第24話・追跡
普段幼児というか児童と戯れるばかりの日常と思われてはたまったものじゃ無い、というわけではないが、正月で大分鈍った体を叱咤して、こうして我が身を追い込んでいる。
「アキコー、ちょっとさむいねー?」
いや、お前。これがちょっと寒い、で済むのか?最低気温がヘタすれば氷点下二十度を下回るってのに、「ちょっと」寒い?
「アキコがさむがりなんだよ。からだうごかすとあったかいよ?」
「………いや、あのな。お前は知らないだろうけどな。冬山登山てのは恐ろしくカロリー消費する、相当激しい運動なんだぞ?」
「そうなの?じゃあごはんがおいしくたべられるね!」
「………お前が作ったものじゃなければな」
南アルプスのとある山に、入山届も出さず入山して四日目。幸い天候には恵まれ、今のところは無事でいる。
それにしてもピュロスの格好ときたらだな。こちらは頭の先からつま先まで完全装備でいるというのに、コイツはなんなんだ。いつもよりは多少厚着だが、それでも一番上が小学生が登校の時に着るようなダッフルコートだぞ?足下に至ってはアイゼンを装着した冬用の登山靴どころかスニーカーだ。山を降りる頃に指が全部無くなってても知らんぞ、ったく。
「やまでたべるごはん、おいしいとおもうけど」
「真夏のキャンプじゃあるまいし、冬山のメシなんざ体動かすエネルギーの補給でしかないんだ。旨いの不味いの言ってる余裕なんか無い。それより天気が変わる前にもう少し登るぞ。低気圧が接近してるらしい」
「らじゃ。アキコ、つかれたらおぶってあげるね?」
「むしろ逆にならないことを祈るよ、私としては…ったく」
そもそも、こうして冬山登山なんぞをするのにどうしてコイツがついてきているのかというと、それは例によって出先も告げずに仕事を始めたら、いつの間にかこうして後にくっついてきていた、というだけのことだ。
いつものこと、と言えばいつものことなのだが、場所が場所だけに放っておくわけにもいかない。滑落でもされた日には巻き込まれて一緒にお陀仏、なんてことになりかねん。
後から付いてくるピュロスに聞こえよがしに、大きなため息をつく。背嚢に固定したケースの中のSIG SG550が妙にクソ重く感じた。
「…見つけた」
「どれどれ?」
「どれどれ、じゃない。頭下げろ。折角岩場で追いついて身を隠すところがあるんだ」
冬山には珍しく、岩の露出した斜面で標的を見つけた。
幸いにも天気が悪化する前のことだ。悪化どころか空は雲一つない快晴だ。仕事でなけりゃあ、神さまに感謝の一つでも捧げたくなるほどだ。
「どうするの?」
「…オーダーは、なるべく事故を装えって意向だ。最悪狙撃もするが、もう少し天気が悪くなるのを待った方がいいかもな」
「ふうん。おてんきはいいほうがいいのにね」
「全くだ。天気が悪い方が良いなんてのは、悪党だけさ」
「あめがふらないと、おやさいそだたないよ?」
折角渋く決めたところを混ぜっ返すな。
…と言おうとして口を閉ざしたのは、百メートルばかり先をピッケル片手に登っていた標的の男が立ち止まったからだ。
気取られたか?と伏せた体を固くすると、男はゆっくり振り返り天を仰ぐ。どうも天気の良さに感動でもしたらしい。
その点はこちらと大差無いな、と嬉しくもなんともない気分になっていたら、男はそのまま腰を下ろし、今度は眼下の光景を見下ろしているようだった。
眺めが良いのは分かりきっている。だがこっちは振り返ってるヒマなんざ無い。お前と違ってこっちは仕事中なんだよ、と毒づきながらもこちらに気がつかないよう、祈っておく。
「アキコ、どーするの?」
「死体が発見された時に死因が分かると拙い。岩場で滑落でもしてもらうのが一番なんだが」
岩石がところどころ出っ張った所を滑り落ちでもしてみろ。とんでもない速度で岩に打たれ、捜索隊が見つけた頃には死体はグズグズさ。銃創と岩でついた傷の区別なんざつくはずもない。
もっとも、そんなに都合良くいくわけもなく、二年くらいは遺体も発見出来そうにない場所で始末するというのが現実的ではある。それなら見つかった頃には骨だけだ。ただ、疑り深いヤツが丹念に調べれば銃で撃たれたことはバレるだろう。
だったら、ストーキングでナイフを使うのが最善か。いや、人殺しに最善もヘッタクレも無いのだが。
「天候が悪化するのを待つのがベターだな。視界が悪いところを接近してズブリ。あとは死体を蹴り落として身元不明になってもらおう」
「おっけ」
幼女にするにはまた随分と物騒な話だ。
だがピュロスはのほほんとした緊張感の無い顔で、私の提案を受け入れていた。
腕時計に装備された気圧計を確認する。変動のログを呼び出すと、順調に気圧は降下していた。間も無く空が、荒れてくる。
私は
子供連れで雪山登山をする暗殺者など、世界に他にはいないだろうが。
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