6 優しい人

 ベルは恐る恐る階段をあがり、2階の一室へと入っていった。


「大きい部屋が空いててよかったな」


 「トーヤ」はそう言いながら、2つ並んだベッドの向かって左側にある方に、アランの体を横たえた。


 そんなには広くない部屋に、そんなには大きくないベッドが2つ、窓の方の壁に頭を方をくっつけて置かれている。


 窓に向かって左側のベッドのさらに左に戸棚のようなもの。荷物などを入れるようだ。

 戸棚の上には水が入った桶と何かが置いてあった。


 窓に向かって右側のベッドのさらに右に、ソファが一つ。これはベッド代わりになる。


 この国で多い「一人前半の部屋」、1人はベッド、もう1人はソファで休む形になるが、2人分ではなく1人と半分の値段で済む部屋、その倍の部屋だ。

 大人数で泊まる時などにここに入ったりする。4人で3人分ではなく、もう少し多めの人数、5、6人でも3人分で済むのでかなり経済的だ。

 

「さあ、そんじゃ始めるか」


 「トーヤ」がそう言うと、アランの服を脱がせにかかった。


「え!」


 ベルが驚いてその手を掴んで止める。


「何すんだガキ」

「そっちこそ何すんだよ!」


 ベルが「トーヤ」を下からにらみつけた。


「おまえ、この状況見て分かんねえか?」


 「トーヤ」が呆れたように言う。


「治療してやろうってんだよ、兄貴助けたいならそのきったねえ手、離せ」


 ベルはまだ疑わしそうに黒髪の男を見上げる。


「俺は別にどっちだって構わねえんだがな。けど、このままほっといたらせっかく助かりそうな命、無駄にするかも知れねえぜ?」


 「トーヤ」が口調はからかうように、だが、その表情は厳しくそう言った。


「助けてくれるのか?」

「だからそう言ってんだろ? そのつもりがなかったら、なんでこんなでかいガキ、わざわざ背負ってこんなとこまで連れてくんだよ。ほれ、どけ」


 ベルの手を、今までの態度からは想像がつかなかったほど、優しく掴んで放させた。


「おい、おまえ、下の厨房行って湯、もらってこい。もう話はしてあるからな、いきゃあ分かるはずだ」

「わかった」

「他にもいくつか頼んでるもんがあるからそれも全部な」


 ベルは黙ったまま部屋から出ると、急いで下の階へ降りていった。


 厨房らしき場所を探す。

 ここだろうか。


「あの……」


 そっと覗き込み、中の人影に声をかける。


「ああ、お湯かい?」


 ゆっくりと動いたのは、初老に差し掛かろうかという年齢の女性であった。

 恰幅かっぷくがよく、縦にもそこそこ大きい。

 ゆらりと立ち上がると、ベルに近づいてくる。


「大変だったねえ」


 そう言うと、ふっくらとした顔に少しだけ笑みを浮かべ、


「そら、お湯、湧いてるよ。熱いから気をつけて持って上がるんだよ。それから、そのカゴに頼まれたものが色々入ってる。またいるもんがあったら声かけるんだよ」

「あ、ありがと……」


 どうしてこの人たちはこんなに優しくしてくれるのだろう。

 ベルは不思議でならなかった。

 

 この三年、ベルたちはどこへ行っても冷たくしか扱われなかった。

 たとえ倒れて朽ちていって、邪魔なものとして見られたとしても、かわいそうだとか助けてあげたかったとか思ってももらえない存在であった。


 彼女のもう一人の兄が命を落とした時も、その葬る場所にかなりの苦労をした。それでも、野原に置いて風雨や獣の手に任せることだけはしたくなくて、必死で咎められない場所を探し、やっとそこに眠らせることができた。

 一応墓標らしきものを立ててはきたが、あれからもう一年近くになる。あんな頼りない墓標では、とっくに倒れてしまっているだろう。もう、ちゃんとした場所すら分からなくなっているだろう。


 なのにこの女性は、ベルに「大変だったね」とねぎらう言葉をかけてくれた。


 女性からカゴとお湯の入った桶を受け取る。

 一度ぺこんと頭を下げ、ベルはこぼさぬように気をつけて2階の部屋へと運んだ。


「おう、そこ置け」


 「トーヤ」は荷物置きの戸棚の上に桶とカゴを置かせる。

 自分はランプを前に置き、何かをやっているがよくは見えない。


「こんなもんかな」


 「トーヤ」がそう言って見ていたのはナイフであった。

 ランプの火でナイフの刃を焼いていたようだ。


 桶の水を少しカップに汲み、ナイフにかけると「ジュッ」と音がした。それをカゴに入った清潔そうなサラシで拭いて置く。

 次に、右側を下に、左側を上にして横向きに寝かせたアランの腹部の傷、そこにカゴに入っていたビンから何かをかけて拭いた。においからするとどうも酒のようだ。 


「さ、始めるぞ、ガキはあっちいってろ」


 そう言うが、何をするのか心配で目が離せない。


「しょうがねえなあ、邪魔すんなよな」


 そう言うと、アランの左腹にある傷にナイフを当てる。


「なにすんだよ!」


 思わずベルが「トーヤ」の手に飛びつく。


「あぶねえだろうが!」


 「トーヤ」がきつい声で怒鳴る。


「治療だっつーてるだろうが! 邪魔するんならどっかいっとけ!!」

「ほんとなのか!」

「なにがだ!」

「治療って何すんだよ!」

「あのな」


 「トーヤ」が少し声を落とし、言い聞かせるように言う。


「おまえの兄貴な、傷が化膿、つまり膿んでるだろ? そこを切って中の膿を出すんだよ。そうして傷もきれいに縫う。まあ黙って見てろ、見てられねえなら出ていけ」

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