第114話 黒虎 戦闘


インクリットとアンリタが飛び出した瞬間、手負いの黒虎は素早く立ち上がると牙を剥き出しで咆哮を上げる。 


黒虎からしてみれば吠えれば逃げる生き物は多い

しかし目の前の人間はそれとは違う

子供だからとインクリットも温情を抱くことは出来ない、この個体はアクアリーヌの若い冒険者1名の命を奪っているからだ


『ハンドハーベン!』


両手に握る双剣に緑の魔力が流れた

任意の物質を操る事が出来る風属性の魔法であり、双剣を手放したとしてもそれは意思を持ったかのように空中を飛び回る事も可能なのだ。


『強化魔法!スピード強化!』


そして彼は走る脚力を得るために強化魔法を自身に唱えた。

緑色に一瞬発光すると、アンリタも彼同様にスピード強化魔法を施す。


(パワー強化は…)


魔力温存で彼は残す

火力はアンリタであり、彼女は更に火属性強化魔法のパワー強化で腕力を得る


ランクCの猛獣である黒虎は目を細めると、威嚇を止めて姿勢を低くした

肉食獣特有の飛び出すと言わんばかりの姿に二人のスイッチは入った。


吠える事は無く、雪で足場の悪い地面を爪を使ってジグザグに移動してインクリットに襲いかかった

飛び出す瞬間の舞い上がる雪や土、それは常人には真似出来ない脚力がなせる光景

もし万全であったならば、もっと俊敏だったのだろう


(見える)


インクリットは滑り込むように身を低くし、すれ違いざまに腹部を双剣で斬り裂いた。

吹き出す血は少なく、それはダメージが浅かった証拠


『ぐっ!』


すれ違いで攻撃したのは彼だけじゃない

逃すまいと振った右手の爪が、インクリットの肩を裂いていた

人間以上の動体視力を持つ生物は多く、今彼らが相手にする魔物は反応速度が異常に速いのである。


肩から流れる血の暖かさを感じつつもインクリットは手負いとは思えぬ堂々とした立ち姿の黒虎を前に双剣を再び構える。

先ほどの攻撃で隙を作る予定が、黒虎はダメージを負っても隙は見せない


『ちょっ!』


アンリタは驚く


生物は構造上、動く前の動作が必要なのだ

しかし黒虎は静かに彼女に顔を向けると、そのままの姿勢で低姿勢で一気にトップスピードまで駆けたのだ。

アンリタは構えてはいたものの、覚悟という準備が遅れてしまい回避に手間取る

鋭い前足の爪が彼女の前に迫る、そして間一髪で持ち前の反射神経を活かして横に倒れる形で避ける事が出来たのだ


『ゴロァ!』


(このあとね!)


着地と同時に強引な角度で再び彼女に向かって飛び込む黒虎

立ち膝になった時には既に目の前、しかし彼女は狼狽えない

前まではソロで活動し、無理をすることなく着実に魔物を倒していた彼女だが、チームを組んでからは更に前に詰めるような戦い方が出来るようになったのだ。

1人で戦う時と違う事、それは仲間がいる事である


『ごめん!』


黒虎の横から飛び込んできたのはカゼノコで飛翔能力を得たインクリット

ハンドハーベンの効果で双剣は彼の真横を飛んでおり、彼は低空飛行のまま無理やりアンリタを抱き抱えてその場を脱すると、同時に操る双剣は黒虎の側面に深くまで突き刺さった。


舞い上がる雪、季節に負けぬ体温

いきなりの救出にインクリットは彼女を抱き抱えたまま、慣れない低空飛行での着地に失敗して転がるように吹き飛ぶ

それを見逃す黒虎ではない


『ゴロァァァァ!』


口を大きく開け、肉食と言わしめる鋭い牙を向きだして飛び掛かる黒虎

駆け出す瞬間に後ろ足で大地を削ると彼らの目の前にはトドメを差そうと猛獣が迫る。

危険すぎる状況、だが彼らは初めての連続である危機に直面しても諦める事は無い。


(押し込め!)


