第13話・救声

 予報よりも大分気温が低い。

 弾道の予測を修正。頭の中で。

 何せ、1キロ先の標的を一発で仕留めなければならないのだ。慎重に、慎重に計算を行う。


 「アキコ、たいくつ」


 計算といっても積み重ねた経験を元に脳内で行うだけのこと。電卓だのコンピュータだのは不要だ。


 「アキコー」


 …そういえば世界最初のコンピューターってのは、大砲の弾道を計算するために作られたと聞いたことがあるな。楽したがりってのは何時の世も余計な道具を作りだしやがる。


 「たいくつだよー、ってばー」


 そうでなけりゃ私みたいな職業もあがったりにならないというのにな。まったく、喜んでやってる仕事じゃないとはいえ、食うに困らないくらい程度は…。


 「わーっ!!」

 「ななっ、なんだっ?!」


 窓枠から少し離れた所に設置した、高めの寝台から跳ね起きる。

 窓の位置が高いため、伏せ撃ち用に持ち運び出来るテーブル状の台を持ち込んでその上にブランケットを敷いて腹ばいになっていたのだが、耳元で喚く声に驚いてあやうくその上から落ちるところだった。


 「なんだよ五月蠅いな!こっちは集中してるんだからギャーギャー騒ぐな!……あと一応仕事は言いつけただろうが。大人しくそれを覗いて観測してろ。ったく」


 そしてもちろん、わめき声の主はピュロスのヤツである。今日は本番だというのに、例によって私から離れようとしなかったので、仕方なく連れてきて周囲の見張りでもしてろ、と三脚で立てられた単眼鏡を与えていたのだが。


 「だって退屈なんだもん。おなかは空いてないけどそろそろかえろ?」

 「かえろ、じゃない。来る時に言っただろうが。長丁場になるから静かにしてろよ、って」

 「おトイレいっておけ、って言ってたよね。でもー、アキコ今日はおちついてないからきっとしっぱいするよ?おとなしくかえったほうがいいんじゃないかなー」

 「おま…今日は天気が悪いからやんぴだ、みたいなノリで出来る仕事じゃないんだぞ……ったく、静かにしてられないならしばらく外にいろ」


 いつものワンピースの上から着せたあったポンチョのフードを引っ張って頭に被せる。一瞬だけ、くすぐったそうに「くふん」とか声を洩らしていたが、そんなことで和んでいる場合じゃない。


 「…外にいるのもイヤなら、せめて静かにしておいてくれ。騒がしいと集中出来ないんだ」

 「ピュロスのせいじゃないもん」


 くしゅん、とかわいいくしゃみをすると、単眼鏡の前に、ではなく部屋の隅に行ってこちらに背を向け丸くなる。

 そういえばいつぞやもそんな格好をしてたよな…と、一緒にその後に起こったことまで思い出してしまった。


 (う…くそ、こんな寒けりゃゲジゲジなんざ出てこないと思うが)


 イヤなことを頭から振り払い、またスコープを覗き込む。

 要らんことをしてたせいで、標的が部屋に戻る想定時刻になっている。ご丁寧にも帰宅する時間は変えていないらしい。身の安全に無頓着なヤツだと思うが、近場の射撃ポイントを軒並み潰していることで油断しているのかもしれない。

 だが、そうはいくか。こっちには貴様の考える常識なんざ通用しない。早く、早くだ。そのツラをこの銃口の先に見せろ。こっちは手を伸ばせば届くような距離…違うな、くそっ。いつもだったらこれくらいの距離は撫でるのと大差無いというのに。

 焦るな、シンシア。時間はある。向こうからこっちが分かるハズはない。

 というかさっきからピュロスのヤツは何をしてるんだ。私から見えないと思って妙なものを拾い食いでもしてるんじゃないだろうな。いや、こんな廃墟手前のビルにそんなものがあるわけがないし。いやいや、腹が減った飯食わせろとかしょっちゅう喚くわりにアイツは悪食だしな。賞味期限切れのレーションでも平気でパクつきやがる。私よりも多い量を、だ。

 …ん、まあ子供がよく食べるのは悪いことじゃないしなあ…。というか最近あいつがメシ食ってるところを見るとなんか、なんというかその…ううむ、何なんだ。


 ……などと、我ながら馬鹿なことを考えていながらもプロらしく目を離さなかったスコープが、ようやく動くものを捉えた。

 物思いを中止し、一度息を深く呑んで右目の視界を注視。いた。あろうことかカーテンは開け放たれている。こうなると灯りが四六時中灯されているのも、警戒しているというよりただズボラなだけなのではないか、と苦笑した私の顔が、凍り付いた。


 確かに渡された写真に写っていた男だ。デブの中年。そして一人ではない。

 右手にはロープ。何かを引きずる様子。イヤな予感がして、レティクルの中心から一旦見送った。まだ撃つタイミングじゃない、と言い訳しながら。そして、見るべきではなかったものを、見る。


 ピンと張られたロープのもう一方。四つん這いで姿を見せたのが、せめて犬猫でもあったなら標的の男を嘲笑うくらい出来たのかもしれない。

 だが、引きずられるように連れて来られたのは……下着の一枚も着用していない、男の子だった。


 (……!!)


