第52話 動揺

戦争は大きく傾き始めた。

グスタフが先導するミルドレット大隊はボトム第四将校を倒し、そのまま敵の軍の横っ腹に突撃していく

彼の前にいる兵は何も出来ずに斬られ、吹き飛ばされ、そして彼の乗るテュポーンに噛み砕かれる。

決して勢いが止まらない突撃大隊に一部は大混乱を起こしていた。


ボトム第四将校が討ち取られた報告はリングイネ第三将校に届くが、その時すでに彼は前線の近くまで前進していたのだ


『もう一度言ってみろ!』

『ボ…ボトム殿が討ち取られ、敵大隊がすぐそこまで…』


怒号を上げるリングイネ第三将校は信じられなかった

あのボトムが返り討ちにあったという悪い知らせに驚愕を浮かべる

しかし、その答えが自分の近くまで迫っていたのだ


『リングイネ殿!大隊が!』

『くそがっ!』


大混乱の為、彼に報告が上がるまで遅かったのだ

予定ではボトム第四将校が突撃後、一気に前線を押し上げる予定だったから彼は前に兵を進ませていたのだが、それは敵であるグスタフに読まれていたのである


『急報!もう一つの敵大隊!浅めに横から…』


(これは…)


勢い止まらぬ大隊、ボトムを一撃で倒す強者に彼は決断を迫られる

逃げることは不可能、後ろに下がる指示をしている間に敵の大隊は自分の喉元に届く

前に逃げれば背後からグスタフのいる大隊に背を撃たれ、真横から別の大隊という2つの大隊に狙われる位置に彼はいる


それはリングイネとボトムの連携を知るグスタフだからこそ、事前に打ち合わせして成功した策である

成るようにしてなっている、リングイネ第三将校は額に汗をかき、唸り声を上げる


(すれ違うのも不可能、ボトムならそれを選んでいる)


『リングイネ殿!!』


真横に顔を向けると、味方兵の断末魔と共に人が吹き飛ぶ光景が近づいてきていた

一瞬で迫られる選択肢、迎え撃つか兵に紛れるか

ここまで来た以上、彼の持つ選択肢は苦肉の策であり、何の意味も持たない事は彼自身も承知していた


『きっとケヴィン王子は…』


彼はそう囁くと、溜息を漏らしてから馬を大隊に向けた

大きな声でリングイネは叫ぶ、敵を迎え撃つ…と

どちみち逃げれない状況ならば、戦をかき乱す者の顔だけでも目に焼き付けよう

彼は死を覚悟したのだ。

しかし犬死ではない、副官を残らせ、敵の情報を得よと彼らに言い放つ

自らを犠牲に、この軍を混乱に陥れた元凶の正体をなるべく知ることは2日目の為に必要不可欠だからだ


餌は自分、きっと敵は自分を狙っている

リングイネは自分ならそうすると思い、決断した答えだ


『リングイネ殿・・・』

『行け!時間はない!』


副官を下がらせ、彼は近くの精鋭を連れて方向を変えるとグスタフらに向かって馬を走らせた。

既に50m先、衰えぬその突破力に乾いた笑みを浮かべたリングイネは大きな鉄鞭を両手に先頭の男に向かって叫ぶ


『俺はここだぞ馬鹿たれがぁぁぁぁぁぁ!』


上手く行き過ぎた作戦、こういう事かと思いながらも彼は目の前にグスタフを捉えた

悪魔の様な羊の顔を模した鉄仮面、傭兵にしては不気味な黒光りした鎧、そして腰からなびく黒いマントには羊の刺繍

左手には多くの兵やボトムを屠ったであろうハルバートという武器

話に聞いていたグスタフとはこの男だと、彼は瞬時に悟る


(見てわかるわ!こいつは化け物の中の化け物!)


『首を貰うリングイネ』


グスタフが武器を振る直前、口を開いた

リングイネは大声を上げて大きな鉄鞭を振り、渾身の一撃を放つ

普通ならば武器の密度で軍配は鉄鞭であり、ハルバートといえども刃が欠けてしまう

しかし、グスタフの持つハルバートはそこらの武器とは違う

互いの武器が触れ合う瞬間、リングイネは僅かに笑みを浮かべる

死ぬ刹那、自分の鉄鞭がまるでバターのように斬られたからだ


(せめて武器さえ…)


そして、リングイネの首は宙を舞う

彼と同様にボトムは決して弱い将校ではなかった。

剣術随一と言われるルーファスでさえも彼らを高く評価する程の傑物であり、今回だけはその武を奮える相手ではなかったという事だ


この瞬間、敵の左軍の将校は全てグスタフの手によって倒される

ミルドレット大隊長は興奮しながらも再び空に向けて火の球を飛ばすと、前線を支えるディバスター第五将校が目を見開く


『今が好機!全力で押し込め!』


ディバスターは自ら先頭に躍り出ると、味方の騎士と共にじりじりと前線を押し上げていく。

敵はグスタフのいる大隊とカプラ大隊がかき乱した後方に意識を奪われて前に集中できない為。少ない戦力でも十分に押せる事が出来るようになる

そして2つの大隊は仕事を終えると、左軍と中央軍の間まで馬を走らせて味方の軍へと戻っていった


この間、僅か3分の出来事であり情報は混乱を極める

シドラード兵は何が起きたがわかっていない者が多いが、ファーラット公国騎士は有利な状況だと知り、士気をより高めた

ボトム第四将校、そしてリングイネ第三将校の討ち死にはシドラード王国に数分後に知れ渡り、左軍は壊滅的となる

そんな状況をシドラード陣営から見ていた者達が、深刻な顔をしてテントに戻っていく


ファラの部下であるメラ、そして魔導公爵オリマーの2人

ファラのテントに行くと、メラの報告でその場にいたエルフ族のエステとザイツェルンそしてチャーリーが言葉を失う事となる


『本当に魔法使いなのか』

『エステお嬢、確かに見た感じでは武で2人の将校を一撃で屠った事に間違いはない。しかしあれは魔法使いの遊びじゃ』

『遊び?』

『おいおいエルマー!どういうことだよ!?』


これには盾を床に置いて休むザイツェルンも興味を示す

エルマーは感知スキルが豊富であり、あの乱戦の中でグスタフの様子を千里眼で眺めながら答えを出していたのだ。


『何重にも重ねがけした強化魔法の魔力を感じた。熱が以上に高いことからフルバーストという超強化魔法を使用していたことだけは確か、それと同時にあの馬はテュポーンという幻馬種、超位魔法で眷属召喚という幻の魔法がありますが。彼はそれを使って突破力を飛躍的に上げているのでしょう。テュポーンは幻馬種で一番脚力が強く人間の荒波程度じゃ失速なんてしないぐらい強い馬じゃ。ランクはA』


『アタッカーにそんな芸当、無理と言うわけですね?』

『その通りじゃチャーリー君、武に見せかけたゴリゴリの魔法じゃ…。見方を変えれば魔法戦士かもしれぬ。もう一度お話して色々聞きたいのう』


ファラは机の上で頭を抱える

どう足掻いても自分たちが出る幕がないからだ。

そして誰もがグスタフの底力を見ていない

単純な強化魔法と馬で左軍の将校を蹴散らしてしまったからだ


まだ何か隠している

まだ彼は本気ではない

色々な考えがこの場で入り交じる


『おぉエルマー!俺が戦ったガルヴァンプのあいつやっぱあれか!』

『間違いないでしょうね。となると魔力量も凄い…私らが知るあのお方とは真逆なスタイルの存在であると思います』


誰を例えたか

それはエイトビーストがよく知るあの大陸最強と言われた男の事だ。

となると勝ち目が薄い戦いに彼らは美学を求めない

将校だけを狙う様子はきっとエイトビーストは例外ではないと言う証拠でもあった。



こうして、戦場はシドラードの不利へと傾く

ボトムとリングイネ討ち死にの報告を受けた大将ルーファス第二将校は驚愕を浮かべた


『まさか…』

『左軍、徐々に押し込まれています!』


部下の報告に深刻な顔を浮かべるルーファスは背後にあるシドラード陣営を軽く眺めた

情報の共有さえしていれば、きっと結果は変わっていた

彼はそう思いながらも全軍を大きく後ろにさがらせる指示を出した


自身がいる中央が決壊しそうな左からの攻撃に意識を向ければ、無駄に兵を消費して対応しなければならないからである


(ボトム、リングイネ、すまぬ)


『ルーファス殿、右軍は押し込める兵がありますが、いかが致しますか』

『無駄だ!それよりも左の引き継ぎをせねばいずれ押し込めたとしても意味を持たぬ!』


押し込める余裕はある

しかしそれよりも建て直しの時間が重要

ファーラットの前線もこれ以上押し込む様子が無いことから彼は1日目の撤退を視野に入れ始めた


指示をするなら今しかない

周りを見渡し、手塩にかけて育てた部下が心配そうな面持ちで見ているのに彼は気付く


(ここまでか…)


