第20話・祥喝
『大体、今のSATはMP5なんざ使ってないぞ。もう二十年も前にMPXに切り替えてる』
そんなことは分かっている。
H&K MP5は、世界の警察特殊部隊の装備を一変させた稀代の名銃で改良も重ねられ、性能は今でも通用するし、銃器としては最も重要な信頼性も十分だ。
とはいえ、開発されてから既に百年経ち、現場に要求される仕様が銃に合わなくなってきたため、大半の国の警察では第一線から退いて久しい。日本の警察にしても、神崎の言う通り、後継機種と言ってもいいSIG MPXに切り替わっている。
だが、私のような頭の固い連中の中にはMP5を信仰して止まない者も少なくなく、SATの一部部隊ではしつこくMP5を使い続けており、実際にそんな頑固者と話をしたことだってある…まあ、酒場での話だから半分に聞いておいた方がいいが。
「一度体に馴染みきった装備ってのは、そう簡単に替えの効くものじゃない。あの動きはかなり長い間そいつを使い続けてきた者特有のものだ」
『MP5は確か中国製のコピー品が出回っていただろう?それじゃないのか』
「可能性は否定しない。ファイバースコープ越しに見えただけだしな」
優秀な兵器にはありがちなことだが、MP5にもコピー品が存在する。相手が中華マフィアだとすれば中国製のコピー品を扱い、そして神崎の言う通り、私がそれと見間違えたということも確かに考えられる。
だが。
「だが、足運びや気配の消し方は間違い無く警察や軍の訓練を受けた者のそれだ。しかも日本のな。大陸の軍閥やマフィアの連中のものとは違う。銃の種類だけで言ってるわけじゃないんだ」
『……お前がそう言うならそうなんだろうな』
神崎は捜査経験こそ豊富で身のこなし方から対象の素性を推し当てることも可能だろうが、現場を見ていない限り私の言い分に反駁出来る材料は無い。
『どうする?現場判断で撤収しても構わないとは思うが』
「お前がそう言ってくれるのは助かるが、私の言い分なんぞを依頼主が聞くとも思えない。こっちが勘付いたと知られれば、消されることもあり得るだろうな」
『勤め先がそこまでえげつない真似するとは思いたくねえもんだけどな。じゃあ続けるか?』
「それしかあるまい。何も気がつかなかったフリをしてな。あとはお前が黙っていればそれでいい」
『………』
ヘッドセットのイヤホン越しに息を呑む音が聞こえる。
神崎は雇われ暗殺者の私に便宜を図って対価を要求するような、警察官としては小悪党に属するが、酷薄無比な犯罪者、というわけでもない。人間らしいだけ、とも言える。
だから、仕事上の付き合いの短くない私に、それなりに感情移入してはいるだろう。こっちはそれを分かって利用している分、悪党としてはヤツの上をいってる自信はあるが。
『…しゃあねえ。お前が転落したんではこっちも先が無くなる。一蓮托生だと思って覚悟を決めるさ。で、どんな状況だ』
数分前に一人斃した後、殊の外広い天井裏を静かに跳ね回って今は、人気の無い倉庫に降りている。もらった建物の見取り図によれば、取り引きがされると思われる部屋の階層の、一つ上。件の部屋はご丁寧にも上にも下にも逃げられる三階だからここは四階の、ということになる。一つしか無いはめ殺しの窓から逃げるのは、少々骨だ。
『そうか。どう攻める?』
「床下に潜り込んで下層の天井裏に、ってのが一番簡単だが、さっき覗いたらキッチリ見張りがいやがった。人手に恵まれてるようで羨ましい限りだよ」
『嫌味を言うんじゃねえよ。しかし、既に三人消したってんならとっくに騒ぎになってると思ったんだがな』
神崎の指摘はもっともだった。
この仕事の最低限の達成目的は取り引きの妨害だ。アシッドレインの現物が持ち込まれているのも確認しているから、市場に流れるのを遅らせる効果はある。
そのつもりで、侵入者が紛れ込んでいることを誇示するような真似を敢えてしていたのだが。
「そんなにこの取引が重要なのか、こっちが舐められているのかのどちらか、か。どう思う?」