 そこで引き金を引かずに済んだのは、単にトリガーガードに指を乗せていたからだ。あとは指を動かすだけ、というタイミングであったなら……思わず銃把を握りしめた勢いで、あるいは憐れな子供をまたも撃ち抜いていたかもしれない。


 (落ち着け。落ち着け……)


 とても深呼吸とは言えない荒い息づかいで何度か息を繰り返し、そしてスコープを覗き続ける。

 標的の男の仕事はなんだ。人身売買と言っていた。ロクでもない真似だと思う。だが、売る者にも買う者にも事情はある。見過ごせる真似ではないが、現場で感情を制御出来ないほどではないハズだ。そう、私は思っていた。


 「…クソッ、ゲイツのヤツこれが分かっててこんなものを……おい、ゲイツ、聞こえるかっ?!」


 耳にセットしていた端末を起動。仲介人を呼び出し、事態の説明を求める。


 『仕事中なのにえらく余裕のあることですな』

 「ふざけるな!貴様標的が子供を売り買いするクズ野郎だと知ってて私に仕事を投げたのかっ?!」


 端末の向こう側の声には、どこか諦めにも似た無気力感が漂っている。

 銃口の遥か先から目を逸らさず、私は糾弾の怒鳴り声を上げ続けた。


 「おい、撃つのか?撃っていいのか?!あの部屋にいるガキごと撃ってもいいのかぁっ?!」

 『ご随意に。こちらとしてはあの男が死ねば文句はありませんので…何か懸念でも?』

 「私が子供が絡む仕事をしないのは知っているだろうがっ!くそっ、またあの野郎…ガキを何だと思ってやが……ひっ?!」

 『レディ、どうしました?』

 「あ……あ……」


 見たくも無い、だが目を離してはいけない光景があった。

 あのクズ野郎…子供相手に……ィッ!


 もう我慢出来ない。欲望のはけ口に人間を使うクズはいくらでもいるが、アレだけは私の手で殺す。殺してやる。憎しみを込めて、この手で殺してやるッッ!!


 『どうも思わしくないようで……レディ、今日のところは引き返しても』

 「黙れ」


 冷たく言い放ち、ヘッドセットを引き剥がす。後ろにそのままそれを放り、トリガーガードから指を降ろして引き金に添えた。

 人差し指の先だけを引き千切っているグローブがギュゥっと鳴って、全ては射撃の体勢に移行する。


 (はぁ、はぁ……くそ、どけ…そこのガキがどけば……ああ、なんでだ。遠い、遠いぞ……なんでだよ…っ)


 伸ばした指のすぐ先にあったとおも思えた標的が、今は地球の裏よりも遠くに感じる。

 撃てば当たる。だが当たらない。子供に当たったらどうする。クズ野郎の首が、狙った場所のすぐ先にあるのに。なんでだ。なんで撃てない。あとはこの指をほんの僅か手前に引くだけ。当たる。当たるだろ?当たるはずだ。当てなきゃいけない。今までも当ててきた。外れるはずがない。


 …けど、なんでだ。

 四つん這いになった男の子の後ろで腰を前後に振っているクズ野郎を肉塊に変えるだけのことが、なんで出来ないんだ私はッ!!


 「アキコ」


 不意に耳元で囁かれる。

 一瞬、もう自分が死んで天使にでも出会ったのかと思えて、すぐに打ち消した。私が死んで天国なぞに行けるハズがないからだ。


 「おちついて、アキコ。こわいとおもうよ?けど、あの子はもっとこわいおもいをしてる。だから、アキコがすくってあげて?ね?」


 ……ああ。そうだな。


 今度こそ、短く深く息を吸い、止めて、全てをこの手の中に入れる。

 風は、よい。触覚と視覚と聴覚のどれもがReadyを告げている。

 じゃああとは、私の意志だけの問題だ。

 そしてそれは、今クリアになった。


 「死ね。クズ野郎」




 私は暗殺者アサシン

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る