14 女神の名前

「そうかあ……」

 

 ベルはそう言うと黙ってしまった。


 自分たちの名前の由来、全く知らなかったそれをまさか、こんなところで「こんなやつ!」に聞くとは思わなかったからだ。


「そのスレイ兄さんってのはどこでどうした?」

「あ、うん……」


 ベルはつらそうに続けた。


「一年前ぐらいかな、どこでだったかおれは場所分かんねえけど、そこの戦でケガして死んだ。傭兵やってたんだよ」

「傭兵?」

 

 トーヤの目が少し光った気がした。


「うん」

「ってことは、この兄貴、アランか? こいつもそうなのか? まだガキみてえだけどな」

「うん……」

「そうか」


 トーヤはそう言うと、持っていた取っ手付きのカップに入った水をぐいっと飲み干した。


「ろくな仕事じゃねえな」


 そう聞いてベルはカッと頭に血が上った。


「なんだよ! 2人とも生きるために一生懸命仕事してたんだよ! そんな言い方ねえだろ! 第一そういうトーヤは何やってんだよ!」

「俺か? 俺は傭兵だ」

「は?」


 ベルは混乱した。


「自分がそうだからな、だからろくな仕事じゃねえって分かってんだよ、バーカ」


 返事に困る。


「そんでおまえは?」

「え?」

「おまえも傭兵やってんのか?」

「おれが? まーさかあ!」


 ベルが目を見開き、呆れたように言う。


「おれ見てさ、そんな風に見えるか?」

「まあ、確かに見えねえな。なんもできねえ生意気なクソガキだ」

「なんだと!」

「じゃあ、違うんだな? 戦に参加したこたあねえんだな?」

「うん」

「そうか」


 トーヤはそう言うと、またぐびりと水を飲んだ。


 その横顔を見て、もうベルは何も言えなくなってしまった。


――どうやって生きてきた人なんだ、このトーヤって人は――


 そう思うと同時に、ふと、気になることもできた。


「あのさ……」

「ん、何?」

「あの、あの、傭兵、なの?」

「ああ」

 

 美しい顔がにっこりと笑う。


「そうだけど違うよ」

「へ?」


 意味が分からない。


「トーヤと一緒に戦場で仕事はしてるけどね、傭兵の仕事はやってない」


 それは、つまり……


「こいつは人殺ししてねえってことだよ」


 トーヤが横からはっきりと言う。


「うん、そういうこと」


 銀色の麗人が何もなかったかのようにそう言う。


「そうか、もうそういうことか、こいつ」


 トーヤがそう言って寝ているアランをチラッと見る。


「そんでそういうことか」


 今度はベルをチラッと見てそう言う。


「なんだよ」

「いい兄貴だな」

「え?」


 思いもかけぬ言葉に返事に困る。


「まあ、兄貴に、兄貴たちに感謝しろ。今はな」


 トーヤの言ってる意味は分かったような分からないようなだった。

 

 それで困った顔をしていると、マントの人が笑いながら言った。


「トーヤの言ってることは分かったような分からないようなだよね? 私も最初の頃は困ったなあ」

「なんだと、おまえの方がよっぽど意味不明だったじゃねえかよ」

「それもそうだね」

 

 そう言って2人で笑い合う。

 考えて見れば不思議な2人組だと初めてベルは思った。


「あの」

「ん、何?」

「あの、名前……」


 自分たちも名乗っていなかったが、考えてみればこの人の名前も知らない。

 「トーヤ」はこの人がそう呼んだから分かったが、トーヤはこの人のことは「あいつ」とか「おまえ」としか口にしないからだ。


「ああ、私の名前?」

「教えなくていい、そんなクソガキに」


 トーヤが目をつぶったままそう言い、またカップに口をつける。


「なんでだよ!」

「どうせおまえの兄貴が動けるようになったら別れるんだ、いらんことは知らん方がいい」


 ベルはそう聞いてドキリとした。


 この2人と別れる。

 言われてみればその通りだ。


 家族でも仲間でも友人でもない。ただ、通りすがりに助けてもらった、それだけの仲である。


「私は教えてもいいと思ってるけどな」

「おい」

 

 トーヤが軽くとがめるが、マントの人は気にせず続けた。


「シャンタル、私の名前はシャンタルっていうんだよ、よろしくね」

「おい……」


 なぜかトーヤが困ったような顔になる。


「シャンタル」


 ベルが忘れないように復唱する。


「きれいな名前だ、女神様の名前だよな?」

「あれ、知ってるの?」

「うん、慈悲の女神様の名前だって聞いた。村にいたんだ、シャンタルって同じ名前の子。女神様みたいに優しい子になるようにってつけられたんだって。そんで、その子はみんなにはルーって呼ばれて――」

「おい!」


 トーヤがきつい口調でいきなり言った。


「そいつの名前勝手に短くしたりすんなよな! 絶対だ! 覚えとけ!」

「な、なんだよ……」


 あまりの剣幕に言い返すこともできない。


「おい」


 トーヤが今まで見たことがない冷たい目でベルを見た。

 ベルが思わず身をすくめる。


「言っとくぞ、絶対に縮めるな! そんなことしたらすぐにでもおまえらのこと、放り出すからな! おまえの兄貴が目を覚まそうが覚まそうまいがな!」

「わ、分かったよ……」


 どうしてそこまで、と思ったが、とても反論できる雰囲気ではなかった。


「トーヤ、そんなにきつく言わなくても大丈夫だよ、ね?」

「う、うん……」


 ベルはまだトーヤから目が離せない。 


――こんなに怖い目ができる人間だったのだ――


 ベルは初めてトーヤを恐ろしい人間だと思った。

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