第14話・醒覚

 目が覚めると朝だった。

 ……いや、少し混乱してる。私らしくもなく。

 何せ、だ。


 「ん~~~……おあよ、アキコぉ…」


 鼻先がくっつきそうな距離に、こちらはまだおねむに半分足を突っ込んでいそうな子供がいたからだ。

 いやちょっと待て、確かに昨夜はいろいろクタクタになって現場から二番目に近いセーフハウスにどうにか潜り込んで唯一シャワーのついてる部屋だったから熱いのを目一杯浴びてそれでメシも食わず酒も呑まず、そのまま毛布に包まり寝付いたはずだ。

 その間ピュロスは何をしていた?


 「んー?アキコずーっとだまったままでいたんだもん。死んじゃうんじゃないかとおもって、いっしょにねた」

 「とんでもないことを言うな、おい…ったく」


 二人で分け合っていたらしい毛布をピュロスにかけてやって、一人でベッドから降りる。スプリングがギシリと鳴ると同時に、サイズ大きめのタンクトップの肩紐がずりおちていた。

 半地下の隠れ家には窓が一つも無く、そのせいもあってかひどく湿っぽい。八畳間サイズの部屋の片隅に置いてある除湿機の電源を入れると、早速ガタガタ鳴って仕事をし始めた。

 一脚しかないテーブルの背もたれに引っ掛けたジーンズを穿くといくらか気分はよくなる。となると、次に来るものは決まっているだろう。


 「…メシにするが、何か食いたいものはあるか?」

 「どーせアキコのことだからかんづめしかないでしょー」

 「レトルトもあるが?」

 「そーいういみじゃなーい!もーちょっといいもの食べさせろー!えい!」

 「っと」

 「わふ」


 飛んできた枕を頭突きで迎撃。打ち返されたそれが狙い過たず、ピュロスの顔面にぶち当たると、妙な鳴き声を立てながら後ろにひっくり返っていた。


 「なにするのアキコはもー」


 手酷く反撃を食らったにしては屈託無く、ピュロスはきゃっきゃと笑って体を起こす。昨夜起きたことを思うとえらく平和なことだ。人ひとり殺して夜が明けたばかりとは思えないな、全く。


 「ふん、本職の狙撃手を舐めるなよ。狙いを外さないことにかけては都内いち……お、おい」

 「ほえ?」


 起き上がってベッドの上に膝立ちのピュロスの体から、かけてやった毛布が滑り落ちていた。そしてその身は寝間着どころか下着すらまとっておらず、いかにも健康的な子供のシミ一つない全身の素肌が見えていた。


 「おま、その…服を着ろ、頼むから…」

 「え、あー…うんと……きゃーアキコのえっちー」


 白々しく足下の毛布を被ってそんなことを言っていた。もちろん冗談なのは分かっている。けれど、私は…。


 「…アキコ?おなかいたい?」

 「い、いやなんでもな……悪い…っう」


 堪らずトイレに駆け込み、扉も閉めずに便器に胃の中のものをぶちまけたようとする。

 といって昨日の昼から何も食っていないのだから、胃液と僅かな水分しか出てこない。

 それでも気分を悪くさせるものを体の外に追い出そうと必死に嘔吐えずいて、それを実際に果たしたかどうかよりそうしようとしたことで気が済んだのか、胃が丸ごと体の中から出ていこうとしていたような不快感はどうにか落ち着いたようだった。


 「う………く、……そっ…」


 口の中に残る苦みと酸っぱさを最後に吐き出し立ち上がると、振り返った先に毛布をまとった姿のピュロスがいた。

 その目は私を心配というより責め立てるような光を帯びていて、だがそんな態度に文句を言う元気もなく、部屋の隅にある流し台によたよたと歩いていき、一つしか無いカップを使って口をすすぐ。

 何度かそれを繰り返すと頭の方もようやく落ち着きを取り戻したようで、視界の隅っこの方でうろうろしていたピュロスを探す余裕も生まれる。


 「……なんだ、まだそんな格好だったのか。早く服を着ろ」

 「ん」


 被っていた毛布を引きずるようにしてベッドに向かうピュロス。昨日脱ぎ散らかした衣類もそこにあったから、それを手にするとまとっていた毛布の中に巻き込み、そして私から見えないように、なのかベッドの上で毛布の下になってもぞもぞと動いていた。

 吸ったことはないが、煙草が欲しい気分というのはこういうものなのか、などと詮無いことを考えているうち、毛布の下からピュロスが首を出し、「もーいい?」とこちらを伺う。


 「いいも悪いもないだろう。それより着るものを着たんなら早く出てこい。メシにするぞ」


 この部屋にガスは来ていないから、電気ポットと古い電熱式コンロの一つずつで調理なりなんなりをしなければいけない。缶詰にしろレトルトにしろ、温かいメシを食うには少し時間のかかる話だから、その間部屋の片付けでもさせておいた方がいいかもしれない。

 そう思って部屋を見回した時だった。


 「…ね、アキコ?」

 「なんだ」


 いつの間にか目の前にやってきてたピュロスが、今度は本当に気遣わしげな視線で見上げていた。

 確か一人でシャワーは浴びさせたはずだから、汗だの埃だのといったもののついていない、キレイな顔だった。こちとらツラはともかく、左半身は結構酷いことになってるんだがな。


 「ひとつきいても、い?」


 タンクトップだったから、私のそんな火傷の跡は見えているだろう。

 そしてそれを無表情に一度見やってから聞いてくることなど決まってる。

 

 「なんだ改まって」


 私は予め答えを用意した上で、流し台に腰を押しつけ体重を預けると、なるべく抑揚を感じさせないような声で質問を許可した。といって別にコイツのことだから、遠慮なんてしないだろうがな、と思いながら。


 「アキコは、ピュロスのこと、好き?」

 「………」


 予想していた問いとは異なるものだった。

 だから、質問の意味を正しく図る間を充分にとって、だがそんなことを今訊いてきたピュロスの意図が分からず、結果。


 「……ガキは嫌いだ」


 そんな、わざと傷つけるようなことを吐き出すように言うしか出来なかったのだ。それも、目を逸らしながら。コイツはずっとこちらを見上げているというのに。情けない。


 「そ。じゃあ、そのうち好きになれるといいね。ピュロスのこと」


 なのに、コイツは答えを聞けただけで満足、みたいにぽやんと笑い、振り向いてベッドの上の寝具を片付けにいく。

 今、何を言いやがった。今何を言って、私の心を乱しやがった。

 そう問い詰めたいこっちの気分など知ったことかと言わんばかりに、屈託無く。


 なんだか、晴れた空の下を歩きたい気分だった。




 私は暗殺者アサシン

 この後外に出ると、顔も上げられないような大雨だった。まったく、人生ままならないものだと思う。

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