第49話 鉄壁
開戦から30分が経過、ファーラット公国軍アドラ第六将校が率いる7000はこの時苦戦を強いられていた
『アドラ殿!崩れかけております!』
『早急に後方の騎士で増援を!』
部下からの急報に彼は眉間にシワを寄せ、前衛の様子を伺う
スキンヘッドで顎髭が特徴的な将校であり、彼の右手にはハルバートが握られている
エイトビーストのザイツェルンの登場に、彼は決断を強いられていた
(1日目からとはな、もしもの為に近くに増援をある程度配置させていたが…)
それでも彼は止まらなかったのだ
前方ではけたたましい炸裂音が鳴り響き、怒号や悲鳴が彼の耳に届く
アドラが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている最中、その前線は地獄絵図と化していた
『おらぁぁぁぁぁぁ!』
赤髪のソフトモヒカン、身長は2mを超える筋骨隆々とした肉体
重装備に纏われた体は歩く度に地面が沈む
その右手に持つ盾は彼の体1つ隠すほどの大きく、地面を叩けば前方に衝撃波と共に軽い地割れが起き、ファーラット公国騎士が宙を舞う程の破壊力だ
『くそ!止まらないぞ!』
『弓兵で対処しろ!増援まで持ちこたえろ!』
『無駄だぜぇ!?』
射ち放たれる弓は盾に防がれ、彼は静かにファーラット公国騎士が固めた前線を崩していく。
ある程度の増援が来てもなんのその、左手で自身の盾を叩き、衝撃波で敵を吹き飛ばす。
『面白い相手はいないもんかねぇ!ファラには出るなと言われても興味が先行しちまってよぉ!』
彼は事前にファラから言われていたのだ。
1日目は様子を見ろと
しかし、戦う事を生業とする彼はいかなる敵がいたとしても、その目で確かめたいという興味が勝ったのである
何が飛んでくるか?魔法か?本人か?ザイツェルンが予想を浮かべていた
もっと押し込もうとすれば、彼なら今頃左軍の前線を崩す事が出来るが、彼はしなかった。
(さぁこいや!強者なら反対にいても何かしら対応が…)
その彼の思いは届いた
突如として空から風を切る音が聞こえ、頭上を見上げるとそこには予想外な物体が急降下していた。
(なんだこいつ!?)
大きなコウモリ?いや違う
彼の巨躯よりは小さい人型の魔物、彼は一瞬でそれが吸血鬼の種族だと悟る
『ちっ!』
頭上に盾を掲げ、急降下してくる魔物の衝撃を防ぐと同時に鈍い音が鳴り響いた
彼の足元は沈み、その威力は半端ではない事が伺えるだろう
弾き返そうと盾を振る時には既に上空にそれはおらず、キリモミ回転しながら彼の正面に着地したのである
『こいつぁ…』
烏の羽の様な翼を持つ吸血鬼
上部に体毛は無いが、両腕には茶色い毛が生えている
下半身から足首まで体毛があり、両手両足の爪は僅かに長い
髪は長髪、顔は人と同じだが獣のように鋭い牙を持つ
手首に装着された金色のリングが不気味に光り、それは長い舌で自分の上唇を嘗めた
『なんでこいつがここに…?』
ガルヴァンプという獣のような吸血鬼、ランクAの危険指定されている魔物だった
吸血鬼よりも獣寄りの見た目でも知能は高く、そして見た目に反して剛腕である
『オマエ、ジャマダナ?』
(喋っ…っ!?)
