機械式自殺の手引き

四志・零御・フォーファウンド

第1話 はじまり

鷹山たかやま、部長から電話だぞ」


 その一本の電話が、今回の事件の始まりだった。


「はい」


 その時は、どうせ上司からのお怒り電話だと思っていた。だから気軽な気持ちで電話を受け取った。


『江ノ島で殺人事件が起きた。至急現場へ向かってくれ』


 その電話こそ、前代未聞の事件が始まった合図だったのだ――――。


     *


 20XX年。世界はロボット工学の分野で目まぐるしく成長をみせた。特に、イギリスのベンチャー企業、アイレックス社の開発した【エメリッヒ】が世界中で大ヒットした。エメリッヒは人型ロボットとして完璧と言える作りをしていた。表情や動作は人間そのもので、最新型は人間と見分けがつかない領域にまで到達している。


 今や、各家庭に一体はエメリッヒを保有しているとの報告も出ている。


 エメリッヒは高度なAIを搭載しており、流暢に人並の言葉を話す。そこまで人間に近しい存在となったエメリッヒは外見上、人間と見分けがつかない領域にまで進化していた。


     *


「鷹山さん、いい加減エメリッヒを買ったらどうですか!」


 藤沢駅の南口を出て徒歩5分ほど。行きつけの居酒屋で2カ月ぶりとなった酒の席。

 

 鷹山は何故か対面の女性部下に怒られていた。


「なぁ華山はなやま、今日は飲みすぎじゃないか?」


「まだ8杯しか飲んでません!」


「めっちゃ飲んでるじゃねえかよ」


「そんな鷹山さんは全然飲んでないじゃないですか!」


「このまえの検査で肝臓が引っかかったんだよ。しばらく休肝日だ」


「ぐぬぬぬ……」


 5つ下の後輩である華山は手に持っているグラスを空にしてから、店員に向かって「生!ひとつ追加!」と高らかに叫ぶ。


「そりゃあ上司に理不尽に怒られまくったら酒も飲みたくなるよねぇ」


 鷹山の同期である柴浦しばうらが華山に少し同情してみせた。


「それで!どうなんですか!エメリッヒ買いませんか!」


 追加のグラスを受けとった華山はそう言って鷹山に迫る。既に彼女から酒の匂いが漂っている。


「近いって。ほら、落ち着け。俺は一切買うつもりはないから」


「ええぇ!! あり得ないですよ! 柴浦さんも言ってやってくださいよ! エメリッヒ持ってましたよね!」


「うん持ってるよ。確かに、エメリッヒはいいね。家事をしてくれるし、子供の世話もしてくれる。滅多に故障しないからお金もかからない。なにより本物の人間そっくりだ」


「へぇ。そりゃあ便利そうだなー。華山も持ってるんだよな?」


「はい、もちろんです。――みてくださいよ、かっこいいですよね!?」


 そう言って華山はスマホの画面を見せてきた。それは、華山と一人の男がツーショットを決めた写真だった。彼はテレビでよく見る男性アイドルに似ている。


「この男がエメリッヒか」


「はい、海葉かいばくんっていいます」


「名前まであるのかよ」


「そうですよ! 最初に起動するときに、名前を決めるんです。柴浦さんのエメリッヒはなんて名前なんですか?」


「アリスって名前だ。娘が名前をつけたんだ」


 柴浦は少し誇らしげに言う。


 彼は娘大好き人間で、スマホの待ち受けは娘。職場のパソコンのホーム画面も娘。胸ポケットの手帳に挟み込まれてる写真も娘。暇さえあれば娘が可愛いと自慢してくる。

 

 先日、娘の映った動画を見せてもらったのだが、確かに可愛かった。溺愛する気持ちも十分理解できる。


 自分にも娘が出来たら、こんなバカ親になってしまうのではないかと恐ろしく思う。


「なんだ、名前は何でもいいのか? 俺ならポチにするぞ」


「あー! それロボット差別ですよ! 警察なのにそんなこと言っていると捕まっちゃいますよ!」


「冗談だよ、冗談。アイツらの前で言ってたら通報されるかもしれねぇしな」


 この国にはロボット保護条例というものがある。高度な知能を持ったロボットに対して非人道的な言動や行動をしてはならないのだ。要するに、人間と同じ扱いをしなさいということだ。


 というのも、エメリッヒが発売された時期にエメリッヒに対しての暴行や虐待が相次いだ為らしい。


 それに加えてつい数年前、国は条例にロボット三原則というものを作り上げた。


第一条


 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。


第二条


 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。


第三条


 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。


 この三原則のお陰で、自身に何らかの危険が生じた場合は、警察や病院へ自動通報されるようになっているのだ。この時代、高度なAIを持つロボットには人権に近い権限が与えられている。子供の頃に空想だった世界が、現実となっていることには常々驚きだ。

 

 日々進化し続けるこの時代に付いて行けているか不安を感じる。これが「老い」というものだろうか。


「まったく、どうして鷹山さんはエメリッヒに対してアタリが強いんですか!」


「……ちょっと、苦手でな」


「ったく、こんなこと言ってるけど鷹山はな、大学の時にロボコンの大会で全国1位を取ってるんだぞ」


「えぇ!!! 凄いじゃないですか、先輩! 詳しく教えてください!」


 余計なことを言いやがって、と言わんばかりに鷹山は柴浦を軽く睨んだ。柴浦は何故かウインクで返す。


「あのなぁ……、おっと、メールだ。…………ちょっと、署に戻るわ」


「先輩、逃げる気ですか!」


「別に逃げてはねえさ。――じゃあな」


 鷹山は1万円札を雑に置くと、ハンガーにかけてあったコートを羽織って出て行ってしまった。


「って、ちょっと!――――もぉー! 何ですかあの先輩は!」


「ははつ、仕方がないさ。まぁ、あの堅物を呑みに誘うことが出来ただけで上出来だと思うけどね」


 柴浦は煙草を取り出し、一服する。


「そ、そうですけど……」


「まぁ、元気だしな。アイツが奢ってくれるってのは珍しい。仲の良い連中しかしな

いからな」


「仲が良いって、私も入ってるんですよ……ね?」


「もちろんだよ」


「んーっ!それじゃあ今日はどんどん飲みましょう!」


「えーっと、ほどほどにね」


 明日もフツーに仕事なんだけどな、と柴浦は不安の混じる煙を吐いた。

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