第12話 緊迫
閻魔蠍のツガイ
それはフラクタールの街でなくとも、驚異となる個体である
答えは簡単だった
子を身籠ったメスの閻魔蠍がいる以上、狂暴性を増すからだ
馬鹿な冒険者でもわかる事実は1つ
それはBランクでも最強クラスへと変貌を遂げる意味でもある
だからこそ、冒険者ギルドに収集された冒険者たちの表情は重かった
その中には勿論、インクリットとアンリタもいる
『夢見たいだね』
『現実よ馬鹿』
『あはは…』
周りを見渡し、インクリットは感じた
明らかに不安を顔に出した冒険者が多いと
それは仕方がない事であり、いつもの依頼とは違うのだ
死ぬか生きるかが森での活動
今日ここに集まった冒険者は生涯で一番危険な依頼をすることになりのである
(150…少ないわね)
アンリタは小さく舌打ちをする
魔物のランクに対して基準が存在し、閻魔蠍2体相手にこの数は不利だと彼女はわかったからだ
街を脅かす力を持つBランク
それを約150人で相手をするのは不十分
Cランク認定された冒険者がアンリタの他に数名しかいないのも理由だ
CとBは別世界
この事は冒険者となれば耳にタコができるくらいしつこく言われる言葉だ
そんな化け物に遭遇する事無く冒険者を終える者は多い
そう、このフラクタールでは特にだ
『君もいるのかインクリット』
ふと声をかけられたインクリットは聞きなれた声に振り向き、僅かに笑顔をこぼす
『クズリ、お前もいるのか』
彼は盾士という防御特化の冒険者
大きな盾を使い、魔物の隙を作る仕事を担う武器職だ
しかし、不遇な職と言われているために盾士は少ない
『クズリ、一人かい?チームは?』
『来ないさ、死にたくないもの無理はない』
『君は死にたくないのか?』
『まさか…、死ぬ気は無いさ』
彼は大きな盾を床に立てると、胸を張る
見た目は小太りに見えるが、インクリットだけは知っている
装備が小さくてピチピチした感じに見えているのだ
実際は筋肉質で、力持ちだ
『アンリタ、友人のクズリだ』
『小太りクズリ?』
『小太りじゃないよ、装備が小さいんだ』
『嘘!?どうみてもピチピチよ』
『やっぱり装備買い直しかなぁ』
『クズリ、そろそろ君の父さんのも小さいんだよ』
『だよね。生きて帰ったら報酬使って買うよ』
『そんときはリミットでオーダーすると良いわよぉ?アドバイザーいるし』
クズリは直ぐにグスタフの事だとわかった
もう冒険者で彼を知らない者はおらず、困った時に聞けば失敗しないとまで言われているから知らない所で信頼されているのだ
『相当凄い武人って聞くよ』
『その武人さんがいないけど、呼ばなくて大丈夫なの?』
『師匠はこういうの混ざりたがらない気がする』
『危機よ?弟子の危機』
『多分甘えたら殴られる』
『師弟関係なのか…』
『あんたも弟子になって…』
ふと、アンリタは口を止めた
明らかに可笑しいと気づいたからだ
クズリと接した事が初めてにもかかわらず、普通に溶け込んで会話しているのだから
(あれ、なんで?)
普通ならば警戒して距離を取る
しかし彼女はインクリットの時でも短期間でこのように馴染んでいた
頭ではわかってはいない、しかし本能的に何かを感じている
『アンリタ?』
『いや、何でもないわ』
周りの冒険者の口から小声で飛び出す不安を意味する言葉
それらを聞いているとカウンターの前にガンテイが現れた
全ての視線はガンテイに向き
場は静寂に包まれる
(集まった方か)
全員は無理でも半数が集まった事にガンテイは一先ずは一時の安堵を浮かべた
ここから何人生き残るかなど考えたくもないだろう
『皆の衆、よく来てくれた』
彼の言葉がロビーに響き渡る
声が大きいのではない
彼の声だけしか音が存在してないからだ
『近隣の街からの増援は4時間後、しかし閻魔蠍は街の近くまで残り2時間もない、運河が良ければラインを作って警戒し、増援が来てから数で押し込む』
ガンテイは小さく、そして大きく息を吸い込んで吐く
続く言葉の重みを知っているからだ
『しかし、もし閻魔蠍が街の入口に近い地点まで来た場合はこの人数で戦う。残念ながら半数残るかどうかだ』
死人が沢山でる
その言葉に大勢が息を飲んだ
化け物とは何か?サイズは?強さは?
