第271話 ウィンク

祟りや嫌な感じが無くなった。

そう聞かされた俺は少し落ち着き、苺が持って来た弁当を龍神と仲良く食べているが、キーコと苺は疑心ぎしん暗鬼あんきな顔をして、あまり食欲が無いようだ。

苺の場合は飲み過ぎだと思う。


心にうたがいが生じると、暗い所に居るはずのない鬼が見える。

それが疑心ぎしん暗鬼あんきなのだが、秋晴れの気持ちの良い青空の下、俺の隣にはシートの上にちょこんと座り、おにぎりを手にした鬼のキーコがいる。


どうやら、俺は言葉のチョイスを間違えているようだ。


食べ終わると、いぶかしむ苺とキーコに声を掛け、森の入り口まで、行ける所まで車で行く事にした。

工事現場の方からではない。以前、社があったと教えられた場所に車を走らせる。


その予定でいたのだが、細い畦道あぜみちを車が通れるはずもなく、結局スーパーのはす向かいにある広い野原に車を止めて、徒歩で行くしかなかった。


車を降りると、【森には近付くな。】そう忠告をしてくれた、スーパーのおばちゃんに見つからないように歩いて行くが、俺は田舎の畦道あぜみちが嫌いだった。

何故なぜなら、ヘビと遭遇する確率が割と高いからだ。


ただ、その確率は低くなる季節なので、我慢してあぜみちを進んで行くが、万が一遭遇するとキーコの前でみっともない姿を晒すことになる。


さいわいヘビに遭遇する事も無く、俺たちは無事に森の入り口の前までやって来られた。

なるほど、昔はここに社があったのだろう、古びて小さいけれど特徴的な石垣が残っている。

ここからはモードチェンジをして真面目にしないと、俺のような凡人でも森の中で、嫌な視線を感じた。


本来、視線を感じるのは生き物の本能だと思う。だが、現代人には薄れた本能だとも思う。

自分を狙う捕食者の視線に気付き早く逃げる為に、異性の視線に気付いて子孫繁栄をする為に、暗闇に潜み俺を驚かす桃代の姿に気付く為に・・・。


はぐれて迷子にならないようにキーコと手を繋ぎ、森の中に入って行くが、キーコの方は俺を守るつもりなんだろう・・・ほんの少しだけ、前を歩いている。

まあ、わからなことはない・・・この面子で足を引っ張るとしたら俺だからな。


それでも、キーコを先に歩かせる訳にはいかない。


「キーコ、あまり先を急ぐな。龍神が居る限り、何があっても大丈夫だから。それよりも、キーコが迷子になる方が俺には一大事いちだいじだからな」

「あう、ごめんなさい紋次郎兄ちゃん。龍神様の言われる通り何もないのが不思議で、早く確かめたくて、気持ちが先走っただけなの」


「わたくしも、キーコさんの気持ちがよくわかります。こんなのはおかしいです。二日前に森に入った時は、常に嫌な視線がまとわりつき、それが段々近づき、逃げる間も無く何かに呑み込まれる。そんな感覚がしたんですよ」

「そうか、苺はその時に、まわりの確認をしなかったのか? 変なモノを見たり、変な音を聞いたりしなかったのか?」


「もちろん確認しましたよ。ですが、誰も何も居ませんでした。しかし、実際に何者かが居て、わたくしのピット器官でも見えないのであれば、それは恐怖でしかありません」

「恐怖ねぇ? 苺にも恐怖という感情があるんだな。俺はいまだにおまえの事が恐怖だけどな」


「いいですか紋次郎さん、今は真面目な話をしております。茶化すつもりなら巻き付きますよ」

「茶化してないですぜ、オイラは本当にヘビが怖いだけですから、気を悪くしたらごめんな。それで、苺は嫌な視線の正体を調べようとしなかったのか?」


「はい、もちろん調べようとしました。まずは本来の姿に戻り距離を取ると、息を殺して様子をうかがっておりました。すると、そこに最悪な恐怖がやって来ました」

「最悪な恐怖がやって来た? ちょっと待て、苺の言い方だと、ピット器官で見えない恐怖とは別に、見える恐怖が来た事になる。ことなる恐怖が二つ、この森にある事になる。なあ龍神、おまえは複数の祟りを感じたか?」


「いや、ワシが感じた祟りは一つだけじゃ。今はそれすら感じ取れんけど・・・苺、あんたは意外とにぶいようじゃのう」

「いいですか龍神さん。わたしが言った最悪な恐怖は、あなたと紋次郎さんの事ですよ! わたくしは裸でしたの。見られたくなから落ち葉にまみれて死んだフリをしてやり過ごそうとしてたのに、わたくしの心配を他所よそに晩御飯の話で盛り上がるから、ムカついて話し掛けたんですよ!」


「あ? ああ、そっち? も~っ、紋ちゃんがグラタンをいたいなんて言うけェ、ワシまで悪う思われるんじゃ」

「すまん龍神・・・というか、それって俺たちが悪いの? 苺さんが早く戻らなかったから、大事おおごとになってたんですぜ」


「だって、仕方がないでしょう。何者かの視線からのがれるのに、時間が掛かったんですから。視線が外れて戻る為に脱ぎ捨てた服を探すと、ワンピースも下着も見つからない。そのうち能天気な話し声が聞こえてくる。本来の姿を紋次郎さんに見せる訳にもいかず、慌てて人の姿に戻り、落ち葉にまみれて死んだフリをしてたのに・・・それなのに、【グラタンがべたい?】あの会話の所為せいで、最悪な恐怖が最低の恐怖になりましたッ!」

「あっと、オイラの所為せいですか? 俺に気を遣ってくれたから、あの姿だったのね。すまん苺、おまえは意外と良いヤツだな」


「ほらそれ、普段わたしを苦手にしてるくせに、こういう時は素直に謝って、紋次郎さんってホントにズルいんだから。もういいです・・・しかし、龍神さんの言う通り本当に何も感じませんね。この変わりよう、キーコさんはどう思います?」

「そう言われても・・・何も感じられないから、あたしはかえって不安です。何か悪い事が起こる前兆のような気がします」


「キーコはまだまだ子供じゃのう。ワシがおるけェね、もっと気楽にしんさい。なんじゃかんじゃ言うてもワシに恐れをなして、祟りは消えたんじゃ」

「そうだぞキーコ。こんな奴だけど龍神は役に立つ。ただの無駄めし食らいじゃないからな」


「紋次郎・・・もうちょっとワシに対して気を遣おうか。【無駄めし食らい】って、なんじゃい。ワシがおるけェ、真貝の家は安泰なのに」

阿呆あほう、今の真貝の家が安泰なのは桃代のおかげだ。そもそも、おまえが居るから、俺のおやつは、常に危険な状態なのに」


「また始まった。紋次郎さんも龍神さんもすぐに罵り合いをしますよね。そのくせ、仲が良いから不思議です」

「まぁのう、ワシと紋ちゃんは仲がええ。のう紋次郎」


「そうだな・・・」


いま、龍神が俺に向かってウィンクをした。

何かに気付いたのかも知れない。

もちろん、俺は何も気付いてないが、このあと二人だけで話がしたい。

そういう意味のウィンクだと思う。


それでも、ひとつ気が付いた。

いいか龍神、おまえのウィンクは気色が悪い! これからは別の方法で合図を送れ。


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