読売新聞社賞

にぎんょ

にぎんょ

作者 花森ちと

https://kakuyomu.jp/works/16816700426941779708


 大好きで幸せを願っていた先輩たちの家族が事故で死に、自分を呪って感傷のあおい海に浸る鴎渚白は独りのにんぎょとしてたゆたい続ける物語。



 タイポグリセミア現象でにんぎょと読めてしまうタイトルがつけられている。文章中のいくつかの単語で最初と最後の文字以外の順番が入れ替わっても正しく読めてしまうような作品なのかしらん。にぎんょとはなにか。読んでみてのお楽しみである。


 文章の書き方については目をつむる。


 宮沢賢治の「やまなし」を参考にしていると思われ、詩的な表現を使うことで、独特な世界観を生み出し、ただの主人公の独白ではなく物語となっている。興味を引く作品には、「どきり」「うらぎり」「おどろぎ」が必要といわれ、本作にも盛り込まれている。

 いまどきの、あらたな人魚伝説、といえるかもしれない。


 主人公は鴎渚白、一人称「私」で書かれた文体。ですます調で書かれ、前半冒頭は童話のような印象。詩的表現がされている。自身を客観視しながら独白している。

 グヂヤはクジラ、イラチはイワシ、リンゼンは人間、ウミユリは植物のユリのようなかたちをした深海の生きもので、ヒトデやウニと同じ棘皮動物の仲間。


 前半。

 周りの歌の巧さに辛くなって海にたゆたっていると、ウミユリの群生地を見つけ、ウミユリと話をしている内に自分が人間の鴎渚白だと思い出す。


「かぽかぽ」「ぽぽぽぽ」「がぼぼぼぼ」「ぽぽぽらぽぽら」といった表現が宮沢賢治のオノマトペみたいで面白い。

 主人公はあおい世界、海にいると思われる。海に潜っているけど、呼吸は出来てるのかしらん。アクアラングをつけて、あわぶくをはきだしているのかしらん。


「あんた、また来たのかい。何度もここへ来ては泣いているじゃないか」とウミユリにいわれている。それに対して主人公は「ここに来るのは初めてなのに、『何度も』って?」と、過去の記憶をなくしているところがある。

 おそらく、主人公は海を漂いながら、幾度となく同じことをくり返しているのだ。ウミユリと話しながら、自分誰で、何をして、どうしてここにいるのかを思い出してはまた忘れて思い出すを、押しては引き引いては押す波のごとく、何度も何度もくり返しているのだろう。


 内気で臆病で怠惰で太っていて仕草が煩わしいぶりっ子で図々しい顔立ちの主人公は、海の見える小さな港町に住んでいた。

 歌うことが好きで中学生のときに合唱部に入部した主人公は、背の高くほっそりとした色白の堀崎倫也先輩が好きになる。彼はピアノが弾けるけれど主人公は弾けないため、聞いていることしかできなかった。

 

 内気で、臆病で、怠惰で、肥って、ぶりっ子。いらない口を出してしまう欠点を持っている主人公は、とにかく自分に自信がなく、考えすぎるあまりに自分が嫌いになってしまった女の子。そんな彼女も好きな男子が入るけれど、釣り合わないし最低だから振り向いてくれないとおもっているのに、彼の声を聞くと幸せになる。そんな自分に幻滅するをくり返している。

 なんでもいいので、一つ出来たところを自信にかえて、それを積み上げていくしかない。だめな所ばかりに目を向けるのではなく、良いところを見つけることをくり返していけばいい。自分から負のスパイラルを作って、滑り台を落ちるみたいに自分で不幸に浸るのをやめなければならない。


 音楽の望月ちはる先生に声をかけられ、ウェーバー作曲の「火の島の歌」を発表会で歌うことになり、ちはる先生の高校時代からの友達で音大を卒業した吉川千絵という声楽の先生を紹介され、指導を受ける。

 中学二年の夏、音楽に包まれた幸せな日々を過ごしていると、先輩が主人公と同級生の西木綾実と付き合っていることを知る。


 先生との出会いが、主人公に光を見せたのだと思う。なのに、好きな子が同級生の他の子と付き合って、せっかく自信が積み上がってきたのにまた揺らいでしまった。しかもこれをズルズルと引きずってしまう。


 のちに先輩は東京の音大へ、綾実は海外の音大へ留学して結婚。生まれた子に菜穂とつけ、笑い声と音楽が響く幸せに満ちた家庭をもった。

 主人公は地元の音大へ行き、現在は声楽を教えている。結婚もせず子供もいない。


 人との接触、コミュニケーションが上手ではなかったかもしれない。だけれども音大へ行き、声楽を教えるまでに自分自身を高めてきたのだから、その自負を自信にしていけばいいのに、生来の臆病は変わらないままだったのだろう。


 十四年後――主人公が三十九のときだった。

 十四歳になった菜穂が、主人公に弟子入りをする。どうして自分を選んだのか尋ねると、先輩は「君の歌は菜穂にきっといい影響を与えるからだよ」と言ってくれた。

 だが主人公は思い出す。二十五の春、どうして先輩は自分を選んでくれなかったのか。その思いを胸に「お二人の幸せを、いつまでも願っております」と海よりも大きな嘘をついた。