彼が念じると、黒虎の側面に突き刺さる双剣2本は更に深く突き刺さる

それによって痛みを感じた黒虎は僅かに空中で態勢が崩れるとアンリタは左手を敵に向ける


燃え盛る赤い魔法陣はその熱量を上げ、半端ではない威力を誇る魔法

鍛冶祭の会場へ向かう道中で彼女が手にした彼女の素質に合う炎魔法


『炎魔法・ブレス!』


下位魔法は火、中位魔法は炎

龍の口から吐かれた炎の様に、魔法陣から吹き出すはそれに酷似した炎

流石の黒虎も中位魔法の炎となれば驚くしかない

目を見開いた瞬間には炎の中に包まれ、そして魔法の発動による反動で2人は上手くその場から離れるように地面を滑る


『ゴロァァァァァ!』


火・炎の耐性がある程度高くてもブレスという炎属性の中位魔法はアンリタの魔力袋によって飛躍的に強化され、耐性など問答無用と言わんばかりに黒虎に多大なダメージを与えた


魔法が止まっても、燃え盛る黒虎はその場で暴れながら悶え苦しむ

普通ならばここで終わり、インクリットとアンリタはそうだろうと思ったがそうならない事を考えて素早く立ち上がるとようやく戦いの態勢を整える


(凄い威力だ…)


彼女の繰り出した魔法に驚きながらも、火達磨と化した黒虎に警戒を向ける

そして彼らの思惑通り、目の前の魔物はまだ終わらない

インクリットが黒虎から双剣を操り、抜いた瞬間にその魔物は果敢にも彼に向かって一直線に襲い掛かった

猛獣の本能なのかどうかは彼らに定かではない、しかし火をどうにかするという考えよりも敵を倒す判断を下したのは結果的に正しい


『グルァァァ!』

『くっ!』


インクリットが双剣をキャッチした瞬間に黒虎が突き出した右前足の鋭い爪が迫る

双剣をクロスさせ、受け止めるが猛獣たる全体重を乗せたかのような重さに彼は耐えきれずに吹き飛ぶ

そしてアンリタはインクリットのもとに行かせまいと槍を突き出す


(この虎…)


酷い火傷であることに間違いはない、しかしダメージを負った動きではない

絶命するギリギリまで最大限の能力で動く魔物は将軍猪だけではないのである

2人が相手する魔物もまた、同じ類なのだ。


『グルァ!』

『ちっ!』


避けられては攻撃をされ、避ける

飛び込んでくると真横に飛んで距離を取ると黒虎が迫る

離れる事は許さないと言わんばかりの猛攻に横から参戦するインクリットの攻撃さえ黒虎はギリギリで避け、後ろ足の爪を使って蹴る


『うっ!』


リーチが足りず、目の前で止まる赤い爪に唾を飲むインクリット

だが戦いは終わりに近づいてくる


『はっ!』


僅かに視線を外されていたアンリタは直ぐに黒虎の前足に槍を突き刺してバランスを崩す。

ガクンと倒れそうになる様子はインクリットにも好機、腰から投げナイフを掴むと素早く黒虎の首に突き刺し、痛みで黒虎は仰け反った


『ありがとっ!』


全力で押し込んだ槍は黒虎が開けた口に深くまで突き刺さった

体毛はある程度は堅いと言われている魔物であるため、彼女は咄嗟に柔らかい部分である口を狙った事はこの状況では一番の正解だ。


『ゴガッ…ゴロロ』


心臓の音だけが彼らの耳元にこだまする

それは自身の生きる音の証明であり、それとは別に視界に映るのは動きを止めた猛獣

緊張の一瞬、動くのか倒れるかの未来が未知数だからこそ強く脈打っている


『倒れなさい』


声など届く筈もない、しかし彼女の小さな一言によって黒虎は横ばいにドサリと倒れた。


続く緊張感、魔石が出るまで油断すら出来ない

額から流れる汗はいつもより熱く、吐息は白く彼らの視界を遮る


『よし』


インクリットが囁く理由、それは黒虎から魔石が顔を出して地面に転がるのを確認したからだ。

ドッと押し寄せる疲労に一息つきたい気分であっても二人は辺りを見回す


ムツキやクズリは首を横に振ると、そこでようやく二人は力を抜いて魔石に近付いた


『本当にデカいのに素早いわね』

『凄かったね。一瞬ヒヤヒヤしたよ』


いつも通りの会話をしたまま、アンリタは魔石を拾い上げる

先程の戦い、その中で彼女は助けられたことを思い出すと横にいるインクリットを恥ずかしそうな素振りを見せながら頭を叩く


『あいたっ!』

『この変態双剣男!何回抱いてんのよ!』

『し…仕方が無いじゃないか』

『むむむ…』


言い返せないアンリタ

確かに危機的状況では仕方がない時がある

インクリットならば、その信頼があったからこそ起きた事でもある為、彼女は諦めた


(ほんっとに)


心を落ち着かせようと考えたアンリタは一度深呼吸をする

どう言えばいいのか丁度良い言葉が浮かばない

彼女はそのせいなのか、間違った言葉を口にする


『特別よ特別!抱いていいけど胸触ったら殴るわよ!』


『アンリタァ!そりゃエッチな事をするけど胸は駄目ってぶへらぁっ!!』


驚くクズリは駆け寄りながらそう言ったが、彼は最後まで言うのとなく真っ赤な顔のアンリタに殴り飛ばされた


『違うわよっ!』


(数秒遅れていたら僕がああなっていたか)


