第3話・休息
こうしてセーフハウスで愛用のCz75のメンテをしているときが一番落ち着く。
前世紀の半ば頃に設計されたこの銃は、当時のプロから高く評価され、必然的にコピー品も多く出回り、後期に製造された粗悪品ともども数自体は今もそれなりに残っている。
だが、私の愛銃はそのどちらとも違う。まず、バカみたいなプレミアのついている初期製造モデルは、火薬の匂いなど一切しないコレクターの屋敷や博物館のショーケースにしか現存しない。当然そんなものを入手する伝手も金も無い。
そして手に取るのもバカバカしくなるようなコピー銃など、興味を持つことすらマニアの名折れだ。
私の手の中にあるのは、その人気に目を付けたスイスのとあるガンスミスが、二十年程前に作り出した復刻版だ。
所詮コピー品だろう?などと言う奴はこの銃から放たれる9mmで絶命する栄誉をくれてやる。何せ、復刻とはいえ精度はオリジナルをも超えるとされるのだ。ほぼ手作業だけで、総数二百丁ばかり作られたらしいが、その一つを手に入れた時の私の喜びときたら…やめておこう。マニアの自慢話など聞いて喜ぶ間抜けはこの世にはいない。いないこともないが、それはご同輩だ。バカではあっても間抜けではない。
「あ、アキコはなしおわった?」
「別に貴様に話をしていたわけじゃない。それにどうせ聞いてないだろうが」
「そーでもないよ?アキコがてっぽーのはなししてるときはすごくうれしそうだし」
…百歩譲ってそれが事実だとしても、私が嬉しそうにしててこのガキに何の得があるのか。子供は子供らしく、硝煙とガンオイル臭い話ではなくそこで塗り絵でもしてろ。
「…上手いな」
「へへー。いいでしょ?」
実際、ピュロスは腹ばいになってスケッチブックに何か書き込んでいたのだが、絵なんてものには描く才能の無いヤツがぶら下げた値札以外の価値を見出さない私ですら、どこかホッとするような風景が描かれていた。
「何処を描いたんだ?」
「ん?知らなーい」
「知らない、って…お前な」
自分で描いておいて何処を描いたのか知らない、というのも話としては通じないと思うのだが。
…まあいい。山の合間の湖をどこか高いところから見下ろしている、というありがちな構図だ。それをクレヨンだけで描いただけの絵……本当にクレヨンだけで描いたのか?クレヨンというのは、まだ学校にも行ってないガキが落書きするのに使うものではないのか?
私が幾何かの金を払って購っても構わない、と一瞬思えたこの絵は、そんな雑な道具を使ったとは思えないほどの、精緻さと色合いに彩られていたのだ。
…よく分からん。こいつのことが。
あの日、私のCz75どころかM24の弾丸をまともにくらって「いたぁい!」だけで済ませていた得体の知れないガキのことを、ふと思い出してみる。
「…何者だ、貴様」
「きさまじゃないよ、ピュロスだよ」
立ち上がってこちらを見上げたガキは、見たところ十歳にもなっていない女児、というところだ。
人殺しの現場に居合わせた、などという緊迫感がどうにも欠けているのは、まだ子供のこととて不思議でもないが…それにしてもその格好というものはどうなのだ。
恐らく素肌の…まあ下着くらいは着ておいて欲しいものだが、その上に病院で着せられるようなスモックのみを着用している。そのこと自体、あまり出自を想像させたくなくならせる。裸足というのが余計にそれを助長する。
本音を言えば、関わり合いになりたくない。真っ当な病院から飛び出たか、こういうガキを集めて金にしている腐れどもの手から逃げ出してきたか。どっちにしても私のような身分の人間が関わって幸福になる人間などひとりもいるまい。もっとも、幸福の定義にもよるが。
「ねえねえ、今なにしてたの?」
そんな私の苦悩など、その存在すら気がつかぬような能天気なツラと声で、そいつは話しかけてきた。銃で撃たれ、しかもそれをぶっ放した人間に向かって言うことか?こういう場合、腰を抜かして泣きながらションベンを漏らし、後ずさって「助けて…助けて…」とか言う場面だろう……くそっ、昔、その後に自分が何をやったか思い出してしまい、吐き気がこみ上げる。
「…なんでもいいだろう。貴様も家に帰れ。私も帰る」
「うん、そうだね。ピュロスもおうちかえるよ」
「そうか。帰る家があるのか。それは悪いことじゃない…じゃあな」
何を言われたのか不思議に思ってか、そのガキは腰まで伸びた銀髪ごと首を傾げていた。
だがもう、構うまい。私は屋上の階段室…など使うわけもなく、発見された時の逃亡用に用意しておいたフック付きのロープを屋上の手すりに掛け、それこそ奈落にしか思えない燈の消えた裏路地にロープを垂らすと、それを伝ってさっさと降りてしまった。
回収?どうせ使い捨て用のアシのつかないただの紐だ。放っておいても構わないだろうと一瞬考え、だが入手にかかった手間と費用を思って名残を惜しむように、ロープを見上げた……のが、幸いだったのか失敗だったのかは、今でも分からん。
とにかく、見上げた瞬間、視界いっぱいに広がったのは、ガキの尻だった、と思う。一応下着はつけていたはずだ。ナマの尻を顔に押しつけられたのでは、流石に私でも、相手がどんな野郎だとしても、鉛玉で四散させることを誓っただろうからだ。例え、入手が可能な最大口径である、120mm滑空砲を使っても、だ。
…話が逸れた。とにかく、私の顔に覆い被さってきた尻は、そのままの勢いで私を押し倒すと、「いったぁい…」と今日一日で何度聞いたか忘れたくなるような慨嘆と共に、私の体の上から降りていた。いやしかし、ラプアマグナム弾が当たった時と同じ感想を私の顔から覚えるとはどういう意味だ。私の顔はライフル弾並の威力という意味か。いや、こんな家業をしてるのでもなければそれなりに見れた顔だという自覚はあるが。
「もぉ、あぶないからどいて、って言ったじゃない」
まさか先刻の屋上で会ったこのガキは、六階建てのビルの屋上から飛び降りてきたとでもいうのか。そういえば自分がロープを降りてる時も後に続くような手応えがなかったしな、と記憶を整理し、よくもまあこちらも死ななかったものだと我が身の頑丈さに呆れる。いやそれはそうだろう、いくら子供とはいえ、人間一人が落ちてきてその下敷きになり、ケガの一つも負ってない、というのは奇跡でなければ悪いジョークのどちらかだ。
そして私は信仰心というものをカケラも持ち合わせていない。つまり奇跡ではない。これはジョークだ。そして私はジョークが嫌いだ。あれは人間の性根を腐らせる。私のように真面目に生きている人間には一切の必要が無い概念だ。
つまり。
「じゃあな。私は帰る」
無かったことにするのが、最上だ。
そうして足早に、その日のねぐらに戻った。幾つかあるセーフハウスの一つだった。
機械式、電子式の双方三種類の鍵を解錠し、扉を開けた瞬間、背後から聞こえる声。
「へー、けっこういいところにすんでるんだね」
…私は
だがいくらなんでも、一仕事終えた後に子供に後を付けられヤサがバレるというのは…余りにも、その…なんなんだこれは。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます