エピローグ

 「じゃー、はじめよ?」


 座り込んで三脚に立てた単眼鏡を覗き、風向きを読んでいたピュロスの声が、耳朶に滑るように入り込む。

 いつものように、その響きは私の口元を容易に綻ばせた。隣で同じように伏せている相棒に気付かれないようにしないと、また後でからかわれることになる。「まーたピュロスのかおにみとれてたんでしょー」とか。

 仕事の最中にそんな真似をするわけがなかろうに…終わった後なら話は別だがな。


 「……ちょいみぎ。あー、まって。かぜがふいてる……まったほうがいいかな……どーする?」

 「待つさ。別に時間に追われてるわけじゃない」

 「んー、でもピュロスおなかすいたし。はやくおわらせよ?」

 「…まったく、お前はそればっかりだな」

 「でもアキコもおなかはすいたでしょ」


 それは認める。何せ仕込みのために現場に入った早朝から、まだ何も腹に入れていないとくるからな。


 「すこしくらいならむりできるきょりでしょ」

 「わかったわかった。ほら、早く済ませたいなら指示をくれ」

 「ん。えーと、まだみぎ。あー、おさまった。んとね、ちょいひだりへー………おっけー」

 「よっ……」


 合図と同時に、引き金を引く。スコープの中に映る標的はこれもまたいつも通り、手が届くようにも思える距離だ。実際には800mはあるが。

 簡単な仕事。けれど、大事な仕事。慎重に事を運び、完璧な手筈を経て最良の結果を得る。


 「……ヒット。よし、今日の仕事~……終わりっ!」

 「おつかれ~」


 対物ライフルの発砲音の残響がまだ轟く青空に、ピュロスのバンザイが万国旗のようにはためいた。

 そして、命中した箇所が破断することで支えを失った、鉄骨が剥き出しになったビルはライフルの発した音に数十倍する轟音と共に崩れおちていった。

 伏射の体勢を解き、胡座の格好でそんな光景を眺めていた私に、ピュロスがぴたとひっついてくる。


 「…ちょっとしっぱい?」

 「おい、失礼なことを言うな。どう見ても完璧な仕事だろうが」

 「でもー、てっぺんのところがまえにたおれちゃってるよ?あとかたづけたいへんそー」

 「う……」


 ま、まあ少しばかり想定より倒れ方が前めなのは確かだが、発破するのに比べれば面倒は少ない……はず……きっと。


 「……お?………えーと、アキコでんわー」


 と、こちらも廃ビルの屋上で首をひねっていると、ピュロスは呼び出しが鳴っている端末を渡してくる。どうでもいいが仕事の電話を受けるのはお前の仕事だろうが。


 「んー、でもくれーむしょりはアキコのしごとだしー」

 「クレームぅ?誰だってんだ…って神崎じゃないか。別にクレームじゃないだろ…もしもし」

 『もしもし、じゃねえよ!もう少し丁寧に仕事しろっていつも言ってんだろがっ!!』

 「うわっ?!」


 通話に切り替えると、常になくドスの利いた怒鳴り声がした。確かに神崎には違いないが、あの野郎以前はこんなに強気じゃなかったんだが。


 「…あー、目的は達した。別に問題はないと思うが」

 『こっちからも見てるんだが…お前開き直るにも程があるぞ。ぶっ壊せばいいってもんじゃねえだろうが。ライフルの使用許可取り消されたくなけりゃもう少し後のことも考えて仕事しやがれ』


 痛いところを突きやがる。というか昔の仕事の時よりもこっちの立場が弱くなってないか?まあ許認可を持ち出されると何も言えない身だが、それでもあの野郎個人にこうまでデカい顔をさせる理由は無いってのに……いや、権力を笠に着て中小の事業者苛めをする、って構図だな、これは。それなら…。


 「……大変申し訳ありません、神崎さん。あの…私も幼い子を養わなければならない身ですし、以後は気をつけますので、今回は何卒ご寛恕願えないでしょうか…?」

 『…っ?!………あ、ああ。わかった…ゴホン、まあ、次から気をつけてくれれば……まあ、いい』


 多少シナを作って憐れっぽく抗議したら、あっさり軟化した。チョロいヤツで助かる。こいつ、こういう生活に疲れた主婦が好みのタイプとか言ってたしな。警察官の女の趣味としてはかなり問題あるが。


 『……しかし、お前本当にシンシアか?声色から口調から全然以前と違うんだが…』

 「何度も会って確かめているじゃないか。まだ疑うのか?あと口調は一緒だ。さっきのはお前の趣味に合わせただけだ」

 『おいちょっと待てそれはどういう……いや、実際に対面したから尚更信じられねえんだよ…整形したにしてもほぼ別人じゃねえか』

 「医者の腕がいいんだろ」


 仕事が片付いたとあって、雑談モードの会話になる。以前であればこんな話もどこかピリピリした空気の中でしていたものだが、今は茶店でケーキでも食べながらノンビリとしている風ですらある。

