8 水難

「いやだあああああ!」


 ベルは叫んで逃げ出そうとするが、ガシッとまた首ねっこを捕まえられた。


「静かにしろっての、ほれ」


 「トーヤ」はベルを押さえつけたまま、


 ざぶーん!


 頭の上からお湯をぶっかける。


「なにすんだよ!」

「るせえ!」


 ベルの抗議を無視して何杯も頭からお湯をかけ続ける。


「ぷはあ!」


 ベルはその合間にやっとのことで息を吸い、文句を言うゆとりもない。


「しかし、きったねえな」


 「トーヤ」はそう言うと、ベルの頭の上で何かをゴシゴシとこすりつけ、


「泡も立たねえじゃねえか、こりゃ何回ぐらい洗わねえといけねえんだ」


 そう言って、げんなりとした顔になる。


「お、おっさん!」

 

 言うなりバシン! と頭をはたかれる。


「誰がおっさんだ、お兄さんだ!」

「おっさんだ!」


 またバシン! とはたかれる。

 そして何かを言おうとしたら、また頭からお湯をかけられた。


「ほれ、黙ってねえと腹ん中湯でいっぱいになんぞ」


 そう言うと頭をぐしゃぐしゃとかき回し、また湯をかける。

 その繰り返しに、もうベルは呆然と立ち尽くすしかない。


 頭の次は服から出ている部分、手足もガシガシと洗われる。


「いてえ!」

「るせえ、このぐらいしねえと汚れが落ちねえんだろうが、我慢しろ」


 何回も何回もそうやって洗われ、


「よし、やっと頭も泡が立つようになってきたな。おい、服脱げ」


 そう言われ、ハッと意識を取り戻すと、


「いや!」


 そう言ってぎゅーっと胸を抱きしめて座り込んだ。


「心配しなくてもおまえみたいなガキになんも思わねえって、ほれ、脱げ」

「いや!」


 さらにぎゅっと身を丸くし、石のようになる。


 「トーヤ」はその様子をじっと見て、何かを理解したように手を放した。


「しょうがねえな、そんじゃ後は自分でやれ。もうやり方分かっただろうが」


 あんな乱暴なやり方では分かったどうか分からないが、ベルは必死で頭を縦に振る。


 「トーヤ」がベルの手に何かを握らせた。

 石鹸だった。

 

「ここに湯があるだろ? こっちの石は触るな、やけどする。だからあるだけの湯できれいにしとけ。俺は外で待ってる。また分からんことがあったら聞け。分かったか?」


 ベルはギュッと目をつぶったまま必死に首を縦に振る。


「終わったら呼べ。それからその服もついでに洗っとけ」


 「トーヤ」はそう言って外に出ていってしまった。


 ベルはしばらく服の上からじっと自分を抱きしめていたが、ようやく脱いで一人で体を洗い始めた。




 しばらくすると、長風呂で少しばかりのぼせた顔でベルが風呂場から出てきた。


「お、ましになったじゃねえか」


 「トーヤ」がふざけるように、クンクンとベルを臭ってそう言う。


「これなら部屋で寝かせても大丈夫だな」


 ずっと風呂場の外で待っててくれたのだろう。

 

「ありがと……」


 一応そう礼を言う。


 風呂から出て脱衣場に移動したら、子ども用の服が一式置いてあった。

 これも宿に頼んで用意してくれていたらしい。

 それまで着ていた服は洗って一応汚れは落としてはある。それはきゅっと水を絞り、手に持って出た。


「そんじゃ交代だ」


 そう言って「トーヤ」はさっさと2階の部屋へと戻る。


「おい、次、おまえ入ってこい」

「分かった」


 銀色の髪の麗人は、そう言うとマントを被って部屋から出ていく。


 すれ違う時に、


「きれいになってよかったね」


 そう言ってにっこり笑ってから階段を降りる。


「風邪ひかねえようによく拭いとけ」


 そう言って「トーヤ」はアランの横の椅子に座り、様子を見る。


「だいぶ顔色よくなったな」


 ベルもそっと覗き込む。

 言われたようにかなり楽そうに見える。


「おまえも風呂気持ちよかっただろ、すっきりしただろうが」


 「トーヤ」が背中を向けたままでそう言う。


 荒っぽくお湯をぶっかけられたこと、ゴシゴシ洗われたことを思い出し、なんとなくベルは素直に認めたくないような気がした。


「あのお姉さんの方がよかった!」

「ああ?」

「おっさん乱暴だ!」

「誰がおっさんだ、俺はお兄さんだっつーてるだろうが」

「お姉さんだったらもっと優しく洗ってくれただろ!」

「はあ?」


 「トーヤ」はくるっと振り向くと、


「おいガキ、今度おっさんつーたらはったおすからな」

「言ってなくてもはったおしてるだろ!」

「おまえ、えらく元気になったみたいだな」


 ゆらり、と「トーヤ」が立ち上がり、ベルがビクッと身をひそめる。


「おい、おまえ」


 ベルのそばまで来ると、腰を屈めて顔を近づける。

 ベルはよけるのも悔しいような気がして、正面から睨み返す。


「なんだよ!」

「2つ、教えといてやるよ」

「なんだよ!」

「まず第一にな、俺はおっさんじゃねえ、お兄さんだ、分かったな?」


 やさしい口調でそう言う。


「おっさ、あた!」


 思いっきり頭をはたかれた。


「はりたおすっつーただろうが」


 ベルが頭を撫でながら、涙目になって言い返す。


「2つってもう1つなんだよ! 言うことあるなら言えよな!」

「ああ」


 「トーヤ」がニタリと嫌らしく笑った。


「おまえ、間違えてんだよ」

「何がだよ!」

「あいつな、おまえがお姉さんっつーたマントのやつな、あいつも俺と同じお兄さんだ、よーく覚えとけ」

「ええっ!」


 ベルはあまりの衝撃に目玉がこぼれそうなほど目を見開き、それを見た「トーヤ」が満足そうに笑った。

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