第23話・裏事

 大体、神戸組に来たのは正月を堪能するためではない。

 いやもちろん元旦は組員から年始のアイサツなんぞ受けながら、ピュロスと並んでケン坊の仕込んだおせち料理なんぞ食らっていたが。なんで暴力団の構成員なんぞが完璧な伝統形式のおせちを作れるのか意味不明だ。


 「じーちゃんありがとね!」

 「おうおう、ポチ袋を孫に渡す喜びを得られるたぁ、儂はもう思い残すこともないわい。ほれ、ムサい野郎ばかりじゃが、あっち行って遊んでもらってこい?儂は明子とちぃっと話があるんでな」

 「うん!アキコ、かえりにおようふく買いにいこ?」

 「正月からやってる店なんか無いと思うがなあ…」


 それでも、衣服で着飾るということを覚え始めたピュロスを微笑ましく思えることは否定しない。私は、組員連中が双六だの福笑いだのといった、正月の遊び道具を用意して待ってる部屋に向かい駆け出していくピュロスを大層締まりの無い顔で見送るのだった。


 「…で、今回は何しに来おった」


 そんなピュロスの姿が消えると、寬次はあっさりとヤクザの親分の顔に戻り言う。


 「おめえがうちを遠慮無く便利遣いする時ァ、大抵ロクでもねえ事態がある時だ。一体今度は何をやらかしやがった。あん?」

 「私が悪いみてぇに言うんじゃねえよ。気になることを確認しに来ただけだ。大体、調べものならお前じゃなくてデータベースの方を借りるってんだ」

 「コンピュータに触らねえ、ってんなら人間サマの勘と経験に頼りたくなった、ってェことかい。悪くねえ判断だ。で、何があったよ?」


 コタツに入って間にミカンの入ったカゴを挟んでする話にしては物騒だとは思ったが、先日の警察の依頼の件を話して聞かせる。

 特に、警察関係者がターゲットに混ざっていたと思われたことを、特にだ。


 「……ま、珍しい話じゃねえ」


 一通り聞き終えると、寬次は顔こそ難しげなままだったが、拍子抜けしたような口振りで事も無げにそう言う。


 「そうなのか?」

 「サツが粉屋の手先になる、ってこと自体はな。おめえの依頼主がそれと知って外部のお前に始末させようとした、ってのは若干引っかかるが、まあ内々で処分したい、ってのは昔っからよくある」

 「…押収品の横流しでもしてたってワケか?」

 「ドラマじゃあるめえし、そうじゃねえよ。そいつぁちっとばかり本職の粉屋を甘く見過ぎだ。現実にはな、サツの、かなり重要な地位にいる連中の家族だの身内だのをネタに脅して協力させる、ってえコトが多いな」

 「………」


 寬次の言い回しはかなり穏便に抑えた表現だ。

 私だって日の射さない世界で生きる身だから、そこまで言うのならばもっと残酷な行為が横行しているだろうくらいは想像がつく。脅す、などと言っても警察の人間に家族の写真を見せて「かわいい娘さんじゃないですか」などと穏やかに告げる、なんて生ぬるいものじゃない。

 娘がいたならとっくに多人数で手込めにして、その証拠を世界中にバラされたくなければ、くらいのことはしているのだろう。


 「ま、おめえはこんな世界にいるにしては目も耳も綺麗に保ってる方さ。だが現実はそんなツラをおめえにさせるような真似が実際に横行する世界だ。だからあまり入れ込むな、アホ」

 「アホはねえだろう」

 「…だな。おめえは人殺しでメシを食うにはちっとばかり……いや、なんでもねえ。それより気になるのはアシッドレインの方だな」


 どんな顔を私がしたのか分からないが、こっちを見ていた寬次は目を逸らして話を変える。こうなったことを今更恨む気なんざ無いんだがな。


 「話くらいは聞いている。昔気質のヤクザ者、大陸のマフィア連中。老舗の粉屋。どいつもこいつもアレには迷惑してるな」

 「そりゃそうだろ」


 何せ、一回目でパーになり、二回目で確実に死に至るクスリだ。堅気を中毒者に仕立てて金を毟りとろう、って連中にはさぞかし迷惑なブツだろうよ。

 吐き捨てるように言った私を面白そうに見ながら、寬次はコタツの上のミカンを手に取った。


 「どこのどいつが流行らしてるのか。生憎ウチは粉屋と親しくお付き合いしてるわけじゃねえから詳しくは知らねえが、調べても調べても一定のところでいつもお手上げになる」

 「一定のところ?」

 「おおよ。大体想像つくだろうが……おい、えれぇ酸っぺえじゃねえか。誰だこんなモン持ち込んだのは」


 皮を剥いたミカンを半分に分けて一口で呑み込んだ寬次が、顔をしかめて文句を言っていた。

 私は、寬次が言いかけた言葉の内容が確かに想像つき、口の中の気持ち悪さを洗い流すために寬次の手からもう半分のミカンを奪い、同じように口にする。確かに酸っぱかった。

 顔をしかめた私を、何故か気の毒そうに見ながら寬次は続ける。


 「……サツだよ。アシッドレインの入手経路、バイ、金の流れ。どれを追ってもサツの処に行き着く。何だかんだ言ってもこの国はまだ法が大部分を支配してるいい国だ。その目を掻い潜ってサツを完全に出し抜くなんてぇ真似は簡単にはいかねえ。粉屋も迷惑には思いながら、まだ目に見えて連中の財布に害はねえから、無理をするつもりは無いらしい。大陸の連中は…ま、粉屋以上に親しくはねえが、むしろおめえの方が詳しいだろ」


