最終話・希望

 結局、お前は一体なんだったんだ?


 『…んーと、ピュロスはね。前にも言ったんだけれど…むぎゅ』


 いいからまずは抱っこさせろ。まったく、こうなるまでどれだけ苦労したと思っているんだ。


 『そーだねえ。アキコ、死んじゃったもんね』


 簡単に言いやがる。死んだとかなんとか…言われてもあまり実感が沸かないな。死んだというなら、今こうしている私はなんなんだ?


 どことも知れない、なんだか漂っているだけの場所で、私とピュロスは裸で抱き合っていた。事後?


 『ちがーう!…んもー、アキコはじょうちょがない』


 お、そんな難しい言葉どこで覚えた?ま、半身が火傷の殺し屋の女が情緒なんて語れる身分でも無いしな。


 『そゆこととも違うんだけどねえ……アキコ。聞いて?』


 ああ、聞いてやるさ。時間ならいくらでもある。というか、時間ってものの概念なんざ、とっくに何処かに行ってしまった気がする。


 『いくらでも、は無いんだけれど。あのね、アキコ』


 ああ。


 『…前にもゆったけれど、ひとは肉体の有り様に縛られるの。でもね。アキコが思い出したカイルくんは、大人のひとたちに虐げられて、強く復讐を願った。そして、その心によって、肉体のあり方が違ってしまった』


 そういうものなのか。


 『そして、ピュロスはピュロスの心に集った、アキコがあやめた子どもたちの心が肉体をもったものなの。だからピュロスはピュロスであって、アキコはピュロスのことをいっぱい愛しても何も間違ってないの。わかった?』


 わからん。


 『んもー、アキコのわからんちん!』


 だってな。そんなことを言われても私の心の持ち様など変わりはしないんだからな。

 私は、お前と一緒にいた暮らしがとても好きになった。メシを食うためだけに他人を殺すだけだった生活に、こうありたいと願う形が出来た。

 だから、私にそれをもたらしてくれたお前のことが大好きなんだ。愛している。それじゃあ、いけないのか?


 『………いけなくない、よ?』


 照れていた。そんな顔が、とても愛おしい。

 そしてな、お前を愛することが間違いじゃない、ってことは、私にとっては何よりも大切なことなのさ。

 どんな生まれだったのか、親の顔も覚えていない私は、寬次たち神戸組の連中を育ての親として在った。幸せだったと思う。

 それは一度奪われた。苦しめられ、死んでしまいたいとも思えた地獄では悲しみに似たものに押し潰されそうにもなった。いや、押し潰された。

 でもな。本当に、これは幸運と言うべきものだろうが、また私は、神戸組という家族の中に戻り、それからいろいろあって、お前という大切なものに出会った。それで充分だ。その幸せがあったから、苦しみと悲しみの先に何があっても、もう何をも誰をも恨むつもりはない。


 『……もう、帰れなくても、いい?』


 いいよ。お前が一緒なら、それでいい。今までいてくれたから、構わない。


 『……でも、アキコが帰れないと悲しむひとがいっぱいいる』


 ……まあ、それは…悪いと思う。


 ゲイツ…は、まあ正直どうでもいいが、あいつはあいつなりに、私に対して何か負うものでもあったのかもしれない。付き合いも短くはないから、感謝していることを伝えられないのは、まあ残念だとは思う。


 神崎も、だ。あの小狡い男は、歳も近い友人だと言える。まあ調子に乗るだろうから本人には言えやしないのだがな。


 『そだねえ』


 神戸組。ここに来る時に清三に思わせぶりなことを告げてしまった。寬次も、私がもう帰ることが出来ないと知ったらどんな顔をするのか……不孝な娘だったと思うよ、本当に。


 『じーちゃん、怒ってアキコを迎えにくるよ?』


 はは、本当にやりそうで困るな。ああ、それとケン坊が足を洗うって話だから、祝いをしてやれないのは少し心残りだがな。

 そういえば、祝いの宴をするって話だったな。なんでも今までにないくらい豪勢なメシを作るとかなんとか…。


 『アキコっ!!』


 な、なんだ、突然に。


 『帰ろう!』


 ……はい?