『ルーファス殿、ここは一度…』

『ふむ、すまないがこれは建て直す必要がある』

『直ぐに狼煙を上げれます』

『…やってくれ』


こうして1日目はシドラード軍の撤退で幕を閉じた

逃げていく兵にファーラット公国騎士は歓声を上げ始める


『敵が撤退していくぞ!』

『勝ったぞ!ファーラット公国万歳!』

『ファーラット公国万歳!』


敵は歓喜を背に陣営に戻っていく

お互い消費した兵は多いが、ファーラットの被害が一番多かった。

しかし将校二人を失ったシドラード王国軍は兵がまだ残っていても、深刻である


1日目の仕事を終えたグスタフは馬を戻し、血のついた大きな布袋を担いでファーラット陣営に戻る


歓喜溢れる騎士達は背後から近づく彼に気付くと、ギョッとしながら道を開けていく

先程までのムードがグスタフのいる場所だけ消えたのは、彼は敵を薙ぎ倒した際についた返り血で鎧が赤く染まっていたのだ。

羊の仮面すら真っ赤であり、見たものを驚かせる


しかしグスタフは驚く騎士たちに目もくれず、騎士が開けた道を歩く

彼の足取りは僅かに重い、それは1日目を息抜き勝利した者とは思えない程に

肩に背負う血の滲んだ大きな布袋が重いのか?

無理をして疲労困憊になってしまったのか?


明日があっとしてもグスタフにとって終わったも同然の結果であり、彼は昔を思い出していたのだ。


(いつも通りだな)


何故怖がる?警戒する?距離を取る?

彼は毎日そんな疑問と戦うことに飽きていた


(まぁ…今回は別か)


それでも、彼はいつもと違う事に気付いていた。

寂しく歩くグスタフの背後から、彼の知る者が駆け足で近寄る


『がっはっは!凄い人が飛んだなグスタフ!』


ガンテイはグスタフの背中をドンと叩き、笑いを浮かべる

変わらぬ反応をするだろうなと予想していた


『いやはや、人ってあれだけ飛ぶんですね。勉強になりましたよ』

『ムツキか』

『えぇしっかり生きてます』


いつも通りの彼らに笑みを浮かべる

しかし彼の足取りは重いまま、その理由は彼にとって深刻だった


『腹減った。』


グスタフは怖がる事に関しては慣れていた

しかし、空腹となると急激にやる気を無くしてしまうのである

腹が減っては戦は出来ないという言葉通りに彼は今何もやる気が起きない



溜め息を漏らすグスタフはノアが生きている事だけは気配で確認しているため、急ぐ気すら起こさない


(飯だ)


ノアに会いに行く事をやめ、彼が向かう先は良い匂いがする方向

彼は計画よりも本能を優先した

それに気付いたムツキは無言の彼を見て顔を逸らして笑いを堪える


『やはり』


口を開いたグスタフが顔を向けた先

鹿肉を焼いていた騎士が焚き火の上で鉄製のスタンドを置き、大きな鍋で何かを煮ていたのだ


(あれは…)


ただの味噌汁ではない

彼の目には鍋一面に踊る宝石に見えるだろう

菜箸で鍋をかき回すと、米が見え隠れし、ジャガイモや豆腐が米と手を取り合い踊る狂う

。空腹となれば、誰もが食を前に神経が研ぎ澄まされ、視線を奪われるだろう


『凄い血だらけですね…』


料理を作る騎士は驚きつつもグスタフ達を招いた

彼らのいる空間には料理の香ばしい匂いが漂い、それは最終段階へと移行する


『では料理を美味しくさせるおまじないをかけたら出来上がりです』


料理騎士の言葉に3人は顔を見合せ、首を傾げる

例えの言葉だと理解はしていても、想像できないのだ。

もう完成している料理に蛇足なのでは?そういう思惑が生まれようとした瞬間、おまじないによってその感情は吹き飛んでいく


『じゃじゃーん』


袋から取り出したのは菊の花弁だ

黄色い花弁は手の平に丁度乗る量であり、彼は鍋にそれを投入した

菊の花弁の登場に、グスタフとムツキは口元に笑みを浮かべた


(見た目をこだわった訳ではない。となると答えは一つだ)

(面白いですね。煮れば菊の花弁の香りが際立つのを味噌汁で利用しましたか)


直ぐに香りに変化が現れると、3人の腹は信号を放つ

料理騎士は彼らが限界と知り、完成した料理を大きめのお椀で分けて渡していく

戦場という場所では不安が付きまとう空間であり、そんな彼らの心を落ち着かせるのは美味しい料理と相場が決まっている


『加護と共に、いただきます』


グスタフはそう呟き、スプーンで食べ始める

ご飯入り味噌汁、戦場では当たり前に見慣れた料理ではあるが、美味しさは保証されていた


(美味い!)


菊の香りが鼻を通り、味噌汁と共に下を包み込む米の感触と美味に3人は同時に空を見上げる


『美味いな、ねこまんな』

『グスタフ、にゃんこまんまだぞ?』

『いえいえ違うますよ皆さん、ニャンニャンご飯ですよ』


ガンテイとグスタフはムツキを眺め、同じことを思い浮かべる

それだけは絶対に違うだろう、と



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