突如として目の前にいたそれは消えた
だがしかし、ザイツェルンには見えていた
一瞬で彼の目の前に迫る速度は風を切り、右拳を強く握りしめて襲い掛かる
『カァァァ!』
叫び声と共にガルヴァンプはザイツェルンが前に出す盾を殴る
魔物の剛腕を盾で受け止め、僅かにザイツェルンが1メートルほど土を抉りながらも攻撃を防ぎきる
右手だけではなく、両手でのガードは彼も本気で受け止めないと非常に不味い一撃だった事の証明であり。流石のザイツェルンも僅かに後ろに下がる
敵なのか味方なのか、一瞬ファーラット公国騎士が驚き距離を取る
大きな空間が開いてしまうが、それは戦場では致命的であっても今は違う
シドラード王国兵が前に出ようとすると、ガルヴァンプは翼を振るだけで多数の棘が飛び、王国兵の鎧を貫通し倒していく。
『あれはガルヴァンプだ!旧ミゲル公爵別邸に住まうあれと同じだ!』
シドラード王国兵の1人が叫ぶと、周りの者が慌ただしく陣形を乱す
数年前、その国では大きな事件があり隠蔽された記録がある
1体の魔物に占領された土地があるのだ
住まう貴族は食われ、王国は対応しようと多くの兵を派遣したのだが、魔素が濃くて対応困難として今でも近寄れない地獄の屋敷と言われていた
地獄の様な事件を知っている兵は叫ぶ
ザイツェルンもその話は覚えており、厄介な敵だと知る
(倒しきるとなると、五分五分か…。しかし特殊個体となると尻尾巻いて逃げるしかねぇしよぉ。)
ザイツェルンは周りを飛び交いながら鋭利な爪で攻撃してくるガルヴァンプの攻撃を盾で防ぎながらも対応を迫られる
無意識に、彼は徐々に下がっていくのだが悪手ではない
そのまま敵陣に取り残される形になると、彼でも手の打ちようがないのだ
周りに味方の兵がいるからこそ前方に意識を向けられる事が彼が戦える理由でもある
『カァァァァァ!』
『おらぁぁぁぁ!』
低空飛行からの体当たりに盾を前にしての体当たり
激突すると僅かに衝撃波が発生し、草が舞い上がる
『ぐっ!馬鹿力めが!』
『ニンゲン、アルジノタメニ、シネ』
(主?…おいまさか)
彼は襲い掛かるガルヴァンプの爪を盾で何度もガードしながら舌打ちをする
インベクトという相手の攻撃を緩和させ、盾で吹き飛ばすと異常な強さを持つ魔物を睨みつけた
(マジで魔法使い?いや召喚士の類?ここまで上位種を呼べるっつぅことはヤベェぞこれ)
倒しきる事を彼は諦める
ここで仕留めたとしても、また何かが来るのではないかと言う考えがあったからだ
真っすぐ自分の元に来たという事は標的は自分、ならばすることは1つだ
『だりぃぜこりゃ!悪ぃが今日は下がるぞ!あばよ血吸い犬!』
彼は背を向け、巨躯に似合わぬ足の速さでその場を去ったのだ
背後を気にするザイツェルンだが、あれが追ってくる気配は無い
何のために現れたか、彼は十分に理解する
(チッ!ついて来ねぇってことはあれか。下手に俺らは出れねぇぞファラ)
その時、その場でファーラット公国騎士は突如として現れた魔物に畏怖しながらも、周りの騎士達に通達が走る
エイトビーストのザイツェルン敗走、それは1日目にして大きな成果である
数分後、ファーラット公国軍本部であるアクアリーヌ大平原前の拠点であるテントの中にてノアのもとに知らせが入る
エイトビーストが現れて気を張っていた彼女だが、その情報は数分で別の結果へと変わったのだ
ザイツェルン敗走、という驚くべき結果である
彼女のいる部屋にはジキットや側近である聖騎士が10名、廊下にも彼女の聖騎士10名がその場を守っていた
『ノア様』
ジキットが彼女に口を開く
敗走した状況を聞き、彼女は直ぐにグスタフの仕業だとわかった
眷属召喚という特殊な魔法を持っており、以前彼に助けられた際に神獣と言われる魔物を呼んだのをこの目で見ているからだ
『あの人の魔法です。エイトビーストが出ないと彼は予想しておりましたがザイツェルンの性格を忘れていたような感じですね』