誰もが体験など無く、聞いた情報でしかない
それでも精一杯の覚悟を決めてここに来た冒険者だ。
重い言葉だとしても、今はまだ狼狽えない
乱れる瞬間は1つ
それをガンテイは知っていた
『目の前にし、気持ちが変わっても仕方がない相手だ。今だけは覚悟を保ってほしい』
実際に相対すればわかる
ガンテイは遠回しにそう告げた
『今は最短で駆けつけれるであろう助っ人を呼びに職員が走っている。待っている時間はない…明日のフラクタールを守るために我々は歩きながら作戦をたてる』
足早に彼はギルドの入口に向かう
覚悟を決めた者やまだ迷いがある者はその背中を追い、歩き出す
ギルドに似合わぬ静寂
あまり見られない藻抜けのからとなった施設内
残ったギルド職員ロビーを見渡し、重大さを更に知る
こうしてガンテイについていく冒険者らは避難する人々とすれ違いながらも小声で離す
この中にはインクリットやアンリタも勿論いたのだ
『閻魔蠍か』
『さて、どうなるかしら』
『戦ってみないとわからないな』
『多分半分は逃げるわよ』
『何故そう思う』
疑問を口にするインクリットだが、アンリタはそれに対して鋭い言葉を口にする
『想像以上の存在感だからよ。あんたの師匠無しじゃまともにあんな化け物の圧を前に逃げたくなるわ。』
彼女は一度、同格である将軍猪に遭遇したことがある
見ただけで戦闘を避けなければならない存在だと直ぐ悟り、彼女は見つかる前に逃げたのだ
その後はギルドに報告し、調査隊が派遣されたが将軍猪は山の方に帰っていったのだ
だから大事に至らなかった
『一応言うけど、グスタフさん待つしか手はないのに行くのはただの時間稼ぎよ』
『それって』
『倒せないのよ。この人数じゃ』
彼女だからわかるというわけではない
それは誰もが薄々感じており、口にしていないだけだった
こうして森の前まで辿り着くと、冒険者達の会話は風の流れる音とともに止まってしまう
あまりにも静か過ぎる森の様子に皆がいつもとは違う緊張を覚えたのだ
(やるしかないか…)
ガンテイはまだグスタフと接触していないという仲間の情報に苛立ちを覚える
彼無しで戦うとして、やれないわけではない
多くの命がここで尽きてしまう事が問題なのだ
『俺達は時間稼ぎだ』
ガンテイは静かな彼らに向け、告げた
近隣の街からの増援が来るまで1時間半、そして閻魔蠍の侵攻はもうすぐここまで来てしまうとの事
それよりも早い増援はガンテイが望む1人の男
(30分もあれば…)
しかし、頼みの綱を主軸には出来ない彼は肩を落とす
彼は目で見える戦力で戦わなければならないのだ
『メスは俺と約50人となるチーム、残りは100人での混合チームとなる』
ガンテイはインクリットとアンリタをオスの討伐に名指して告げる
その時の彼の真剣な顔に、インクリットは返事すらできずにただ頷くしか出来ない
いつもとは違う世界の感じ方を肌で感じ、誰もが静かにガンテイの背中を追って歩き出す
『インクリット』
『はいガンテイさん』
『…いや何でもない、オスは頼むぞ』
『え?あぁわかりました』
首を傾げるインクリット
森に足を踏み入れると、彼らは無意識に鳥肌が立つ
『あれ、クズリは?』
『あんた見てなかったの?さっき討伐隊の編成でさっき別れたばっかよ』
この時、インクリットは無意識にいつもとは違う緊張で周りを見れてなかった
アンリタは溜息を漏らし、彼の肩を小突く
『しっかりしなさい。』
『うん、ちょっと意識が散乱してたかも』
苦笑いする余裕もない
彼はガンテイの背に視線を向け、辺りを見回す
(魔物の気配というか…生き物の気配が感じられない)
いつもなら鳥の鳴き声も聞こえる森の浅い場所
だがいつも通りの森ではない
生き物の鳴き声は、その時彼らの耳に届く
『ギュピィィィィィィィィ!』
『!?』
森が騒めき、体が強張ると共に森の奥から流れてくる強風に誰もが足を止める
異常すぎる大きな鳴き声に誰もがあの化け物の声だと悟った
『近いな…』
ガンテイは目を細め、後ろを気にする
皆が辛そうな顔を浮かべていた事を確認し、覚悟を決める為に声をかけた
『メスは俺が主軸だ、ヘイトは稼ぐからその間に投擲職全般は全力でぶっ放せ、長期戦では絶対に勝てん!オスは…』
彼は小さく、そして強く『よしっ』と囁くとインクリットに顔を向ける
