第21話・暗転
思い出すと、吐き気が止まらない。
先日、神崎経由でもたらされた警察の…あまり公に出来ない筋からの仕事をした日。その時以来、ずっとだ。
思い出すだけで……くそ、私の体はこんなにも脆弱だったのか…いや、体の問題じゃない。精神的に受けた打撃は斯くも自分の体を打ちのめし、そして数日経った今でも、その時のことを思い出すだけで震えが起こり、手足は痺れたように自分の意のままにならなくなる。
しばらく籠もっていたトイレから這い出て、そのままベッドに辿り着く。
内臓が揺すぶられるだけで空の胃が悲鳴を上げた。今し方、中身を全部ぶちまけたところだろうが。胃液しか出なかったが。
「……アキコ?」
流石に。本っっっ当に流石に、ピュロスが心配そうに声をかけてきた。
いつもと同じ、少し鼻にかかった舌っ足らずな声は、こんな時でなければ苦笑しながら頭の一つでも撫でてやりたくなるところなのだが……。
「……だいじょうぶ?」
「………」
いい歳をしてガキっぽい真似だとは思うが、ベッドの端に頬杖ついてかわいく小首を傾げた仕草を無視し、私は毛布を巻き込んで背を向けた。胃が痛い…。
「アキコー…あのね」
話しかけるな、という露骨な態度にもめげず、ピュロスは私の背中にのんびりと声を投げかける。くそ、頼むから今は黙っててくれ。お前の顔を見ると……。
「ピュロスね、ちょっとアキコだらしないとおもう。あれくらいでねこんだり、ピュロスの顔みてトイレにかけこむとか、ちょっとしつれいなんじゃないかな」
「お前の作ったメシでこの有様になってんだろーがっ!!少しは反省しやがれこのドアホッ!!」
「わぁっ?!」
胃の痛みをものともせず立ち上がり、ベッドの上で仁王立ち。
立ち上がった勢いに煽られてピュロスは縦に二回転して部屋の端に転がっていっていた。
…そう。つまりはそういうことだ。
兎にも角にも覚悟を決め、襲撃者が時間と空間を操ったとしか連中には思えなかっただろうタイミングで彼のビルを飛び回り、ほぼ完璧な仕事をしてのけた。
最後は火を放ち、警察が介入する口実まで作ってやった。
神崎は私の過去最高(少なくとも警察からの依頼でやった仕事としては、そうだったと今でも思う)の仕事っぷりを呆れつつもヤツらしく控え目に称賛し、これで日本国内でのアシッドレインの蔓延に一定の歯止めは掛けられるだろう。
そして、ザマァみろ、という気分でピュロスの待つセーフハウスに戻った私を待ち受けていたのは………深淵から召還された、何か、だった。
「ぶー、ぶー。アキコがおなかすかせてるとおもってつくっておいたのに」
「……せめて有機物が接触しても害の無いものを作ってくれ。あれは地球上に存在していい物体じゃない…絶対……」
部屋に立ち込めていたおぞましいナニかの気配、としか言い様のないものに出迎えられ、ドサリ、と仕事道具の入ったボストンバッグを取り落とした私を、満面の笑みで迎えたピュロスが得意げに見せた「アレ」のことを、私はもう思い出すことはない。
口に入れた端から、味も、臭いも、触覚も、視覚も、そして何故か聴覚も侵され、気がついたら便器に頭を突っ込んでいた。
酒を呑んだことの無いヤツが作った密造酒を飲んだ翌朝の二日酔いの三十倍くらい酷い気分の私を前に、「ぜんぶたべてくれたよアキコ!」と、ピュロスが嬉しそうにしていたのが救いと言えば救いなのだろうが……もう、二度とコイツにメシなど作らせては、いけない。アレは人類を滅ぼすために生み出されたナニかだ。確実に。
私は
仕事に必要な、体を鍛える術は知っている。だが、胃を鍛える方法は知らないので、誰か教えて欲しい…というよりメシを作る時は味見を必ずしろと誰かピュロスに教えてやってくれ!!
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