第5話・厭苦

 視界に入る限り人の気配の全くしない山奥に、乾いた破裂音が響いた。

 天気予報を入念に確認し、乾燥した日を選んで訪れたので、遠くまでこの音が届く心配をする必要はそれほどあるまい。


 「ふん、ゲイツの野郎、いけすかない奴だが機材の手配に関しては文句はないな」


 ちょうど弾倉二つ分を撃ち尽くすとスコープから右目を外し、伏せ撃ちの態勢から起き上がって周囲に散らばった空薬莢を集めた。

 というか、だな。


 「おい、ピュロス。山の中が珍しいのは分かるが言いつけたことくらいやれ」


 掘建て小屋の片隅で何をしてるのか、しゃがんでこちらに背中を向けている子供に声をかける。

 次の仕事のために調整を頼んだM24A3が届けられたので、確認のため人里外れた自前のシューティングレンジにやってきたのだが、このガキは留守番していろという指示にもしつこく抵抗し、とうとうこんな所にまでついてきやがったのだ。

 だったらせめてバラけた薬莢を拾い集めておくくらいのことは手伝えと言いつけたのにも関わらず、こちらをほっといて一人遊びに興じてやがる。


 「おい」


 もう一度、今度はあからさまにイラついた声色で話しかけると、右手に枯れ枝を持って地面を引っ掻いている様子が見えた。また絵でも描いているのか、と思うといくらか微笑ましくはなる。…ま、見た目通りのガキなら別におかしな話でもあるまい。

 私は苦笑してM24からバイポッドを取り外し、工具箱に偽装した収納ケースに片づけ始める。用意した弾丸はあと半分残っているが、仕上がりは満足いくものだったから、これ以上撃つ必要もない。ただでさえクソ高いラプアマグナム弾を無駄撃ちしたくない、というのが本音ではあったが。

 次はキロオーダーの仕事になる。なるべく道具の準備は怠りたくはないが、個人事業主のスナイパーは削れる経費は徹底的に削らなければならない立場なのだ。道具と自分の腕に問題が無いようならば、あとは現場の確認と仕込みで失敗する要素を潰していく方が効率がいい。


 「…誰に言い訳をしているのだかな、私も。ピュロス、用事は済んだから帰るぞ」


 調整の済んだライフルを丁寧に仕舞い、ブランケットをバッグに適当に詰め込むとそれで帰り支度は終わる。

 帰りは途中で美味いものでも食わせろ、などと道中ほざいていたピュロスは飽きずに地面をガリガリとやっていた。

 仕事道具を乗せた車を駐車してメシを食いになど行けるか、と要求を突っぱねたら大分拗ねていたから、まだ機嫌が治っていないのかもしれない。

 ……仕方ない。前回の仕事の報酬が振り込まれたばかりだし、多少は豪遊しても構わないか。


 「ピュロス。寄り道は出来ないが、帰ったら多少はマシなメシにしてやる。放出品のレーションだが、奇跡的に消費期限が切れてないものが手に入った」

 「………」


 返事はなかった。

 手だけ動かして、こちらの声が耳に入ったかどうかすら怪しい。

 くそ、捨てるだけになった横流し品と違って今度のは安全の保証されたものだぞ?こんな贅沢は月に一度出来るか出来ないかというものなのに、なんて態度だ。


 「おい。聞こえていないのか?これ以上無視するなら今日の晩メシはカビの生えた乾パンにするぞ?こっちは一向に構わんしな」


 誤解のないように言っておくが、こちらも別に缶詰とレトルト生活を好き好んでやっているわけではない。大物ヤクザに育てられたお陰で、それなりに舌は奢っている。

 ただ仕事柄、手の込んだ料理に慣れるといざという時に精神的な負担が増えるので、普段から粗末な食事を心がけているだけなのだ。押しかけ同居人のガキにはいたく不評な食生活なのだが、嫌なら出ていけ、と言ったら一回で三食分のレーションを平らげられた。質を量でカバーするつもりらしかった。


 「ピュロス、言うことを聞かないとほっといて帰るぞ」


 そんなことをしてもきっと無駄だろう、とは思うのだが、一応それっぽいことを言っておかないと格好がつかない気がして、それから何をやっているのやら、と近づいて覗き込んでみた。


 「お前さっきから何やって……」


 そして、硬直した。


 「アキコー、これなに?」


 ヤツの握った枯れ枝の先にあったのは、その枝にもよく似たボディに、数えるのもおぞましいほどの節足が生えた、学名Scutigeomorpha…要するにゲジゲジだった。

 そして私は、ムカデの類が、親の仇ではなく親本人程に、嫌いだった。嫌いというか、苦手だった。ちなみに親と呼べる権田原の奴はまだ健在だ。むしろピンピンしてる。私が殺しても死なないことにかけてはピュロスと同様である。

 …いや、そんなことはどうでもよく。


 「アキコ?どーしたの?」


 ずいっ。

 別に悪気なくやっていると思いたいが、私に突き付けた枝がまた数センチ、こちらの顔に接近する。

 ちょっと待て貴様。それを私に見せてどうするつもりだ。

 口の中がカラカラに乾いていた。五百メートル以内でスナイプ合戦をした時を遥かに越える冷や汗が噴き出ている。

 がしかし、このガキに弱みを見せるわけにはいかない。

 その一心で引きつった笑みを浮かべ、辛うじてこう言った。


 「……食えんぞ、それは」

 「食べないよぉ。なにゆってんのアキコはもー」


 …そして、悟らせないことには成功したようだった。


 「かえるんでしょ?ピュロスおなかすいたから、いいもの食べよ?」


 どういうつもりだったかは分からないが、ピュロスのやつはゲジゲジへの興味は失せたようで、枝をポイッと投げ捨てると、立ち上がって車の方へ先に立って歩いてゆく。

 私は小屋からピュロスが出ていくのを見送ると盛大な勢いで息を吐き、この困難なミッションを完遂出来たことに安堵した。

 …この小屋は処分しよう。そう固く心に誓いながら。




 私は暗殺者アサシン

 私は命のやり取りを恐れはしない。だが、誰にだって苦手なものくらい…ある。




 「アキコ、こわがらせてごめんね?」


 うるさい黙れああそうだ今日の晩飯は好きなものを食わせてやろうだから言いたいことは……分かるな?

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