 以前と違う、ということで言えば、神崎の言う通りに私の外見も大きく変わった。変わったというか肉体をまるごと作り直したのだが。

 クセのある赤毛の長身に年甲斐もなくソバカスの残る白人女、ではなく、今の私は身長こそ平均よりは高めだが、黒髪をショートボブにまとめたどこからどう見ても日本人の女、というナリになっている。体にあった火傷の跡も一切残っていない。美人かどうかは意見が分かれるところだが、その辺は体を構築してくれたピュロスの趣味に合わせてもらったから、まあ目立たない程度には綺麗めな方に入るのだろう。

 心は肉体の有り様に縛られる、というピュロスの言葉に従うのであれば、今の私はかつてのシンシア・ヴァレンティンとも権田原明子とも別の存在なのだろう。実際、今はそちらではなく神楽暁子と名乗っているのだしな。

 だが、記憶はシンシアのままだし、その時に抱いた心の延長に今の自分があるという自覚も失っていない。全く同一ではないにしても、正しくシンシア・ヴァレンティンを続けていることに違いは無いのだと思う。肉体の有り様の変化に伴って心も移ろうにしても、それだってシンシアの続きだ。私は私のままで、在る。


 『……まあいい。で、次の仕事だが』

 「どうでもいいが、なんで警察とは関係無い仕事をお前が取り次ぐんだ?直接業者から連絡を寄越させればいいだろうが」


 そして、私の外見が変わったこと以上に大きい変化といえば、こうして殺し屋からは足を洗ったことだろう。

 ただ、私に出来ることと言えば銃器や爆発物の扱いくらいしかないから、発破や大口径の対物ライフルを使った破壊作業を請け負うのが主なのだが、当節取り壊さなければいけない古い建築物は少なくなく、仕事としては比較的順調、といったところだ。少なくとも私一人と大食らいの被扶養者を食わせていくくらいなら、困ることもない。

 困ることとなると、合法的に対物ライフルなんぞを使うとなると官憲のお目付が必要となるところであり、それ故に神崎との腐れ縁もなかなか切れないのが、少々頭の痛いところではある。

 何故かって?最近アイツ、何かにつけて直接顔を合わせたがるので鬱陶しいんだよ。


 「それはねー、かんざきのおっちゃんはアキコをくどこうとしてるからだよ?」

 「そうなのか?」

 『違うわっ!』


 横で通話に聞き耳をたてていたピュロスが、向こうにも聞こえるように物騒なことを言った。私としてはまともに男に言い寄られたことは無いので新鮮な体験だとは言えるが、幼い愛人を持っている身としては勘弁プリーズ、ってものだ。


 『……別にそんなんじゃねえよ。ただまあ……なんだ、その……ああ、そういうことだ』


 どういうことだよ。語るに落ちるにしても程があるだろう。

 ま、友人付き合いをするには割と退屈しない相手ではあるしな。これからもよろしくやっていける程度にはいい顔をしてやろう、と我ながら酷なことを思いながら通話を切った。


 「んー………っ、と。よーしピュロス。帰ってメシにするぞ」

 「らじゃ。おかたづけおわってるよー」

 「よしよし。頼り甲斐のある相棒がいて助かるよ」


 立ち上がって伸びを一つ。傍らの相棒は既に帰り支度を済ませていた。殺し屋時代と違ってこっちのして欲しいことを全部先回りしてやってくれるような手際の良さだ。それを褒めたのは素直な感謝の表明、というものなのだが、言われた方は何やら面白くないようで、立ち上がった私に口を尖らせてこんな可愛い抗議をする。


 「あいぼう、じゃないよ。ピュロスはアキコのおよめさんだよ?」

 「それ、神崎の前では絶対に言うんじゃないぞ」


 冗談にしても…いやまあ、冗談ではない部分もあるのだが、ともかく警察に聞かれると後ろに手は回らないにしても、しばらくの間少年係の警官と深刻な顔で面談しないといけなくなりそうだからな。

 そんな私の心配事など知ったことか、みたいな顔で、言いたいことを言ったピュロスは荷物を背負ってまだ埃の舞っている中、廃ビルの屋上を後にする。

 私は振り返って今し方仕事を済ませた跡をもう一度眺めた。

 特に思い入れがあるというわけではないが、それでもゲイツのかつての仕事場だ。あいつ、今頃どこで何をしているんだろうな。要領の良い奴だから生きてはいるだろうが、マフィアだのヤクザだのとの付き合いを絶った私にはそうそう連絡もとれる相手ではないのだし。


