第2話・迷走

 「相変わらず見事なお仕事でしたな、レディ・ゴンダワラ」

 「その名前で呼ぶなと言っとろーが」


 私は黒檀の机の上にあったペーパーナイフを素早く拾い上げ、ゲイツの眉間に突き付けた。Cz75を持ってきていなかったのは、果たして奴と私のどちらに幸運だったのだろうか。


 「…ジャパニーズヤクザの最後の領袖、権田原寬次の末の娘を名乗っておいた方がいろいろと箔がつくと思うのですがね」

 「うるさい。その名前は気に入ってないから呼ぶな。それだけだ」


 大体何なんだ。確かに権田原に育てられた覚えはあるが、こちとら国籍人種一切不明、生粋の日本人にだけは絶対に見えないだろう、もっさりした赤毛に三十路を越えても消えないソバカスと碧い目がトレードマークだ。それが選りに選って「権田原明子」だ?あのクソジジイもろくでもない名前をつけたものだ。


 「では、レディ・シンシア。まずはこの額の物騒なものを仕舞って頂きたい。恐ろしくて話も出来やしない」

 「…ふん。最初からそう呼べばこんな無駄な会話もせずに済む」


 私はつまらなそうに言ったゲイツの目の間から、刃のない光り物を降ろした。殺すのはいつでも出来る。そう思いながら。


 「仕事の話の続きですがね。お陰様でしばらくは暇になりそうです。あなたも少しは羽を伸ばした方がよろしいでしょう。どうです、たまには海外旅行なぞは。タイペイ行きのチケットが手に入りましてね」

 「いらん。貴様にもらった航空券なぞあの世行きの片道切符と大して変わらんしな」

 「これは手厳しい。ではこれは一昨日売り込みのあった新米にでも進呈しておきましょう」


 運がよければ赤子が三分の一人前くらいにはなれるでしょうよ、と嘯きながら紙片を振るゲイツを横目で睨んでから、事務所を出た。


 「ああそうそう、一つだけ」

 「なんだ」


 そしていつものお約束。コイツは前世紀に流行ったアメリカの刑事ドラマにかぶれてやがるからな。


 「仕事の場面ですが。誰かに目撃された、などということはありませんね?」

 「そんな奴がいたらドタマの真ん中に鉛をぶち込んでいるよ。心配無い」

 「結構。では」


 ウザいクレームをつけるくらいなら、もう少しマシなスポッターを寄越せ、などと余計なことは言わなかった。

 少なくとも、嘘はついてない。だから、やりとりに淀みも無い。全く問題は無い。




 次の地震では間違い無く崩れ落ちるだろうボロビルを後にすると。


 「ねーねー、アキコ。おしごとおわった?」


 私の仕事の現場に居合わせて、鉛をドタマの真ん中に撃ち込まれた奴が声をかけてきた。


 「…その名前で呼ぶなと言ってるだろうが」


 ゲイツに同じ台詞を言った時と異なり、力なく文句をたれる。


 「ピュロスおなかすいたー。アキコー、なんかたべてかえろ?」


 そして肩を落としため息をつきながらでは、「クソウゼェからついてくんな」という空気を醸し出したところで一向に効果も無いらしい。

 というかそもそも今日ついてくることを許した覚えはないのに、何故この子供はここにいるのか、ああどこかに置き去りにしようと散々尾行を撒く手立てを尽くしたのに失敗したのだったな。おけげでゲイツの野郎に「今日は大分お疲れのようで。何ごとですか?」などと奴にしては珍しい本気の心配をさせてしまったものだ。くそっ。


 「ねー?」


 そしてピュロスとか名乗ったガキは、他人様の目をひかぬよう着せた女児用の子供服をひらひらさせながら、ついてくる。

 全く。このガキをこの世につかわしたクソ神が現れたら、.338ラプアマグナムで磔にしてやる。バカみたく高い弾丸だから文句は言うまい。

 私はそう固く誓い、こちらの思惑など知ったことか、みたいな顔でついてくるガキを置き去りにしようとした。




 私は暗殺者アサシン

 だが今は、十歳児の尾行すら巻けない無能者だ。

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