』
『あー、うん。何とか』
思春期か私。何とかって何よ。
でも私は一つ勘違いしていた。もう孤児院は帰る場所ではなくなっていたのだ。
私の居場所はお別れ会の日になくなっていて、ずっとそのままだと思っていた孤児院にも変化があって...
『そう!ならよかったわ!うちにね新人さんが入ってね、男の人よ。一段と賑やかになったわ優紀と紗枝もあなたがいなくなってしょげていたのにもうすっかりコータさんに懐いて...。』
孤児院は私の知らない場所になっていた。
そこからしばらく孤児院の近況を聞いていたが、ハツさんの優しい声を聴くにつれて消したかった悲しい気持ちが増殖していく。あの時、わたしはうまく相槌をうてていたかな。
電話はちびっこ同士が喧嘩を始め『またね、愛ちゃん!』とそれをいさめに向かったハツさんの言葉で打ち切られた。
正直、助かったと思ってしまった。
あのまま今の孤児院の様子を聞かされていたら私の中の看病してくれたハツさんの後姿までが崩れてしまうと思ったからだ。電話を終えた後は覚えていない、でも布団に入って涙を流すことなく朝を迎え何事もなかったかのように出勤したのは確かだ。
多分、わたしが孤児院に行ったらあの人たちは優しく出迎えてくれる。優紀も紗枝も喜んでくれるし、コータさんとやらも邪険にはしないはずだ。
でも、そこに行った私はもうお客さんなんだ。きっと院長はわたしにお茶いれの手伝いもさせずにテーブルにつかせ、洗濯物や洗い物すらさせてくれない。ちびっ子を寝付かせることも備品の補充も何もかも。私を施設の一員としてあつかってはくれないだろう。全部私の想像だけど、いやだからこそ恐怖心と疎外感が大きく感じてしまうのだ。
その片鱗に少しでも触れてしまうのが怖くて私は孤児院に電話をかけるのをやめた。
(どうしようもないなぁ、わたし。行く場所なくしたの自業自得じゃん)
勝手に寂しくなって
勝手に電話かけて
勝手に不安になって
勝手に離れてった
今になって気が付く。手放したのは私じゃん・・・。
「愛」なんて名前のくせして誰よりも薄情者だ。
「・・・やっぱり、この名前大嫌いだ。」
馬に乗ってから初めて吐いた言葉。
馬はまるでどこ吹く風で草原を疾駆する。
(少しは慰めてよ)
馬の後頭部を眺めながらそう思ったときとある変化が起きた。
視界一面が黒い靄に覆われあんなに瞬いていた星々は見る影もない。何も見えない状況で馬の息遣いを耳で感じながら進むとすぐに靄は晴れ星がまた顔をのぞかせる。
だが、視界の先には先ほどまではなかったものが一つ。
街だ
いやそれは都市と呼べるほど大きく夜の闇の中で煌々と星明かりに負けないほど明るく、そして暖かく光っていた。街には外壁があり一つだけある門は開かれたままになっている。そこからは暖色の明かりが漏れでており幻想的な風景の中に確かに人の営みが感じられる。そして街の奥には外からでもよく見える大きな城がランドマークのように堂々とそびえていた。黒を基調とし赤い柱や白と金色の装飾で成り立つその城は現代でいうところの中華と和風建築を掛け合わせたかのような重厚かつ繊細なつくりをしている。何かの映画で見たような・・・。
いつの間にか馬は歩みを緩めておりのんびりと街のほうへ向かっている。
風も冷たくない。孤独感もどっかへ行ってしまった。
不思議と街に向かう恐怖感はまったくなく夜の草原の中に突如として現れた美麗な城と街の明かりに私はただただ目を奪われていた。
多分、私はこの街に来るために生まれてきたんだ。
そんな恥ずかしいことを言えるくらいこの街が大事になるなんて、この時の私は思いもよらなかった。
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