 「…ま、どうせ会ったところで私だとは気付くまいが」


 軽く肩をすくめ、ピュロスの後を追う。腹を空かせたあいつから目を離すと何を仕出かすか分かったものじゃない。早く捕まえて…と思ったら、屋上の階段室のところでこちらに向けて両手を振っていた。


 「アキコー!じーちゃんからー!」


 振り回す手に端末を握っていたから、きっと寬次から電話でも来たのだろう。相変わらず元気な爺いだ。

 先日も神戸組を引き払った後の狭くて古い家にピュロスと訪れた時、酔いに紛れて「いつまで生きるつもりだよ」と言ったら、「孫の顔を見るまでは死ねるかい!」とサソリ固めをかけられた。あの調子では私よりも長生きしそうだ。


 「どうせ明日の話だろ?!話があるならその時にしろとでも言っておけー!」

 「わかったー!」


 まだ声を張り上げないといけない距離で、言伝を預ける。明日はケン坊が修業先から独立して起こす店の開店祝いだ。元神戸組のヤクザな顔ぶれが集まるばかりで、他の客やケン坊に悪い気もしたのだが、どいつもこいつも「構わん構わん」と気にした風もなかった。少しは気をつかえ、と叱りつけたら揃って「お前が言うな」と言われたものだ。失礼な話である。


 「うん、わかった!ピュロスたのしみにしてるからねっ!」


 のんびりとピュロスに追いつくと、ちょうど通話が終わったところのようだ。端末を操作してるピュロスより先に階段を降り始めると、ちょこちょこと小走りに追いついてきたピュロスが並んでくる。


 「親父の奴、何だって?」

 「えとね、あしたのケンのおっちゃんのえんかい、しゅうげんにするからきかざってこい、だって」

 「………………なんて?」

 「だから、アキコとピュロスのけっこんしきをしてやるから、たのしみにしてろ、ってゆってた」


 祝言にするから着飾ってこい?結婚式をする?誰と誰の?私とピュロスの?

 ……冗談にしても悪質に過ぎるだろうがっ!!おい待て、確かに私とピュロスの関係的なアレは連中も知っているはずだが……いや、なんだそういうことじゃない、とにかく!


 「……おい、お前意味分かっているのか?」

 「わかってるよー。アキコとピュロスはずぅっと、いっしょ!!そゆこと!」

 「…いやまあ、それについて反論する気は無いんだが……」

 「じゃあいーじゃん」

 「……いや、その意味においては確かに間違いは無いというか文句もないんだけれどな、でもなピュロス…」

 「ええい!アキコはぐちぐちうるさい!ピュロスといっしょじゃだめなの?!」

 「だからそれに文句はないと言っているだろうが!」

 「じゃあいーじゃん!」

 「………」


 同じ言葉で私を黙らせようとし、そしてやっぱり私は逆らえなくなる。

 何かから目を逸らして生きていた私の前にこいつが現れてから、何もかもが変わった。

 それには良いことも良いとか必ずしも言い切れないことも、一緒についてやってきた。


 ヒンヤリとした階段の踊り場で頭を抱える。

 何をどう考えても、私はこいつのことが大事だ。口幅ったいことを言えば愛してもいるし、失いたくはない。


 「アキコ。しゅうげんっていのはね、みんながアキコとピュロスがいっしょにいることを、おいわいしてくれることなんだよ?」


 体裁だとか体面だとか、どうでもいいことで悩む私の手を握って見上げてくる。

 その締まりのない、にぱー、とした顔を見ていると…。


 「アキコ?……うひゃぁっ!」

 「ああもう、どうにでもなれっ!おい、面倒だからこのまま親父の所に行くぞ!祝言が明日だってんなら、今日から宴会だ!!」

 「おおー、アキコがいなおった」

 「うるさい!」


 …こうしてやりたくなり、ピュロスを引っ張り上げていわゆるお姫さま抱っこの体勢になる。


 「むふふふ…じゃああすのよるはしょやをむかえようねっ!」

 「何処で覚えたそんな言葉っ?!」


 そしてそのまま階段を駆け下りる。

 いつぞや、私に向かって飛び降りて来た時も思ったが、こいつの体は妙に軽い。

 けれど、その軽さに反比例して、私の生き方にとっては途轍もなく存在は重くなった。

 その重みを確かめ、そして噛みしめるように。

 互いの顔に自然と浮かぶ笑みを隠しもせずに、私とピュロスは光差す明るみの中へ、駆け出していく。

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