第11話・苦因

 「で、何しにきおった」

 「データベースを覗きに来ただけだ。あとソイツが風呂に入れろとうるさいから借りに来た」

 「ピロ坊がか」


 一通り菓子を与えられて満足したのか、畳の上で大の字になって寝ているピュロスを見やりながらの、寬次との会話になる。

 というかピロ坊とは何だ。ヒロポンみたいに言うなクソジジィ。


 「おめぇの歳でヒロポンを知っとるというのも、あり得ん話だがな」

 「てめぇだって一緒だろ」


 塩酸メタンフェタミンがヒロポンなる商標で売られていたのは、百二十年以上前の話。いくら年齢を感じさせないこの化け物ジジィでも、まだ産まれてもいない。はず。多分。


 「それがそうでもねェんだなあ。ヤクの流行りってな廻るもんでよ。おめぇの生まれる少し前頃に一時流行ったもんだ」


 何の役にも立たない知識の上に、いくら寝てるとはいえピュロスの耳に入れたい話でもない。

 私は、そうかい、とだけ応じて開け放たれた襖の向こうにある庭園を眺める。眺める、といっても同じような座敷部屋を二つ挟んで向こう側、だから風情などというものは薄味もいいところだ。いくら親分の安全のためとはいえ、こうまで屋敷の外が遠いというのも楽しむものではないように思うのだが。


 「…しかしおめぇが母親になってたとはよ。腹が大きかった姿を見てねえせいか実感が沸かねえや」

 「来たときも同じことを言われたがな。拾ったガキだよ。私の子供じゃない」

 「そうなんかい。どうした、血も涙も無い権田原明子にしちゃあ、珍しい」

 「………」


 言い返せるはずもない。

 こうしてちゃぶ台を間にして湯飲みを傾けている男は、私が仕事のために子供を殺めたことを知っている。知っていて、かつては揶揄することもなかったのだ。ただ冷たい声で、「これでおめぇも一端の人殺しだな」と告げられた覚えしかない。


 「言ってみろよい。何があった」


 これが興味本位の煽りじみた態度であったら、冷めた茶の入った湯飲みをぶつけて第二ラウンド、というところだったが、生憎と寬次の声色には面白がる調子は無かった。かといって親身になって心配している、という風でも無いのがこちらとしては助かるところだったから、私は掻い摘まんだ話だけをしてやる。


 「仕事の現場を見られたので口封じしようとしたら、銃弾を跳ね返して付き纏われている」

 「儂ゃあこれでも真面目な話をしようとしてるんだが」

 「こっちだって大真面目だ。どうせ信じられるものでもないだろうしな。忘れろ」


 目など最初っから合わせるつもりもなく、そっぽを向いたままの会話だったから、この時睨み付けるように見た寬次の顔にあったものに、ようやく気付くことが出来た。


 「…なんだ、その顔は」

 「知らんのか。憐憫、ってヤツだ」


 憐れまれる覚えは無いんだがな、と特に腹も立たずに思う。

 こちらと同じように横を向いていた体を正面に向け、だが立て膝のまま寬次は続ける。


 「ガキを殺すような真似をしてだな、おめぇがそれを慚愧するのも分からんでもねえが、子供を拾ってその代償にするってなあ、らしくねえやな」

 「そんなつもりはない。追い払おうと思っても言うことを聞かず困っているだけだ」

 「それはそれで後ろ向きってぇヤツだわな」

 「……何が言いたい」


 とはいえ、こうも思わせぶりな話が続くと多少は苛立ちも募るというものだ。

 ほぼガン付けじみた目付きを向けると、意外にもピュロスを相手にしていた時のような好々爺じみたツラに出迎えられて呆気に取られる。


 「いんや別に?ただまあ、おめぇも人の子らしいところがあったようでよ。親としちゃあ嬉しい限りだわな」


 がはは、と下品に笑い飛ばされる。

 人の子らしい、とはどういう意味だこの野郎。こっちはヤクザよりもよっぽど人間らしいと思っているのだがな。あと親だと認めた覚えはない。育てられた覚えはあるが親だなどと思ったことは一度たりとも無いぞ、と諸々文句を垂れようとした時だった。


 「うるっさ─────いっ!ピュロス起きちゃうでしょー!」


 ピュロスがまるでいきなり電気のスイッチが入ったみたいに上半身だけぴょこりと跳ね起き、耳に障るキンキン声で叫んだのだ。


 「…うるさい。もう少し声を抑えろ」

 「うるさくないー。うるさいのはアキコの方でしょー」


 さっきからこっちは弄られたくもない古傷を抉られて呻いていただけだ、と反論しようとして、堪えた。

 聞かせるべきでない相手に聞かせるべきでない話をする必要は無いのだから。


 「おう、ピロ坊、起きるなりごきげんじゃのう」

 「ピュロスごきげんじゃないよ、じーちゃん」


 と言いながら、ピュロスは這うように寬次のもとに行き、


 「おう、おめえさんの居場所はこっちじゃねえ。ほれ、そっちいきな?」

 「ほへ?」


 こちらを指し示した寬次の人差し指の向く先に、首を巡らした。つまり、私の方へ、だ。


 「ふむん。アキコ、だっこして?」


 そして今度はこっちに這いより、とんでもないことを言う。

 冗談じゃない。ただでさえ遇いかねているのに、これ以上懐かれてたまるか。

 反転してこの場を立ち去ろうとしたのだが、老人とは思えない素早い動きで背後に回られた寬次に上から肩をグッと押さえ込まれ、立ち上がることも出来なくなってしまった。


 「じーちゃんナイス」


 ナイス、じゃねーわっ!と怒鳴りつける間もなく、ピュロスはよいしょっと私の胡座の中に入り込んで、それだけでなく胸元に顔をすり寄せて「むふふふ」とかクソ甘ったるい声で鳴き始めた。


 「おう、儂はしばらく戻らんのでな。ゆっくりしていけ」

 「お、おいジジィ?!」

 「うごくなアキコー」


 こちらをとんでもない状態に陥れた寬次は、いつもの下品な笑い声を立てながら部屋を出て行く。

 私は寝起きの子供らしく高い体温のピュロスが胸元でもぞもぞするのに戸惑いながら、取り残された身をどう処したものかと考えのまとまらない頭を小さく振った。

 まったく、何が起こっているのだ。子供など嫌いだったんじゃないのか。




 私は暗殺者アサシン

 この後、幼女に布団に潜り込まれ、何故か朝まで一睡も出来なかった。何なんだ一体。

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