 音楽に包まれて幸せな日々を過ごしていた中二のあの夏だけしか、主人公は生きている実感、音楽の情熱をもってはいなかった。


 年齢が上がると、人との出会いが減ってしまう。学生時代までが出会いのピークなので、そこから先の出会いは、知人からの紹介や自分から率先して出会いを求めるとか、近場で探すとか、選択肢が限られてくる。学校に行くのは、交友関係を作るためという側面もあるのだ。

 なので、主人公の彼女は、中二の夏の失恋を引きずったことで自ら、人との交流を怠り閉ざしてきたのだろう。


 後半。

 丁寧に優しく歌う菜穂の姿に、先輩と綾実を思い出す。彼女の素質を壊してしまわないかと恐れていると、かつて千絵先生から、素質があると最後のレッスンでいわれたことを思い出す。千絵先生のようなソプラニストを夢見てきたが、本当になれたのか。

 自問する中、「私、先生の声、とっても大好きです!」と菜穂は言う。主人公は、菜穂の両親のように有名でもなかった。

「もっと練習したら、私よりも上手になるよ」「「あなたは十分頑張れば、お父さんとお母さんみたいになれるのだから」

 主人公は菜穂のような女の子になりたかった。


 先輩と綾実は音楽界の中ではそれなりに有名なのだろう。少なくとも、主人公よりは幅広くコンサート等を開いて音楽活躍をしているに違いない。主人公は、小さな音楽教室を開いて歌のレッスンをしている。結婚もしていないし、子供もいない。もう四十、若くない。周りからは見向きもされない。

 教え子から褒められて嬉しいけれど、あなたの両親は有名で才能があって、その子供なのだからと、主人公は菜穂に嫉妬をしているのだ。自分が欲しかったものをこの子は持っている。


「火の島の歌」を歌った中二の夏を思い出す。先輩が綾実が好きなのがわかっていた。どうして先輩を好きになったのか。春から先輩が伴奏するようになったとき、主人公の歌声を褒めてくれたから。それまでは部員のみんなから下手くそと怒られていたのだ。先輩がコンクールの全国大会に進んで、遠くにいっていうようで悲しかったけど自分のことのように嬉しかった。素敵な演奏はできなかったけど、聞かせることができて幸せだった。


 中二の夏のコンクールのときのことが回想されている。舞台を岩場として、周舞台袖は光射す海の中。観客席も火の島を覆う海に見立てて歌っている。

 歌うことで先輩が自分を見てくれる、振り向いてくれるなら歌い続けるけど、彼が見ているのは綾実なのだ。

 まさに陸に上がったマーメードのごとく、愛する王子はお姫様に恋い焦がれる姿をみているのだ。嘆きながらマーメイドは深海深く潜っていく。その時が来るまで、彼女は幸せな時間を過ごしたのだ。


 ある残暑の頃、主人公たちが育った渚へ車を運転していた先輩たちの家族は大きなトラックとぶつかり、亡くなってしまった。親戚と偽って病院に駆けつけるも、菜穂は脳死だった。

 臓器提供意思表示カードを持っていた。


 大好きな先輩たち、幸せを願っていた人たちは事故でなくなってしまった。素敵な歌を歌うはずだった菜穂も死んでしまった。だが臓器は他の誰かに提供され、この世のどこかで生き続けるかもしれない。自分がなりたかった菜穂の臓器を、他の人はもらっていく。彼女の代わりもできない。だったら、これからどうしたらいいのか、わからなくなってしまったのだ。

 交流関係の少ない主人公にとって、憧れや嫉妬、幸せを願う相手がいたから生きていけた。そんな思いと願いをつないでいたものがぷつんと切られ、生きがいを失ってしまったのだろう。


 その後、主人公は思い出に閉じこもり、何度も思い出をくり返しながら過去を呪っていた。先輩たち家族の幸せを願いながら嫉妬し続け、そんな自己満足の自分が許せず、自分を呪っていく。


 自意識と向き合うと、他に自分しかいないので、自分を呪うしかなくなる。なぜなら、自分の幸せを願っても、自己を他人に置き換えることになり、他に誰もいない世界では呪いに転じるのだ。


 ウミユリは、「辛いままなら、あんたの世界にまた閉じ籠もってしまえば良い」いつか憧れたスプラニストのようにささやき、独り塞ぎ込みながら、あおい海を漂う思い出を忘れたにんぎょとなっていった。


 ウミユリは思い出を忘れさせてくれたのだろう。

 忘れることで、主人公は深海を漂うにんぎょとなれたのだ。でもまたいつか、思い出す時が来て、また同じことをくり返し、嘆き悲しむのだろう。

 読後、タイトルを見て、なぜ「にぎんよ」なのかしらんと考えた。人魚と素直にしないのは、純粋な人魚ではないからか、悲しみに暮れて壊れてしまった人魚となってしまったから、文字化けしたみたいな文字列になったのかもしれない。

 考えすぎず、一人で抱え込むのではなく誰かと話をし、打ち解けあえる人が一人でもいたら、よかったのに。


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