 確かにな。私の一方の顧客は主に中華系のマフィアだ。肩入れするつもりは無いから目の前の仕事と無関係の話をしようとは思わないが、この調子じゃあいずれアシッドレイン絡みのネタが舞い込んで来ることも無くはなさそうだ。

 そんな風に考えこんでいたら、寬次はまた私を驚かすようなことを言う。


 「ゲイツ、とか言ったか?おめえの代理人はよ。そっちにこのネタ垂れ込んで反応探ってみてもいいんじゃねえか?気になるんならよ」

 「…油断も隙も無いな。なんで私の代理人のことなんぞ知ってる」

 「くくっ、耄碌しても日本最後の任侠だぜ。あちこちに耳くらいあらあな」

 「耄碌ねぇ…」


 耄碌したジジイが組の若手相手に取っ組み合いとか、冗談にしても出来が悪いものだ。


 「信じられねえってんなら、久々に一発カマしてみるか?今なら勝てるかもしれねえぞ」

 「遠慮しとくさ。耄碌してるってんなら現役の私が相手するのも気の毒ってものだ」

 「なかなか言うじゃねえか。いや別に組み討ちをしようってわけじゃねえ。札はどうよ」


 花札のことだ。サシでやるならカブも悪くない。お年玉をもらうような歳ではないが、実力で巻き上げるのは吝かじゃない。


 「…いいだろう。遺産なんぞ受け取るつもりは無いが、真っ当に勝負した上で身上を巻き上げる分にはこっちも心が痛まずに済む。受けて立とう」

 「おいおい、勝ち目が出てきた途端に強気じゃねえか。老いたりといえモノホンのヤクザを舐めんじゃねえぞ?賭場でのことで簡単に負ける気はねえからな」

 「そっちこそ、耄碌したなんてのがブラフじゃないことを期待しているからな」

 「言いおるわ、ガキが」

 「ほざけ、クソジジイ」


 互いに悪党の笑みを交わし、コタツの上のミカン篭を降ろす。

 寬次は部屋の隅の書棚から花札を持ってくると、熟練の技でそれを捌き始めた。私が子供の頃から見慣れた光景だ。


 「いくら握るよ?」

 「好きなようにしろ」

 「いい度胸だ」


 そして寬次の示したレートは……正直言ってフリーの殺し屋には少々どぎついものだった。だが、言い出しておいて今更引き下がるわけにもいかない。

 耄碌した、という言葉に偽りが無いことを願いつつ、場が開いたその時だった。


 「うわぁぁぁん!じいちゃぁぁん、アキコーっ!」


 襖をガラリと開け放ち、いつもの舌足らずなピュロスの声が響く…いや、少しばかり泣き声も混じっていただろうか。


 「お、おう、なんじゃピュロ坊。おめえが泣きついてくるたぁ珍しい」


 駆け込んできたピュロスは、私のもとへ…ではなく寬次の隣に座り込んで、これは私も初めて見る泣き顔で訴える。別に悔しくも羨ましくもないぞ。


 「あのね、あのね……じーちゃんにもらったお年玉……とりあげられちゃったの……」

 「あん?……おい、儂の可愛い孫にそんな真似をしやがったは命知らずは何処の何奴だ。儂が成敗してくれるから言うてみ」

 「えとね、おへやであそんでたら、おかねかけよー、っておはなしになって。それでピュロスまけちゃって、おかねないからじーちゃんにもらったお年玉で……」

 「あんの馬鹿ども何考えてやがるっ!」


 床の間に飾ってあった虎徹(多分、贋作だと思う)を握り、皆まで聞かず寬次は耄碌したとは絶対に思えない足取りで、広間に向かって駆け出していった。

 残されたピュロスが半泣きで私に語ったことによると、要するにただ双六をするのも面白くないということで、若いのが賭けを始めたのだという。よく分かっていないピュロスは言われるままにそれに従い、あっさりと負けた。

 多分金を払えー、などというのもきっと連中なりのヤクザジョークだったのだろうが、真に受けたピュロスは唯一持っていた現金であるところのポチ袋の中身を…。


 『お、おやっさぁんオレらはマジに金を取ろうだなんて…』

 『ド喧しいわこの腐れ外道共が!大人しく虎徹の錆になりやがれェッ!!』

 『オヤジ落ち着いてくだせぇ!!』

 『ぎやぁぁぁぁぁっ?!』


 …なんとも物騒なやり取りがどこか遠くで聞こえる。

 子供のお年玉を巻き上げたのが神戸組崩壊の原因でした、なんて話にならなければいいがな、と思いつつ、きょとんとしてる涙顔のピュロスに「別にお前が悪いわけじゃない」と言って聞かせる私だった。




 私は暗殺者アサシン

 正月は……まあ、愉しかったと言っていいのだろうな。

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