第67話 聖女編
グスタフが私用で朝早く外出した日、インクリットは仲間と共にギルドでのんびりとしていた。
丸テーブルを囲むのは彼とアンリタ、クズリにムツキだ
いつもと変わらぬ賑わいは日中から酒を飲む冒険者の笑い声が殆どであり、そんな様子を背に彼らは悩ましい顔を浮かべる
『面倒ね』
アンリタはイチゴミルクを飲むと、口を開いた
今日は森の入場が突如として禁止になり、冒険者たちはこうしてギルドで時間を潰していた。
湖付近にいたドレットノートをグスタフ達が倒した次の日の出来事だが、その夕方に別のドレットノートの目撃情報があったのだ。
(エステさんもいないし…)
インクリットは肩を落とす
今日、何事も無ければ良いなと都合良き妄想を描きながらも小雨の振る外を窓から眺める
『ドレットノートってあれだろ?ヤバい奴』
『クズリ?それだと細かく伝わりませんが言いたい事はわかります』
ムツキは苦笑いだ。
調査隊からの知らせを待つ最中、ガンテイはカウンターで受付嬢と話していたのを見たインクリットは立ち上がると、カウンターに歩いていく。
今、どうなっているのか過度に気になってしまったのだろう。
『やはりいるかインクリット』
『ガンテイさん、どうですか?』
『動く気配無し、厳重に警戒しつつ避難誘導の準備中だ。』
『ドレットノート…ですよね』
『閻魔と同じランクとは思えん魔物だな。早めに討伐隊での対応をしようと考えていたが…』
まだ悩ましい顔を浮かべるガンテイ
インクリットはグスタフの言葉を思い出す
【人間の住む街を襲うなどせん魔物だ。】
ならば刺激しては逆効果だ、その事を彼は思い出す
ランクの高い魔物は相応の知識を持つ魔物は多いが、将軍猪のような暴れん坊の異名のような野性的な魔物も存在する
今回は無暗にに人の住む領域に侵攻などしない魔物の為、調査隊の監視が現在厳重に行われていた
『ドレットノートかよ…』
『閻魔蠍より強い野郎だぞ?なんでこんな田舎街に…』
ロビーから聞こえる賑やかな空間で聞こえる不安な声
きっと彼らの飲む酒はそういった感情を表に出さない為に無意識に飲んでいるのかもしれない
『現状は待機だ。まぁ刺激しなければ大丈夫だろうがな』
まだ昼頃だというのに、ガンテイは気を張りながらカウンターの奥に去っていく
彼の緊張は最悪の事態を想定した場合に理由が伺えるであろう
頼みの綱が現在いないからである
『エステさんもいないしねぇ』
アンリタがそう呟くと、インクリットはギルドに入ってくる女性に意識が向いてしまう
見た事もない冒険者、彼女の周りには仲間と思わしき者はいない
赤い長髪の女性、立派な装備をしているが軽さ重視にしているためか、胸当てや肩以外は殆ど革に近い
そして武器、長めの片手剣を右手に持っていた
(誰だろう‥)
不思議な気配を発する女性、周りの冒険者はまるで気づいていないかのようにすれ違う
あの美人ならば、フラクタールの冒険者は視線を向けても可笑しくはないとインクリットは首を傾げながら思っていると、彼女の視線は彼に向く
『なんだあの女』
『美人ね…』
クズリやアンリタが口を開いている
彼は自分だけじゃないと思い、ホッと胸を撫で下ろす
だがムツキだけは彼女を見る目が鋭かった
僅かに視線に入れるのを嫌うかのような、印象の良い表情ではない
『ムツキさん?』
『あの女…何故ここに…』
『知ってるんですか?』
『あぁ、ここではあまり知られていない女性でしょうね。』
誰なのか喋られるのが億劫な感じを抱いたインクリットだが、その女性がカウンターに歩いていく様子を見ているとムツキが彼女について話し始める
『貴方は公国の選ばれし者を知ってますか?』
『公国の防衛の要と言われている人というのは聞いてますが、素性は非公開なので』
現在の公国王、ガーランドは自国の選ばれし者の情報を非公開にしている
それは稀なケースではなく、各国がそのようにしているのだ
しかしその戦力が投与された事がある国ならば、選ばれし者を知る者はいる
『父が以前、あの女の事を口にしていました。あれは悪だと』
魔国連合フューベリオンでの出来事の話
