第5章 万能王女と絵本の騎士

第1話 万能王女は悩む

 ――奇妙なお茶会から数日。

 あれからもカレンデュラ伯爵令嬢は、毎日切り口を変えてはエヴァ王女に知恵比べを挑みました。


 文系だと言いながらも果敢に数学の定理を持ち出しては王女に打ち砕かれ。

 語学で勝負しようにも、王女は既に8か国語は話せる化け物です。

 生前の記憶を頼りに地理学を口にしたところで、こちらの世界とあちらの世界では地理も地質も違って当然です。一方的に論破されて終了でした。


 ご令嬢が生前得意だったらしい日本文学、語学、人間科学などは、正直こちらではあまり役に立ちません。

 何せ「黄金郷」の偉人はこちらにはおりませんし、あちらで起こった歴史も関係ありません。

 語学だってそもそも全く違う言語ですし、人間科学は――まあ、哲学としてはアリでしょう。とは言え学者でも何でもない伯爵令嬢が哲学を論じたところで、どこの大人が耳を貸すでしょうか。


 カレンデュラ伯爵令嬢曰く大学に通っていたという事は、恐らく必修科目である経済学や統計学など、こちらの世界でも十分に役立つ知識をお持ちのはずですが……。


 ――しかし大変残念な事に、エヴァ王女は7歳の頃に経済学を履修済みです。

 その翌年には、統計学も楽しい楽しいと大喜びで学んでしまわれました。


 そうして「統計」を学ぶうちに医学にまで興味をもち、8歳で医療統計学にド嵌りされたという流れです。


 ちなみに医療統計学とは、感染症や病理などの疫学・臨床研究におけるデータの集め方や理論・技法・解析方法などを、数理的アプローチで解決する学問ですね。

 ……もっと分かりやすく砕けば、風邪をひいた方を沢山集めてデータをとって、「わあ、風邪って色んな症状があるんだなあ」「同じ薬を処方したのに、この人には副反応が出ちゃったなあ」「こういう事もあるんだあ~不思議だなあ」……というデータをとるものです。


 エヴァ王女がこうした研究を推進されたおかげで、ハイドランジア国で疫病を死因とする死亡率は大幅に減少いたしました。

 本当にとんでもない8歳児だと思います。


 ――すっかり話が逸れてしまいましたが、つまり何が伝えたいのかと言うと……エヴァ王女は既に、カレンデュラ伯爵令嬢が太刀打ちできるような相手ではありません。エ万能王女の名は伊達ではないのです。


 ただでさえ万能なのに、最近仲良くなったジョー……彼もまた曲者です。

 あんなにチャラついているのに、どうも彼は生前相当な頭脳をお持ちだったようで――彼と話すようになってから、エヴァ王女は輪をかけて優秀になってしまわれた気がいたします。


 最早わたくしなどではお2人の会話に入っていけません……元々こちらは、芝居で得たなんちゃって知識しか持ち合わせておりませんからね。

 医療ドラマを視聴して、「へ~、こういう病気があるんだ」と知るのと同じ程度ですよ。病気がある事を知っても、ドラマを観ただけでは手術法、薬事療法までは理解できませんよね。


「――アリーは本当に凄いですわよねえ。わたくし、レスタニア皇国は学問に成長がない国だと聞かされておりましたのに……彼女ほど優秀な生徒が大勢いらっしゃるなら、わたくしもレスタニア学院へ留学するべきだったのかしら。そうすればきっと、楽しいお友達もたくさん出来たのでしょうね」

「いいえ、恐らく彼女だけが特殊なのでしょう。聞いた話ではカレンデュラ伯爵令嬢、レスタニア学院では3年間主席だったようですから……彼女ほど聡明な生徒は、他に居なかったのではありませんか」

「まあ、凄いわ! さすがアリー、わたくしの友人ね!」


 機嫌よさげに朝の身支度をしておられるエヴァ王女は、衝立の向こう側でドレスに着替えられております。

 王女は連日続く伯爵令嬢の襲撃を物ともせず――と言いますか、知能指数の高いお友達と学問についてお話出来て、きっと毎日楽しんでいらっしゃるのでしょうね。


 エヴァ王女は好奇心旺盛で、知識欲が物凄いお方です。

 とにかく知らない事を学ぶのが大好きなので、学問を停滞させて考える事を放棄しているこの世界の住人よりも――王女をぎゃふんと言わせようと毎日必死に頭を捻らせている、カレンデュラ伯爵令嬢の方が好ましいのだと思います。


 彼女の悪意や敵意、下心に全く気付いていないところが、本当に王女らしくて可愛らしい。


 着替え終わって衝立から出てこられた王女は、本日もシンプルな装いで大変お美しいです。濃い青色のドレスは王女の金髪が映えますし、スカート部分に余計な膨らみがなくてスッキリとしています。

 最近はドレス選びについてワガママを仰られなくなって、わたくしもアメリも随分と気が楽になりました。


 ――実はエヴァ王女、一度わたくしがテオ陛下に呼び出されて目を離していた僅かな隙をついて、チャーシューのコスプレをしてジョーと会ってしまったのです。

 恐らく王女としては一張羅いっちょうら……これ以上ない勝負服だと信じて疑うことなく、意中の殿方に「可愛い」姿をお見せしたかったのでしょう。


 侍女のアメリ曰く、王女の装いを目にしたジョーはぽかんと呆けた顔をした後に思い切り噴き出して、「し、死ぬほど似合ってねえんスけど! ドレスに食われてるじゃねえッスか、マジ台無し!!」と悪気なく大爆笑してしまったようです。

 恋する暴走乙女はすっかり意気消沈して、ご自分のドレスの趣味がいかに最悪であるか、ようやく理解出来たみたいですよ。


 王女はジョーに「酷い」と言って憤慨して、お茶会が終わった後にはわたくしに向かって「どうして席を外したのか」「何故もっとドレスの趣味が悪いとはっきり指摘しなかったのか」「ハイドのせいで、ジョーの前で大変な恥をかいた」と八つ当たりの嵐でございました。

 ――まあ誰が悪いって、チャーシュー王女を本気で引き留めなかったアメリが一番罪深いですけれどね。


「ところでエヴァ王女、明日のパーティの準備はよろしいですか?」


 実はテオ陛下より、「あまりにも犯人が捕まらないから、ダメ押しでパーティを開こう」と提案がございました。

 捕まらないも何も、明らかに「黒」であるヴェリタス子爵とその実子がこの場に居ないのでは仕方がありませんけれどね。


 エヴァ王女の誕生日から、かれこれひと月は経過いたしました、それでも犯人が捕まらないのですから、困りものです。


 王女を不安にさせる訳には参りませんから、改めてパーティを開く理由は「他の友人候補達を蔑ろにしすぎるのはよくない、最低限の交流を持ちましょう」というものですよ。


「――わ、分かっています、準備は万全ですわ。さすがにジョーとアリーばかり優遇し過ぎましたものね……他の集められた皆さんが面白くないのも、理解できますわ。わたくし誕生パーティの時も、体調不良を理由にすぐ下がってしまいましたし――」

「それは重畳ちょうじょうでございます。またあのヴェールを被って、怪しげな占い師スタイルでお願いしますよ」

「や、やっぱり怪しい占い師だと思っていましたのね!? 口では似合っているだのなんだのと仰っていたくせに! もうハイドの言う事は信じませんわ!」

「ですが、王女の「顔」目当てで頭が空っぽのご友人なんて必要ないでしょう? あれは被っておいてください、エヴァ王女をわずらわせたくありませんから」


 わたくしの言葉に、王女は不服ながらも頷いてくださいました。そしてわたくしはそのまま、王女に提案いたします。


「エヴァ王女。本日のジョーとの茶会で、素性を明かしてはいかがですか」

「え!? わ、わたくしがエヴァンシュカだと……? どうして、急に――」

「急ではありませんよ、もう十分お2人は仲を深められました。信頼だって育んでおられますから、きっと幻滅も絶交もありませんよ」

「で、でも……」

「今のままでは、明日のパーティで困るでしょう。ヴェールの中身が「アデル」だと知らぬまま、ジョーは王女と親交を深めようとなさるかも――それがヴェリタス子爵から課せられた、彼の職務です。これ以上黙っていては、さすがに不誠実だとは思いませんか?」


 まず、声や喋り方――立ち居振る舞いで中身が「アデル」だとジョーにバレそうですしね。

 このまま黙っているよりも、今日中に王女の口から釈明しておいた方が良いに決まっています。


 わたくしの言葉に、エヴァ王女はかなり長く考え込みました。

 しかし、ややあってから意を決したようなお顔をなされると、僅かに震える声で「分かりましたわ」と了承してくださいました。王女は本当に素直で可愛らしい方です。


 ――正直申しまして、ジョーには王女の味方で居てもらわねば困るのです。

 それは恋愛的な話だけでなく、彼の養父の問題を解決する事や、王女の身を守るためでもあります。

 武器が扱えないとは言っても、あれだけ聡明なのですから……ジョーがこちらについてくれれば百人力です。


 あとはカレンデュラ伯爵令嬢あたりが適当に場を賑やかして、周囲の注目を引いて下されば言う事がありませんよ。最高の布陣ですね。

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