第5話 王女と令嬢

 ――エヴァ王女とテオ陛下の密談から数日後。

 気晴らしに花が見たいと仰るエヴァ王女に引きずられるようにして、わたくしは王宮の大庭園を訪れました。


 大庭園は王宮の顔、玄関口でございます。

 広さはおよそ5ヘクタール、季節ごとに違う花が咲くその庭園の景観はお見事としか言いようがありません。


 王宮の関係者だけでなく一般国民にも無料開放されているため、老若男女問わず楽しめる場所。ハイドランジア王国の観光名所のひとつですね。


 ただ、訪れた時刻が夕暮れ時と少々遅い時間であったため、人影は既にまばらで――親に連れられて来た子供達も帰路につくところなのでしょう、笑い声が遠いです。


 エヴァ王女はあの密談からずっと不貞腐れていて、今も唇を尖らせて花を見つめておられます。完全にキッズです。

 わたくしはそのキッズの背後に立って――「お腹空いたなあ、早く帰るって言い出さないかなあ」なんて思いながら――彼女の気が済むその時を待ちます。


 ……そんな長閑のどかな大庭園で、事件は起こりました。


「――ようやく見つけたわよ! エヴァンシュカ・リアイス・トゥルーデル・フォン・ハイドランジア!!」


 大庭園に響いたのは、よく通る高い声でした。

 わたくしは咄嗟にエヴァ王女の前に片腕を出して、彼女を庇う姿勢をとります。


「王女様、お下がりください。どこのどなたかは存じませんが、相手は何らかの魔法の呪文を唱えたようです」

「じゅっ、呪文じゃありませんわ! 今のはわたくしの名前でしょう!?」

「名前」

「ハイドあなた! どうして19年もわたくしの傍に居て、いまだに名前を覚えられませんの……!?」


 ――だって長いんですもん。


 ショックをお受けになられているらしいエヴァ王女を背に庇いながら、わたくしは改めて、王女のクソ長ネームを淀みなく叫んだ謎の女性を確認します。


 高そうなドレスを身に付けられている事からして、一般国民というよりは貴族のご令嬢でしょうか。しかし王宮の出入りが許可されているご令嬢の中に、このようなお顔の女性は記憶にございません。


 チョコレートのような焦げ茶色の髪は、癖一つなく胸元にかかるセミロング。

 気が強そうに見られがちなエヴァ王女の釣り目とは対照的な、神秘的な金色の垂れ目。


 やや病的な白さを誇る王女に対して、ご令嬢の肌は健康的なクリーム色。

 体も細過ぎず、全体的にほんわかとした印象で美少女――いや、恐らくは美少女なのですが、その表情は何故か般若のようで……一体何なんでしょうか、この台無し令嬢は。


 ――とは言え、相手は王女のフルネームをそらんじるようなご令嬢……わたくしでも苦労するというのに、これはただものではないでしょう。


「ちょっと、聞いているの? エヴァンシュカ・リアイス・トゥルーデル・フォン・ハイドランジア! 貴女よ、そこの貴女!! 無視しないでよね!!」


 ご令嬢は眉を吊り上げて、ハイドランジア国民の至宝とも呼ばれるエヴァ王女を右手の人差し指でズビシと差しておられます。

 空いた左手は彼女自身の腰に宛がわれており、そのなんとも不遜な態度の女性に――わたくしは胸が高鳴るのを感じました。


 王女は妬み嫉みから何かと敵を作りやすいのですが……しかし、ここまで露骨に敵意を剥き出しにして真正面からぶつかってくる方は相当珍しいです。

 今度は一体、王女の何に憤慨されている方なのか――それは聞いてみない事には全く分かりませんが、とにかくこれは、是非とも「エ万能王女」とバトルして頂きたい。

 わたくし、わくわくが止まりません。


 わたくしは、背後で怪訝けげんな表情をされている王女に向かって微笑みました。


「エヴァ王女様、どうやら貴女の「お友達」になりたいご令嬢のようですよ」

「――まあ、そうなの? 道理で何度もわたくしの名前を呼ぶはずだわ、とても明るくて元気そうな方ね」


 王女もまた微かな笑みを浮かべると、わたくしの背後から数歩躍り出て、いまだ指差し確認を続ける謎のご令嬢と対峙されました。


 ――以前、エヴァ王女は人の悪意を上手く感じ取ることが出来ないとお伝えしましたが……その原因は、わたくしがおかしな方向へ誘導するせいでもあります。


 実はこの王女、彼女に敵意を抱く者は論外として――好意を抱く者からも「友人だなんて恐れ多い、私達はただ王女を眺めているだけで十分です」と遠巻きにされてしまうため、まともな友人と呼べる存在が居ないのです。


 友人どころかあまりに好かれ過ぎて……王女が話しかけただけで泡を噴いて失神する者や、友好の印だとモノを送れば「家宝にする」と言って祭壇に祀った上で、「我が家の全財産を全て王女に明け渡します」なんてクソ重いお返しをしようとする者ばかりでして。


 ――愛され過ぎた王女様は、会話のキャッチボールすら出来ない環境で育てられた訳です。


 そんな王女に「まともに」話しかけられるのは、彼女に明確な敵意をもつ者だけでございます。

 どうもエヴァ王女はまともに会話してくれる「敵」の皆さんがお好きなようで……どんな酷い言葉をかけられようが、持ち物に悪さをされようが――「まあ、そんなにわたくしとお話がしたいの? 困ったお方ね、もしかして友人になりたいのかしら?」なんて喜んでしまわれるのです。


 わたくしはもう、そんな王女の素っ頓狂なお言葉を耳にするたび胸が震えてしまって。

 いつも「そうです、友人になりたいのに素直になれないご様子ですよ」なんて背中を押してしまう訳です。


 ――どうです。わたくしの王女様、バ可愛らしいでしょう?


「いかにも、わたくしがエヴァンシュカ・リアイス・トゥルーデル・フォン・ハイドランジアですわ。貴女のお名前は?」


 普通、貴族の礼的に考えれば、「王女」である彼女が先に自己紹介するなどありえません。

 相手が同じ王女であれば話は別ですが――残念ながら、指差し確認令嬢からは王族特有のロイヤルな空気が一切感じられません。


 わたくしは高鳴る胸をそっと押さえながら、王女とご令嬢の戦いの火蓋が切られるその時を待ちました。

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