インクリットは見た目に反してそのような言葉が彼に口から飛び出すとは思わず、僅かに驚く
ムツキだけが嫌な予感を感じ、目を細めて彼女を見ている
カウンターで受付嬢と何かを話し、ガンテイを呼ぶような光景を見ていると、その嫌な予感は他にも伝染し始めた
『馬鹿を言うな!現状待機だ!』
ガンテイの大きな声でロビー内の者はようやく彼女の存在に気づき、ざわつきだす
何が起きたのかと思い、インクリット達は居ても立っても居られずに席を立ち、彼女に近づいていくと、その嫌な予感は形となって彼らに耳に届く
『用心に越したことはないわ』
『駄目だ。周りの情報が未確定な状況でそんな危険な事はしない。』
その会話でインクリットだけじゃなく、アンリタも耳を疑った
魔物の動向を探りながらも周りの魔物の数、地形や仲間の存在の有無を探っている調査隊の情報を待たずに、彼女は討伐に向かおうとガンテイに意見していたのである
(何者なのよこの女…)
アンリタは目を細め、彼女を見る
美人であることは確か、しかし胸は勝ってるとわかると彼女は少し笑みを浮かべる
『悪いが戦力として来てくれたのならば頼もしいがドレットノートとなると同族の警戒をしないといかんのだ。』
『私は公爵家の発行した冒険者カードを持ってる。それでわかってくれたらいい』
ガンテイは僅かに驚くが、その話を聞いていたインクリット達は更に驚いた
それは王族に認められた者だけが手にする事が出来る特Sという称号でもあるブラックカードであり、カードの縁は金色になっている
生涯見られないであろう存在を前に、彼らは言葉が出ない
その時、インクリットは無意識に脳裏によぎる
とある人とどちらが強いのだろう、と
『悪いがそれでも駄目だ。冒険者ギルドは国家とは半分独立した存在なのを理解しているか?確かにガーランド公爵王を尊敬はしているが…』
特Sが特別偉いわけでもなく、権力を持っているわけでもない
冒険者ギルド運営委員会というハイペリオン大陸全土に展開するこの協会は国家に縛られない組織であるために他国との冒険者との交流が認められているのだ
それは例外を除いた戦時中であってもである。
しかし、ガンテイはその協会の法に従って彼女の意見を否定しているのと同時に、別に意味もあるからこそ感情的に声を大にしているのだ。
『ドレットノートの事は私も知っている。私はギルドマスターと言う身分で取り決めた指示を優先する必要がある。それは最悪の事態でも責任を負う覚悟もあるからだが』
彼はそこまで話すと腕を組む
女性は納得のいかない様子を表情に浮かべていると、ガンテイは再び話す
『こちらにも有識者はいる。ご厚意は大変嬉しい、味方の指揮も上がるのは確かだが、今は私の判断でその者の情報をもとに動かせてもらいたい』
『特Sの者よりも信じれる人、ということですか』
『誰よりも信じれる者だ』
誰の事なのか、彼女はわからなくともわかる人間はいる
その者達は察し、僅かに安堵を浮かべた
煮え切らない様子であるその女性は少し思いつめた表情を見せるが、口は開かない
特Sとなれば確かに強い、Bの最上位ランクと言われるドレットノート相手にも優位に戦えるのは確かだ
だが勝てるから戦うという話ではない事をガンテイはとある森での狩りで聞いていたのだ
【力は最終手段、力も持っている者は多いが英略が無い者ほど力にすがる。力と知は共存せねばならん】
避ける事も戦術の一つ、ガンテイはその者の言葉に深く納得していた
こうして、謎の女性は溜め息を漏らすと『わかったわ』と囁くように口を開き、ギルドを去る
口喧嘩になるのではないかとインクリットは少し心配していたが、ガンテイは意思とギルドの決まりを貫いた。
同時に調査隊の情報が連絡魔石から届いたとギルド職員がガンテイを呼ぶ
知らせの内容は最悪の事態とはほど遠く、犠牲の起きない内容であった
ドレットノート、辺りを見回しながらもフラクタールとは反対方向に進路を変えた、と
もしもの場合に備えていつでも隣街からの救援要請を出すつもりであったガンテイが誰よりもホッとし、カウンター裏の椅子に座る
(ドレットノートか…)
何故こんな田舎街にそんな魔物が?