『どう思う、と言われてもな。俺の耳に入ってる話なんざ、お前に伝えたもの以上のもんじゃねえし』
役に立たないヤツだ。
『うるせえよ。それより現場の天井裏に見張りがいるってんなら、そいつをどうにかすればいいんじゃねえのか。暗視スコープくらい持ってるだろうが』
「簡単に言うな。取引の時間まで隠れてるってのも簡単じゃないんだ」
『お前がそういう言い方する時はその手を考えていないこともないってことだろう?なんとかしろ』
くそ、付き合いが長いってのもいいことばかりじゃないな。見透かされて無茶振りしやがる。
…神崎の指摘で、装備の確認を頭で済ませる。
MP5にCz75。ナイフは勿論持っている。嵩張るので躊躇はしたが、揮発性の薬物の詰め込まれた場所に突っ込むなら仕方ない、とガスマスクも持参。
あとはパイナップルが三つとスタングレネードが二つ。MP5のマガジンはあと…五つか。
「神崎。取引の時間は確かなんだな?」
『ああ。その情報を入れるのに捜査員が二人命を落としたらしい』
「…それで私の義侠心が揺さぶられたりはしないぞ」
『期待はしねえよ。ただ、お前が今やろうとしてることを自分たちでやれないことで悔しがってる連中は少なくねえ。それは覚えておいてくれ』
「………」
表社会の顧客。
裏社会の顧客。
どっちの利益を考えても、この仕事は悪くない話だ。アシッドレインは、形はともかく社会から利益を得る人間にとって、都合の悪い存在だ。
「……やってみるさ」
『……頼む』
警察と殺し屋の会話としてはえらく湿っぽいな、と苦笑しつつ、通信を切ろうとした。
が。
『アキコきこえてるっ?!』
「…っ?!」
その時、耳元から聞こえて来た素っ頓狂な叫びに思わず周囲を見回した。誰かに聞かれたりしなかっただろうな?!
『お、おいお前どこから入って……ぐわばっ?!』
「神崎?…おい、どうし…」
こんな状況だ。まさかヤツの方に襲撃でも、と一瞬焦った私だったが、どこか間の抜けた叫び声に続いて聞こえてきたのは、予想もしなかった声。
『アキコぶじ?いきてる?』
な、なんでお前が割り込んで……。
『うんとね、なんだかアキコがしんぱいだったから、きちゃった』
「来ちゃった、ってお前なあ…そこは神崎にしか場所教えてなかったのになんでいるんだ…」
警察の仕事の時に神崎に使わせているセーフハウスだ。私は自分で入ったことは無いし、当然ピュロスに場所を教えてもいない。今日は本気でヤバい仕事だから、一番安全なハウスで大人しくしてろと言ったのになあ……。
『アキコ、むちゃしたらダメだからね?ピュロス、ごはんつくってまってるから』
「メシなんぞお前作ったこと無いだろうが…帰ったら何を食わされるんだ」
『それはたべてからのおたのしみ、っていう?』
「やかましい!……とっと…」
状況も弁えずかました激しいツッコミに、我ながら胆を冷やす。意味も無く手で口を覆って、部屋の外の気配とすぐさま潜り込めるよう、降りてきた点検口を見やった。幸い気付かれた様子は無い。
危うく命を落としかけた私は、その元凶に忌々しく声をかける。
「…お前、大人しくしてると言っただろうが」
『いったけど、アキコほっとくとはいってない』
全く、何処の何奴だ、このガキにこんなこまっしゃくれた物言いを教えたのは。
多分それは自分のことだろうが、高いところにある心の棚の上に諸々を放り投げて言う。
「……まあなるべく早く帰るさ。メシが冷めないうちにな」
『それしぼうふらぐ、って言うらしいよ?』
「お前は私を無事に帰したいのかそうでないのか、どっちなんだ」
まあいいさ。こんな場所で聞けるはずのない声を聞いたお陰で度胸は据わった。
目出し帽の下にあるだろう、自分の獰猛な笑みの存在をそこに感じ、私はゆっくりと立ち上がりMP5を握る。
私は
しばらくの間、できるだけメシは家で食べることを心がけようと思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます