第314話 退院

りんどうと別れたあと、俺は急いで病室に戻る。桃代を待たせるとねるからだ。

しかし、部屋に入った途端【遅い!】っと、桃代に怒られた。


え~~っ、そんなに怒ることですか?

あなたはエレベーターを使い、俺は階段だったのに、少しくらい遅くなるのは当たり前でしょう。だって、オイラは怪我人なんだから。


「もう、心配させないでよね。もしかすると、階段を踏み外して、また血だらけになってるかと思って、探しに行こうとしてたんだよ」

「ごめんなさいね桃代さん。だけどね、オイラはドジだけど、階段を踏み外したくらいで、血だらけになるほどドジではないですぜ」


「そういう事ではないの。ちょっと目を離すと、トンデモない事に巻き込まれるし、巻き起こすんだから、心配させるなって言ってるの。ホントにもう・・・」

「はい、はい、すみませんね。実は、昨日もキーコの母ちゃんに夢の中で怒られた。だから、桃代さんまで怒らないでください」


「キーコのお母さんって、茜さんだよね。そう、夢の中で怒られたの。まぁいいわ、今回は注意だけで、ちゅうをされなかったようだから、許してあげる」


おっと、この話を続けるのは危険だ。俺は口をつぐむ事にした。

しどろもどろになりながら俺は話題を変えると、桃代の御機嫌取りに終始して、午後の問診では、検査の結果に問題は無いと医者に言われ、明日の退院が決定した。


よかった、これで我が家に帰れる。


入院当初は欠伸あくびやクシャミをするだけで、ひびの入ったあばらが痛くて苦しんだ。

だが、四日目あたりから痛みが小さくなり、俺の入院生活は概ね快適になり始めた。

あと一晩ここで眠れば、この部屋ともお別れだ。早く明日にならないかな。


快適と言っても基本的に俺は夜の病院が怖い。

真夜中にノックをされてドアを開けると、見知らぬ老婆が立っていた。とか、廊下を歩いていると部屋の中から名前を呼ばれ、中に入ると誰も居ない霊安室だった。なんて事は無かったが、昼間に賑やかな場所が静か、それだけで怖い。

同じ理由で、俺は夜の学校も怖い。

他にも、デパートやスーパー、駅や公園など人間生活をするうえで必要な場所のほとんどが怖い。


桃代の機嫌を取りながら、夜になり面会終了の時間になると、一緒に駐車場に行き桃代を見送る。

身体からだはほぼ治り、退院も決まり、気持ちが緩和している俺は、桃代の車が見えなくなるまで手を振り続け、いま誰も居ない駐車場にただ一人。

病室に戻る為に非常口を開けたところで、肩を叩かれ振り向くと、5メートルくらい後ろに、見知らぬ老婆が立っていた。


どうやっても手の届く距離じゃない。


俺は老婆を無視すると、急いで病室に逃げ込み、布団をかぶって羊を数える。

いくら夜でも、こんなに早い時間から出て来るなよな。何匹数えても眠くならないだろう。


違うッ! 肩を叩かれたのは俺の気のせいで、あの老婆はたまたまそこに居ただけだ。

そんなふうに考えて結論付けると、俺は老婆のことを忘れる事にした。

その晩、俺は怖くてあまり眠れなかった。


翌日、寝不足の俺を桃代が車で迎えに来てくれると、世話になった医者や看護師さんにお礼を言い、桃代の運転で母屋への帰路につく。

長いようで短い、短いようで長い、辛いような楽しいような、俺の奇妙な入院生活は終わりを告げた。


入院なんて二度としない、したくない。


母屋に着くまで桃代は安全運転を続け、俺は助手席に座り、くだらない雑談をしながら退屈を紛らわせ、山の中腹にある母屋まであと少し。

車はペダルを踏むだけで苦も無く坂道をのぼり、手前にあるばなれをゆっくり通り過ぎると、荷物を降ろす為に母屋の庭先に停車する。


ばなれで仕事をしていたユリと桜子は、俺と桃代が帰ってきた事に、母屋に居る連中より先に気付き、急いで迎えに出て来てくれた。


珍しく桜子が喜んでいる・・・俺に対してそんなに喜ぶ顔を見せるのは、山で迷子になったおまえを発見して以来だな。

ユリも喜んでいる・・・だがコイツの場合は、桃代が病院に行き留守にならなくなるので喜んでいるように思う。


車のドアの閉まる音で気が付いたのだろう、勢いよく母屋の玄関が開くと、キーコとクルミが駆け足で俺に向かって来るが、キーコは龍神とは違い、その駆け足のまま俺に抱き付く事は無い。

俺の目の前で止まると、不安そうな声で身体からだの調子を聞いてくれ、クルミは雪の日の犬のように、俺とキーコのまわりを駆け回っている。


目に涙を溜めて身体からだの調子を聞いてくれたキーコは、俺がしゃがんで目線を合わせると、溜めていた涙がこぼれ始めた。ごめんキーコ、心配させたな。


俺は安心させる為に【ぎゅっ】としてやると、キーコも俺の背中に手を回し【ぎゅっ】としてくれるが、決して力を入れない・・・アイツとはえらい違いだ。


キーコが抱き付いている俺の目の先に、そのアイツが母屋の玄関から顔を出す。

宙に浮いたまま、元気なく玄関から出て来ると、俺の前で苦笑いをする。


バツの悪そうな顔しているな・・・だけど騙されないぜ、しおらしい態度は今だけだろう。

時間が経てば全てを忘れ、何時いつものように俺をおちょくるはずだ。

まあ、それでも、おまえには助けられた。俺は龍神に文句を言うつもりは無い。


その龍神のうしろから、割烹着を身に付けた梅さんが、嬉しそうに玄関から出て来ると、最後に元気いっぱいな苺が出て来る。


・・・・・・・・・・・・・・・えッ! なんで苺が? はぁ? どういうこと?

ほへッ、あの時おまえは死ななかったのか? 


混乱する俺だが、【なんだ苺、おまえはまだ生きてんのか】・・・なんて、軽々しく聞けない。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る