 『ケンのおっちゃんの豪勢なご飯、ピュロスも食べたいっ!!』


 …いや、まあ、私だってそうしたいのは山々なんだが…。


 『帰れるよっ……アキコが、そう強く願えば…ピュロスたちは、みんなのところに帰れるよっ!!』


 ……………今更、だよ。


 なあ、ピュロス。


 『うん』


 …私は、罪を重ねすぎた。捕らえられ、虐げられて、それに耐えきれなくて幾人もの死ぬべきでなかった命を奪った。そう願われたから、なんてのは例え事実であっても、子どもたちを殺したことに違いは無い。

 子供殺しのシンシア・ヴァレンティン。私の過去を知っている連中からは時折そう呼ばれたものだよ。その度に私は、怒りに任せた振る舞いをしたさ。そう言われても仕方がない、って納得したつもりだったのは、結局自分でもそれを負い目に思っていたからさ。


 『…うん』


 食い扶持を稼ぐため、なんてのはお為ごかしだ。その為に人殺しを繰り返したのも事実だ。暗殺者、と自らを任じてみたからって罪が減るわけじゃない。

 だから、もういい。この穏やかさの中で死を迎えるのだって過ぎた処遇かもしれないが、それくらいのことは許して欲しい。お前の存在を抱きながら逝けるのなら、もう何一つ文句を言うつもりはないさ。


 『……ほんとうに?』


 ………………ああ。本当に、だ。もう、思い残すことはない。


 『でも、アキコの帰りを待つひとはいる』


 …………ああ。


 『だったら……アキコは、そのひとたちのために、生きて欲しい』


 ……そんなこと言われてもな。

 大体、もう私はもう死んだだろうが。頭を撃たれてわけのわからない状態でカイルを殺すことは出来たが、結局最後は地下街の崩落に巻き込まれて体はぺしゃんこだぞ?……そういえばお前の方はどうなったんだ?ここにいるってことはやっぱり……んっ?!


 『……ん。アキコ』


 肉体の無い状態での口づけ、なんて人類に許されない真似をされた。


 『ピュロスの肉体は、こころが集まって象られた、ってゆったよね』


 ……ああ。だから?


 『…だから、ね。一度だけ。アキコの肉体も、心によって象ることが出来る。アキコが帰ってくることを願うみんなの心が集って、形になる。だから生きて、みんなに会えるよ』


 ……また未練が残るようなことを言う。そんなことを言われたら決心が揺らぐだろうが。


 『そしてピュロスはね。ケンのおっちゃんのご飯が食べたいっ!!』


 お前は結局それか。その食い意地の張ったところは体があろうが無かろうがお構いなしなのな。


 『ピュロスひとりで帰ったら、ご飯食べられないっ!』


 おい。お前一人なら帰れるのか?それはまた……ああ、だったら私の分も挨拶しておいてくれないか?後のことはゲイツに頼んであるから…。


 『ごちゃごちゃうるさいっ!!…いいからアキコはピュロスと帰るのっ!』


 そう聞き分けの無いことを言ったピュロスの顔は、笑っていたのだろうか。それとも、泣いていたのだろうか。

 意識に捉えられる辺りの光景は、もう光という光に満ち溢れていて、抱き合う少女の姿すら見えなくなる。


 『帰るよ、アキコ。ピュロスと一緒に』


 一緒に、のところをやけに強調する、愛しい少女に手を引かれる。

 その先に何があるのか。知るのが怖い気もする。

 けれどそれは、未知のものに抱いて当たり前の、ありふれた怖れだ。見たことも聞いたこともない世界への怖れが生み出す、些細で臆病な気後れだ。

 だから、私は……その先にあるものを、背中に負った辛いことと悲しいことと共に、心待ちにする。


 ただひたすらに、こいねがうままに。

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