『帰ってきたら殴りますか?』
『駄目ですジキット』
溜息を漏らすジキット
そんな彼を見ながらもノアは椅子に座り、頬杖をつく
(ザイツェルンは感覚的に動く者だと聞いている、となると独断の可能性もありえる。こちらの情報を知る為?いや…自分が知りたいから?わからない)
それを一番知るのはグスタフ
彼女は考えるのをやめ、自身の身を守ることに集中することにした。
『ハイド、大平原の様子はどうですか』
『報告では多少押し込まれてはいますが、大きく崩れる気配は無いと』
『そうですか。ディバスターの軍は細かくわかりますか?』
『一番押し込まれているとの事ですが、なんとか持ちこたえてます』
(そろそろ、ですか)
彼女は気を引き締めた
胸に手をあて、何度も深呼吸をする
いつ刺客がくるのか彼女は検討がついていたのだ。
だからこそ緊張を和らげようと、心を落ち着かせた
(私が死んではダメ)
そう何度も言い聞かせていると、テントの中にとある者が入ってくる
騎士達は驚き武器を構えるが、直ぐにその剣を下ろす
『…本当にようわからない魔法ですね』
エイトビーストのドウケ
それはグスタフが遠隔操作する傀儡である
自らの意思を持つそれは何かあれば動く事になっていたが、彼女の陣営にも不穏な事が起きたからこそ彼は動いたのだ
『…何かが混ざった、5人…仲間違う』
(来ましたか)
その言葉を聞いてジキットは剣を強く握りしめた。
あれらが来た、守るのは自分だと強く願う彼は体に熱を帯び始めた
(ようやく出番か…)
かくして、色々な場所で色々な者が動き出す。
特にディバスター第五将校と相対するリングイネ第三将校は前線が徐々に押し上げている事に不気味さを感じ始めていた
『リングイネ殿、予定通り押し込めています』
部下からの報告に彼は反応はしない
静かに唸り、目を細めて前線を見つめた
変化がまるで無い、ファーラット公国側は何かしらの策を持って動くと読んでいたのに、上手く行きすぎているのだ。
(魔物の出現、消えたらしいがこちらにもアクションがあっても可笑しくはない状況、しかし…)
彼は迷っていた。
敵であるディバスター第五将校の前線が点々と崩れ始め、増援の遅れが起き始めている以上、彼なら既にボトム第四将校を前に出している。
『…重騎兵はどうだ?』
『敵の戦争傭兵の義勇軍の中に手練れがおり、拮抗しております』
『下げろ、交代させる』
彼は待機させていた別の重騎兵を使い、交代を指示する。
休ませる暇を相手に与えず、崩してから動く事に決めたのだ。
(ディバスターの軍が少ないのは罠かと思ったが…)
全体的に押し込めている、これなら一点集中して突撃させれば中央軍に刺さる
もしケヴィンからグスタフの話を聞いていれば、彼はこの決断をしなかった。
シドラード王国にとってそれは致命的な判断となることに、彼はまだ気づいてはいない
『重騎兵に10分で穴を開けろと伝えろ!そこが空けば相手は端からでしか増援が出せん!そのタイミングでボトム殿に動いてもらう!』
『はっ!』
急いで駆け出す騎士を眺めるリングイネ第三将校は右手に持つ剣を見た
いつも通りの戦い、いつも通りの結果
敵の後方を見る限り、ボトム突撃大隊が動いても間に合わない距離
先程まで警戒していた禍々しい馬に乗る男も消え、彼の頭に杞憂は消え去る
(見知らぬ将校がいたが、下がったか…)
『リングイネ殿、ボトム殿の突撃大隊の準備は既に』
『出来ているだろうな。あの突撃は俺でもぶつかりたくはない。1日目は削り合いだが2日目の士気を削ぐ為に騒ぎを起こす。こちらもボトム殿の動きに合わせて騎馬をいつでも前に出せるようにしておけ』
『わかりました!』
彼は僅かに笑みを浮かべ、曇り空を見上げた
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