それはガンテイだけが知る事実であり、だからこそ戦いべきではないとわかっていた
(俺たちが戦ったのはメス、匂いに釣られてきたか…あいつの予想通りだな)
だからグスタフはドレットノートの肉体を残さぬよう、魔法で灰になるまで燃やしたのだ
僅かに残ったメスのフェロモンによって今現れたオスのドレットノートは姿を現した
事前に聞いていたガンテイだからこそ、待機という指示を出したのだ
(しかし気は休まらんな)
ガンテイはインクリット達に気楽に休んでいろと言ってから自身の机に戻り、連絡魔石を手に口を開く
『対象の位置は?』
『監視中の調査隊からは、ゆっくりと徘徊しながら遠ざかっていると3分前に』
『なら5分毎に連絡可能ならば求む』
『了解しました。』
椅子にもたれ掛かり、目を閉じる
これで問題はない、戦わずに回避できればそれでいい
いつも以上に気を張っていたガンテイは力を抜くと、ロビーから見ているインクリットに向かってようやく軽い笑みを浮かべる
(こういう時に、あいついないもんなぁ…)
彼だけじゃなく、エステもいない
相応の戦力さえあれば手札は増えるが、最高のメンバーがいたとしてもきっと今と変わらないだろうと彼は考えた
『ガンテイさん、あれ誰だったんですか?』
受付嬢のフィーフィがカウンターから離れ、彼のもとに行くと疑問を投げかける
いるべき場所にいてほしいと思いながらもガンテイは机の上に乗ってある書類を整理しながら口を開く
『予想だが、あれはこの国の選ばれし者だ』
『マジなんです?国家機密で情報が無い人ですよね?』
『妹から聞いただけだが誰にも言うなよ?聞いた話の女性とかなり似ていたからそうだろうが…』
国内で名前が出るほど強い事に変わりはない
その点はガンテイは十分に認めてはいるが、1つだけ気にかかる事があった
雰囲気がまだ世間知らずのような、そんな感じの若い印象があったのである
【難がある】そういう話を妹のミルドレットから聞いていた彼は先ほどの会話からどういう意味なのかを何となく理解したのだ
(あいつと会わせてはならないな)
手に持った書類を机に置いてから連絡魔石からの連絡で【徘徊しながらフラクタールから離れている】という連絡を再び聞くと立ち上がり、カウンターを飛び越えてから隣接している軽食屋のカウンター席に座った
『ガンテイさん、お疲れのようですな』
軽食屋というなの、カウンター裏の壁には様々な酒が飾られており、皆はここの店主をマスターと呼ぶ
顎鬚は白く、老いた見た目をしているがどことなく貫禄が際立つ
グラスを拭きながらもガンテイに声をかけたのだ
『見ていただろう?今日はもう仕事はないから…いやリンゴジュースを』
マスターは苦笑いを浮かべると『ただいま…』と小さく呟いてから彼の為の飲み物を用意し始める
そんな後ろ姿はいつもの力強さは無く、緊迫した状況から解放された者の姿と言っても過言ではないだろう
Bランク上位となると最悪の場合、300から1000規模の大隊が動員される事も歴史上あるのだ。
運良く現在は北に位置しているアクアリーヌにはガーランド公爵王が駐在させている公国騎士が1000人いる
救援を送る事も可能だが、その心配はなくなった
『これは私からの奢りです』
マスターがカウンターに出したのは小皿に乗った豚の角煮
好物であるガンテイは笑顔で親指を立て、出されたジュースと共に角煮を少しずつ味わう
『ガンテイさん』
『おぉ、インクリットか』
インクリットら4人もカウンター席に座り、安堵を浮かべる
『ドレットノートかぁ、ガンテイさんは戦った事あるのよね』
『まぁな、ありゃBなのか疑わしいが、Aの部類にも思える威圧的なのはオスだ。あれは昔に見たが本当にヤバいんだ』
『まぁ倒したのがメスだとしてもそれを弱点特攻で一方的に倒すあのエルフの女性も尋常じゃないわね』
『エイトビーストだからな、特Sだぞ』
再度、彼らはエステの素性を思い出した
エイトビーストという称号にばかり目がいっていたが、その正体はシドラード王国という傭兵大国と言われている環境の中の特Sなのである
逆立ちしても勝てる見込みのない相手、大勢いる傭兵の中のエリート
どんな言葉で飾っても足りないくらいに彼女は強いのだ
『ムツキは珍しく犬みたいに唸ってたぞ』
『私はそんな顔しておりませんよ』
誰もがしていたと心の中で浮かべた
しかし、言葉にするのが野暮である
再び連絡魔石からの連絡にて、遠くまで行ったと行いたガンテイは厳重警戒を解く
徐々にロビー内にいた冒険者はギルドを出ていき、僅かとなったが森への立ち入りは禁止だ
それを後押しするかのように、小雨が降り初め窓を濡らす
ロビーにいる冒険者はムツキとクズリのみ、彼らは夜食をここで済ませる事にしており、静かにアジフライ定食を食べている
2人の姿をカウンターの奥からガンテイは職員と共に眺めながら最後の職務である明日に記載する依頼書の整理を始めた
『最近物騒じゃないですかガンテイさん』
『確かにな…、グスタフが言っていたがシドラード王国との国境線にある山岳地帯が荒々しいとは聞いている』
『荒々しい?』
『色々魔物の世界も、物騒だって事だ…。無暗に近づかないほうが良いと言っていた』
『あの人が言うならそうですね。というか妹さん明日帰ってくるんですよね?』
『おぉ!三連休中、頼むぞ?』
ガンテイは笑顔だが、職員は苦笑いを浮かべていた
一難去っていつもの雰囲気の中、ガンテイはクズリとムツキに軽い会話を交えてから早退し、ギルドを去る
小雨でも雨の中にいれば濡れるが、彼は道の真ん中を歩く
通りに人はおらず、時たま前から来るのは屋根付きの馬車を勧める商人ばかりだ
道の端により、鼻歌を歌いながら帰宅を楽しむ彼の頭には悪い予感なんて一切ない
一難去ってまた一難、そんな言葉が彼の連絡魔石から始まった
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