『お前はあいつの元でそれなりに稽古しているだろうが、今回は来るかどうかわからない。お前たちならどうする?インクット、アンリタ』
『…』
インクリットは考えた
自分に出来る事は何だろう、と
逃げなくて大丈夫なのか、と
しかし、ここで彼は以前グスタフに言われていた言葉を再び思い出す
『人間は逃げるんが下手だ、逃げる時に逃げて次に活かせない奴が多いが。時には逃げては駄目は時は訪れる。それはいつかはわからない、しかしそれを乗り切った者には絶対強者にしか見えぬ風景を見る事が出来る。まぁ運がないと生き残れぬが…お前がそれを乗り越えたならば俺も意識を変えて接しよう』
(…母さん)
街の人間に被害をもたらす有害生物指定された閻魔蠍
インクリットの家族が住む街ではないが、彼は彼なりに答えが出ていた
優しく接してくれる街の人や仲間がいる
その人たちがいる街を守る為に、魔物を倒すために自身がいる
だからこそ家族を守る事にも繋がっている
彼は決心した
『正直怖いです。しかし勝てる勝てないとか僕はわかりません、でも』
『でも、どうした』
『誰かの為に動けるならば、それが今だと思ってます』
ガンテイは微笑むと、彼の背中を強く叩く
インクリットは『グヘッ』と声を出すと、ガンテイやアンリタは僅かに笑う
『アンリタ、インクリット頼むぞ』
『あら、インクリットはまだFよ?』
『飾りだ。こいつはあいつの元で稽古してるのならば、才能があるからだと信じてる。死ぬなよ?』
ガンテイは調査隊からの『ツガイが二手に分かれました。メスは巣、オスは川の近く』という知らせを合図に仲間を引き連れ、別の道に歩いていく
すると残された100人余りの冒険者らはアンリタに目を向け、指示を待つ
彼女はこの街で数少ないCランク、この場に他の同ランクもいるが彼女は評価が高い
『アンリタちゃん、さぁどうする?』
『あんた達、覚悟決めた?酒で飲んだくれてもやる時はやるって見せる時が来たわ。私は怖いけど、みんな同じよ。弓や魔法使い職は目を執拗に狙って。足でも良いわ』
『わかりました』
『微力ながら頑張ります』
『閻魔蠍は堅い皮膚、どの程度かはやってみないとわからないけど、やるしかないわ。私とインクリットでヘイト稼ぐわ』
『僕!?』
『頑張りなさい。あの人の稽古受けてるんだから』
インクリットは動揺するが、周りの冒険者はアンリタの言葉に納得を浮かべる
『グスタフの旦那の弟子か、ヒヨッコ冒険者だったのに旦那来てから良い顔するようになったもんな』
『何か秀でたもんあったから弟子になれたんだろうな。まぁ俺達も負けねぇがな』
誰もが覚悟を決めていた
やるしかない、もう後戻りはできない
しかし、その覚悟は標的を前にするとどうなるか
彼らは知る事となる
川の下流付近、開けた場所で発見した標的を前に冒険者達はその巨体に気圧されてしまう
(なんだ…こいつぁ!)
(ありえん…)
『キキキィ…』
全長10mある大きな黒光りした体
正面は怒りを浮かべた閻魔蠍の模様が白い模様となり、彼らに恐怖を植え付ける
『でかいわね…』
『面白いくらい震えが止まらない』
『やるしかないわ』
『わかってる。その為に僕は…』
彼は試練を突破した。
風の強化魔法、スピード強化
出し惜しみをしている状況ではないと理解したインクリットは自身の足元に緑色の魔方陣を展開すると、微弱な風を纏う
皆が力み、気圧されている最中
予想外にも一番に駆け出したのはインクリットだった
『僕は信じるよ。何となるって』
『ちょっ…!』
先頭を切るインクリット
彼は一度、閻魔蠍と遭遇したことがあるからこそ出来たのだ
怖い時ほど、冷静に呼吸を整えて挑まないと運を拾うことすら不可能
理性が乱れなければ活路がある、そんな言葉も彼は信頼ある者から聞いていた
それを今出す時が来たのだ
超格上であるBランクの上位に位置する閻魔蠍相手に
グスタフはいない、でも彼は仲間と師そして運命を信じて駆け出した
『馬鹿男!…みんなあいつに続きなさい!』
閻魔蠍の甲高い鳴き声の中でアンリタは叫ぶと、冒険者達は恐怖心を払拭するために叫びながら自らの使命を全うする為、走る
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