第107話 遭遇
説明会終了後、エーデル・ホールの外で遭遇したのは紛れもなくアミカの父だ
双方ともに予想外な出会いに言葉が出ず、驚いているようだった
きっと互いに昔の記憶が光速で脳内を流れ、体はそれに適応しようと頭部からのシグナルを待っている頃合いだろう
優しい父から変貌を遂げたドノヴァン
元気に幸せの中で育ち、父の変貌で耐えきれなく家出したアミカ
彼女は今何を思い出し、何を感じているのだろうか
予想だにしない出会いで明日への覚悟が打ち砕かれれば誰もが混乱する
鬼が出るか蛇が出るかでしかない状況
どちらから口を開くかなど俺にもわからない
この場だけの異様な空気に入口から顔を出す参加者はソワソワし始めるのがわかる
『アミカか』
ドノヴァンの口から多少狼狽えるように放たれた言葉は6年振りに本人に送る娘の名前
思いつめたような様子を見せ、彼は何かを言いたげに僅かに口を開くが、その言葉が飛び出す事は無かった
『…たもん』
俯くアミカから聞こえる声はとても小さく、俺でも聞き取れないくらいだ
6年振りの父を前に、彼女は何も準備もしていない今日に出会った事によって感情が誤作動したかのように高ぶり、当時の最後を思い出したのだろう
プルプルと震える体、両眼から流す涙、そして決して父を見ない姿勢はその象徴とも思える
『私頑張ってるもん!』
彼女はドノヴァンの横を通り、走っていく
戸惑うドノヴァンだが、俺は奴を気にしている余裕はない…
(アミカ…)
俺は足早に彼女を追いかけた
馬車小屋とは正反対を駆けた彼女だが、今は仕方がないと思える
直ぐにアミカの背中を捉えたが、俺は止める事が正解とは思えなかった
存分にその起伏した感情が降り注ぐ雪で冷めるまで俺はひたすら彼女の後を追いかけた。
それにしても凄い体力だ
何分走っているのか、インクリットよりも体力はあるのをこの状況で知るのは複雑だ。
ようやく街の通りの途中で足を止めると、彼女は息を切らしながら大事な書類が入っている封筒を抱き抱えたまま上体を下げた
相当疲れたのだろうが、俺は彼女の隣まで行くとようやく顔を持ち上げ、目の前の建物に視線を向けた
目を腫らしたアミカが眺める先には小さな鍛冶屋があり、悲しそうな眼差しを向けたまま独り言のように話し始める
『お父さんは私の事、嫌いになったのかな』
数年分の我慢が言葉となって僅かに吐き出された
弱々しく、そして消えかけの命の様な声でだ
『上手になれば、あの時のお父さんがずっと戻ってくるとずっと思ってた』
悲痛な小さな叫びは1人の者にとって耐えがたい言葉となり、感情をより増幅させる
止まらない涙、向けた視線はファウスト鍛冶工房という昔アミカが幸せを感じていた居心地の良い場所であった所だ
彼女は今それを見て、何を感じているのだろうか。
『いくら叩いても、お父さんは戻ってこなかった』
あの頃の幸せを彼女はもう一度望んでいる
あの頃の父をもう一度見たいと望んでいる
だからこそ彼女は耐え、ずっと懸命に鉄を打っていた
『お母さんが死んでからお父さんは変わった』
鍛冶の祭典、それはアミカにとって誰よりも意味のある大きな決断の時を迫られる瞬間が訪れる場所
涙を拭い、彼女は無理に笑う
『出来るかな、私』
それはお前次第だアミカ
俺は心の中で何度も願う、もう泣くのはやめろと
悲しい顔が似合う者なんていない、それは作られた物語の中だけの話だ
『子は親に反抗する権利はある筈だ。道具ではない』
本当に父としての心がまだあるなら、彼女の想いは伝わる筈だ
俺は残っている可能性が高いと見ている
感情を失くした人が娘を見てあんなに驚き、そして去っていく娘の背中を悲しそうに見る事なんてしない
何が彼の中で起きたのか、それはアミカの出方次第でしかドノヴァンは決して口にしない。
そして宿に向かって歩いていると、徐々にアミカは落ち着きを取り戻し始める
ドノヴァンを見てかなり興奮したらしく、今は恥ずかしそうにしていた
『ちょっとびっくりしちゃって…あはは』
『俺も驚いて固まったぞ。明日なら良かったのにあれは仕方がないからその分も明日に言っておけばいい』
彼女の努力を見せなければわからない問題
へこたれる不安もあったが、先ほどの出会いを見ると感情に任せて勝手に喋らせれば何とかなりそうだな
彼女は肝が据わっている時が多々ある、だからその勢いで行ってほしい
すっかり元通りになったアミカだが、まだ目は腫れている
いつも通りの笑顔になってくれるだけで安心だが、面倒なのが前から来ているようだ
(む…?)
ドノヴァンの一番弟子と言われるラフタだが、貴族騎士の代わりに変わった者を引き連れていた。
黒い軽装備、腰から黒いマントがなびく3人の男は傭兵で間違いはない
情報で聞いたことがある男が1人に見覚えのある者1人…あれは…
『師匠が怖くて逃げたか?』
俺達の道を塞ぐようにして足を止めると、そう口にした
何故ここまで執拗に接触をしてくるのか、今ならなんとなくわかる
フラクタールで3人の中の1人と通りですれ違った事があるからだ
しかも彼はアミカの鍛冶屋にも顔を見せたことが数回あり、不思議な事に剣を数本購入している
軽鉄製、ミスリル製、リーフシルバー製の小柄な片手剣をだ
(なるほどな…)
そしてもう1人は見た事は無いが、体から魔力が溢れているのが分かる
俺が視線を向けても逸らすことなく、強い目で返すくらいだ
ガラハド・アンドリューという公国内で剣の技術が高いSランクの傭兵さ
左右の者もフラクタールで奇妙な客だと思って街の傭兵ギルドで大金払って傭兵達に調べて貰ったが、双方共にAランクの猛者である傭兵だ
俺対策で連れて来ただろうが…まぁ無難か
『お前が出れる祭典じゃないんだ…、お前はドノヴァン大先生から2度も逃げた。今更戻ってきて何になる?あの人の顔を汚す気か?』
『家族の問題に首突っ込まないで。大人ならわかるでしょ』
ごもっともな正論がラフタの胸に重く突き刺さる
苦虫を噛み潰したような表情は悔しさの塊を具現化し、見ているとスカッとした気分になりそうだ
お前は関係ない、家族の問題に他人が口を出すなと言われればそりゃそうだろうなぁ
言葉にならない怒りを浮かべる彼なんてアミカは気にせず、彼の横を歩き出す
その時の彼女は強く気高き瞳をしており、明日への向けて歩き出しているかのように見えた
『と…止めろお前らっ』
ラフタが慌ててアミカを止めようとするが、傭兵は止めない
こいつは傭兵の世界をまるでわかっちゃいない、ただ有名だから雇ったならば間違いだ。
その間違いをラフタはガラハドというドレッドヘアーの男の口から聞く事となる
『依頼は護衛です。それに傭兵同士での争いはご法度ですがこの状況で俺らが動く理由はございません』
『それでも名のある傭兵か!』
『名のある自負があるからこそ、ルールの中で登り詰めた身です。貴方はまるでわかっていない』
『な…何がだ』
『貴方が公国で剣の親と言われるドノヴァンに逆らえないのならばこちらの世界も同じです。傭兵の世界でも逆らえない者が今俺達の目の前にいるのに無理を依頼して動くと思っているのならば大間違いだ。全財産を払われても馬鹿じゃない限りそこの者に牙なんて向かない』
完全に四面楚歌のラフタは鬼の様な形相で去っていくアミカの背中を眺めた
俺はそんな彼を通り抜け、ガラハドに視線だけを向けて言ったのだ
『違う形で会いたいものだ。ガラハド』
『同じく』
ラフタはアミカがフラクタールにいる事を知っており、傭兵を使って調査していたのはこれで完全に理解できた
彼の執拗な嫌がらせの意味は一つしかない、アミカという存在が怖いのさ
それは彼女の実力はしっかりとある表れでもある。
『グスタフさん、行くよっ!』
『あぁわかった』
楽しくなりそうだな
宿に辿り着くと、まだインクリット達は帰ってない事をフロントマンから聞く
まだ夕方まで時間あるしのんびり冒険者ギルドで都会を堪能しているのだろう
しかし、フロントマンは休憩所に顔を向けると凄い発言をしたのだ
『お二人にお客様が来ております』
視線の先、釣られた俺達は休憩所の椅子に座ってニヤニヤしながらこちらを見るジキットに気付いたのさ
(暇人か?)
『やっと来たか羊野郎』
『ジキット君だ!』
『ようよう!元気そうだな』
アミカが近寄るもんだから俺も続くしかない
近くの椅子に座り、ジキットから軽い連絡を聞いたが一週間後にノアはリグベルト小国に向かうとの事だ。
狼人族の国家であり、ノアにとってはキュウネルの事もあって気が楽な会合となる筈だとさ
『来たんだから終わったらノア様に顔くらい見せろ?無視したら殺す』
『こっわ』
『ジキット君、グスタフさんに厳しー!』
笑いながら言う事かアミカ?
接し方が偏り過ぎてるというか、なんというか
『まぁ親父さんの事だが、今年で11連覇となると公国の歴史上じゃヤバ過ぎる功績らしいが、喧嘩中だってなアミカちゃん』
『あはは、喧嘩中だけどお父さん凄いよね。鍛冶職人の顔だしね』
『確かにそうだな。今回はいつにも増して凄い作品なんだろうが…、ここは死んでも落とせないだろうな』
記録は更新し続けるからこそ士気は異常に上がり、自らを鼓舞するが一度の失墜がその先を暗くしてしまう。
ドノヴァンは止まらない限り全盛期だというジキットの発言に俺も少なからず同意だな
穏やかな顔を浮かべるアミカ
それは心底誇らしい気持ちが彼女の中にはあるのだろう
『親父超えたれ超えたれ』
ジキットは軽くデカい事を言葉にするが、アミカは素早く『無理無理っ!』と否定する
でもそのうちは狙える心の余裕はきっと訪れるが、それはアミカ次第さ
『私一回部屋に戻るね!』
彼女はそう告げると、小走りに階段を駆け上がっていく
さて、ジキットと2人きりという状況で彼に視線を送る
椅子に座り、彼から軽く話を聞くと今日は非番だがノアから祭典まで俺の監視を任されているらしい。
お休みの日でも動くなんて俺は絶対嫌だ
『一応お前には伝えておくが、ここ2年間の祭典で窃盗が起きてるから十分に気を付けろ』
『窃盗?』
『特に上位入賞者の一部の作品が盗まれる。公国としては金になる作品を狙った闇組織の仕業だと予想している。』
『ハッキリ言ってそれは参加者の中に実行犯か内通者がいると言っているようなもんだぞ』
『俺もそう思っているが調べようが無ぇんだ。』
計画していてやっている事ならば足取りを掴むのは難しい
闇組織だけならまだしも、内通者までは尋問しないと駄目だからな
去年はフルフレア王子が持つ魔法騎士が1人だけ捕らえたらしいが、親玉に会える事はなかったそうな
俺は武器収納スキルの中にアミカの作品がある為、闇組織には無理だ
だから安心して祭典に挑めると思うが、ジキットはそう思ってもいないらしい
『どのタイミングで盗られるんだ?』
『2年前は前日の深夜に宿に侵入、去年は大通りがやけに込んでいて回り道をした参加者が待ち伏せしていた闇組織にって感じだ』
『手札が多い邪魔者だなぁ。用心しておく』
面倒事が多いな
フロントマンがサービスの為に、休憩所スペースの椅子に座って休む俺達に近づくと、飲み物はいかがですかと聞いてくる
俺とジキットはココアで頼むと、フロントマンは笑顔で下がっていく
ここも外気でちょっと寒い、一応暖炉はあるのだが少し物足りないかな…
ここでジキットは色々と教えてくれたが、最近のドノヴァンは弟子との関係は良好とは言えない状況であり、離れていく者が増えているようだ
50人以上いた弟子は今では10人程度、理由としては魔法剣の作成に携わる事をドノヴァン自身が弟子にまだ教えていないからだとか
『3年もいて基礎ばかりに嫌気が差したって弟子はゴロゴロいるってよ』
『基礎は大事なのだがな』
『鍛冶の世界はわかんねぇから3年が長いのか短いのかわかんねぇよ俺も』
『だが弟子に来るのは腕前が保証されている者もいるだろう?』
『その通りだ。そこそこ名のある職人ですら基礎ばかりさせるから去っていくんだ』
アミカの父親の雲行きは怪しい
俺はアミカの家出があってドノヴァンが変わって言ったのだろうと思っている
ラフタは明らかな嫉妬をアミカに向け
ドノヴァンは異常なほどアミカに厳しい
この2つに何か因果関係があるのかもしれないとジキットに話すと、彼は唸り声を上げる
『ドノヴァンの鍛冶技術を知るのはアミカちゃんだけだしな。どの程度を知っているかは定かじゃねぇけどよぉ』
『…魔法剣を作るのに普通はどのくらいかかる?』
『わかんねぇ…暇だから調べてくるさ。』
怠そうに立ち上がるジキットは首を回してから俺に視線を向ける
何かを言いたげな様子だなと数秒思ったが、その予想は的中だ
『肉奢れよ?ちゃんと調査してくるからよぉ』
『わ…わかった』
『ちなみにアミカちゃんは祭典に出す作品までどの程度の苦労をしたか聞かせろ』
俺はアミカの魔法剣に関する結果を教えると、ジキットは僅かに不思議そうな顔を浮かべたまま宿を後にした
こちらも首を傾げたくなる顔だったが、ジキットがある程度の答えを持ってきてくれそうだ。
『盗み…か』
『あれ…お客様?もう1人の方は…』
(フロントマン・・・)
可哀そうだ。
ココアを2つ両手に持って困惑している
俺は彼が聖騎士であり、急用で出て言った事を告げてから2つ飲むと言うと安心した面持ちでテーブルにココアを2つ置いてフロントに戻っていく
ココアは美味しいから2つあっても問題ない
しかもここのココアは味が濃いから飽きないのだ
暖かくて美味しいココアを味わいながら、俺は出入りする客を眺めて観察だ
まぁここで気楽にしていても、仕事意識は抜ける事は無い
(はて、誰だろう)
窓際の椅子、座っている者に見覚えはない
入口近くで壁に飾られた誰かわからん人物画などを眺めるタキシード姿の老いた男
普通の客のように見えて、俺はそう感じていない
闇組織?それにしては距離が近い
確かに手練れと言える魔力の強さが俺の体に伝わるのは間違いない
『あ!師匠!』
そこでインクリット達のお帰りだ
疲れている様子はないが、俺の近くの椅子に座るとギルドを見てきましたと笑顔で話してきた
本部と繋がる建物であり、フラクタールのギルドの2倍ある大きな冒険者ギルドに彼は少し興奮したらしい
『僕有名な冒険者と握手できました!』
インクリット、その報告は興味ないぞ?
こうして夜食の時間まで時間を潰し、食堂を出た時にジキットがフロントで俺を手招く
凄い早い情報収集能力は流石としかいえないが、アミカやインクリット達から少し離れてから彼から聞いた情報に俺は驚愕を浮かべた。
何故アミカが厳しく育てられたのか、そして何故ラフタが彼女を邪魔者扱いしているのか。
ジキットの話だけで繋がる
『お前、絶対に死んでも守れよ?』
ジキットは俺に背を向け、宿を去る為に歩き出す
彼の言う通り、無事に祭典まで彼女を送り届けなければならない
(アミカ…お前は…)
遠くから首を傾げながらこちらを見ているアミカを見て俺は思った
彼女は外の世界をまったく知らないからこそ、孤立した空間で今まで何事も問題も起きずにずっと鉄を打ち続けてきた
彼女は出来損ないなんかじゃない、お前はドノヴァンの娘なんだ
俺は強く、そう思う
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