案外、ピュアな一面を発見できたがクズリが殴り飛ばされたという代償は大きい

インクリットはホッとしつつも別の個体の出現に意識を向けるが、杞憂なのかと思い始めた


『ムツキさん、様子はどうですか?』

『気配はありません。目的は一応達成ですが…』


親を呼んでいた線は薄れていく

しかし、実際は正解であった事に4人はまだ気づかない。


『いってぇー!』

『筋肉バカ、今度言ったら次は顔面よ顔面』

『だって抱くってそういう意味だろぉ!?』


再び殴られそうになるクズリは素早くムツキの後ろに隠れ、様子を伺う

そのやり取りが面白く、インクリットとムツキはクスリと笑った

危ない状況はあったが、それでも2人だけで黒虎を倒した結果は大きい


彼らが大きく成長を遂げたのは1人の男の存在だろう

確実にその者の指し示す道を歩き、彼らは着実に力を手にしていく


『そういえばケガはないアンリタ?』

『な…ないわよ変態』


何故自分も言われるのだろうかとインクリットは苦笑いを浮かべたまま自分に問いかける

顔が赤いアンリタが口をモゴモゴさせながら何かを言いたげだが、インクリットはその恥ずかしそうにする彼女を見て少し体に熱が籠る


『一応周りを警戒してますが、気配は無しですよ』

『すいませんムツキさん』

『いえいえ、楽しい雰囲気は大事です』


笑顔で答えるムツキ

こうして彼らは無事に森を出る為に歩き出す。

突如として発生した特殊依頼で寒さを忘れていたため、この時初めて彼らは寒い事に気づく


何度もクシャミをするクズリに呆れた顔を浮かべるアンリタ

そしてもう少しで森を出れるという所で現れる夜の徘徊者である骸骨剣士

数は5体と少なく、問題なく倒せると誰もが思っていた。

だがこの時、ムツキの気配感知能力に捕まる事なく近くにいた存在がいた


『さっさと倒して帰ろうぜ』


クズリがそう口にし、盾を前に構えた瞬間にそれは現れる

闇夜の中、骸骨剣士達の背後から感じる殺気に突如として全員の体が僅かに強張った


(この威圧!)


(私の感知を掻い潜る…だと?)


インクリットは目を細め、ムツキは驚愕を浮かべた

森の中から轟く金属音、その瞬間に彼らが相対していた骸骨剣士は一瞬で切り刻まれる。

赤い目だけが暗闇の中から現れと皆が息を飲み、それは静かに歩き出して姿を現した。


『そんな…』


鋭い赤く光る眼光、頭部の両側面から生える角は赤い

紫色の体は筋肉質であり、血管が所々浮いている

風が無いのになびく獅子のタテガミ、鋭い牙に咥えられるは先ほど交戦した個体よりも大きい黒虎、頭部から腰に伸びる黒い毛、そして尾は長く鋭い刃となっていた

全長4メートル半、邪悪な獅子が彼らの前に立ちはだかる


『闇獅子…』


インクリットは呟いた

ランクBの猛獣種、虫種である閻魔蠍と互角に渡り合う力を持つ凶悪な魔物

知能は高く、将軍猪の突進にも真正面から立ち向かう獅子でもある


(睨まれただけで…)


自分達は一瞬委縮したとアンリタは気付く

生半可じゃない相手に誰もが静かに武器を構え、覚悟を決めた


『ガルゥゥゥゥ…』


舌で口の周りを嘗めながら僅かに首を傾げ、堂々と4人の前で立ち止まる

闇獅子から見れば彼らは餌なのか、敵なのか

尾を器用に動かして威嚇する姿を見れば誰もがどう見られているかを理解する

それは姿勢を低くし、唸り声を上げたのだ。


『っ!?』


今日、何度雪が舞い上がるのだろうか

その瞬間に迫る闇獅子は彼らの目の前に迫り、命を刈り取ろうと右前足を前に突き出した。

脳は避けろという信号を体に送る前にそれは起きたからこそ、殆どが反応できない

しかし本能的に来ると体が勝手に動いていた者が1人だけいた


『おらぁぁぁぁぁぁ!』


クズリはインクリットの前に現れると、盾を前に自身よりも巨躯である闇獅子の右前足のパンチを受け取る。

甲高い金属音は森の奥まで轟き、それは今年最後の強敵と戦う合図。

こうして全員が一斉に動き出したのだ



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