カルビー賞

音色

音色

作者 楓椛

https://kakuyomu.jp/works/16816700426959293605


 後天色覚異常の篠村紗夜は人と関わることが嫌いで部活をサボってピアノを弾いていると、色聴の榎本律月と出会い、人との関わりに楽しさを取り戻す物語。



 楽器、人の声など発音体に特有な音の感じ、色あいを表すタイトルがつけられている。音楽、もしくは声についての物語なのかしらん。読んでみなければわからない。


 恋愛ものである。「出会い、深めあい、不安、トラブル、別れ、結末」の順番で進み、結末には「ハッピー、アンハッピー、死別、卒業」が用意される。本作の場合、卒業である。

 色がわからない少女と音に色が見える少年という組み合わせが、物語に音色をもたらしている。だから、実際にどんな曲が流れているのだろうと、実際に聴きたくなる。

 映像にしたとき、どう表現したらいいのだろう。ラジオドラマには向いているかもしれない。漫画なら白黒で書いて彼が聴く音楽のコマだけ色味をつけるとか、そういった演出がなされたら面白いかもしれない。

 主人公は高校一年生の篠村紗夜、一人称「私」で書かれた文体。問わず語りで実況中継や心情を語っている感じ。主人公の篠村紗夜は色が見えなくなっているため、色味の表現はあまりなく、音や匂いの描写が目につく。


 前半。

 四月下旬。主人公の篠村紗夜は授業後、誰とも話すことなく教室を出て一階の第二音楽準備室へと向かう。必ず部に所属しなければならない校則があり、部活動の日は活動時間が終わるまで下校できない。写真部だが参加せず、部活がある日は準備室に逃げ込み、グラウンドピアノを弾いている。

 窓から見える裏庭の花壇には多くの花が咲いているのを見て、

グスタフ・ランゲの『花の歌』を弾く。窓の外に目を向けると、一人の男子生徒と目が合い、手が止まる。

「良い曲ですよね!」彼の言葉にそうですねと答えてカーテンを閉め、別の曲を弾く。主人公は人と関わることは面倒で、学校が嫌いだった。


 書き出しが、コツコツという音からはじまる。

 チョークが擦れる音、チャイム、頬杖を就いていたために感じる痛み、春風のぬくもり、葉桜の香り。味覚は置いといて、視覚以外の表現がされている書き出しから、ありふれた主人公ではないことをさりげなく読み手に伝えてくれている。

 なんだろう、と思わせてくれる書き出しがいい。


 主人公は、引っ越してきて、高校に進学している。なので、同じ中学出身からきている子が全くいない状態。しかも自分から最低限しか関わりを持たないようにしているだろうから、誰とも話すことがないのが日常的になりつつあるのだろう。

 描写よりも説明的なのは、視覚を避けようとしている現れかもしれない。また、表現が「今日は天気も良い感じがする」といった具合に曖昧にされていることが多いのも、同じ理由からだろう。


 ドイツのピアニストであるグスタフ・ランゲは四百曲以上のピアノ曲を作曲している。中でも有名なのが『花の歌』である。他にも『荒野のバラ』『埴生の宿幻想曲』『エーデルワイス』などを作曲している。

 テクラ・バダジェフスカの『乙女の祈り』に雰囲気が似ているこの曲は、華やかで優雅で品の良さがあり、重々しさがない軽い印象。初中級者のレパートリー曲や発表会曲として人気がある。

 少しピアノを習った程度で弾ける曲ではない。ただ弾くだけでなく表情をつけられるようなレベルになってから弾くといい曲。

 また、ペダルを細かく踏みかえる部分があるため、ペダルを踏むことに慣れている必要がある。

 主人公はこの曲を弾き、榎本律月に一年間聴き続けるきっかけを与えるほど、素敵に弾けたのだ。


 五月末。体育祭準備をする中、いつものように準備室でピアノを弾いて下校。帰り道、目の前で幼女が転んだとき黒いエプロンを着た男性店員が駆け寄り、「良い子にはお花あげちゃう。綺麗でしょ〜」と一輪差し出す。主人公は彼女が落としたジュースを手渡し、花屋の店員と手を振り見送る。その店員は数週間前、ピアノを弾いていたとき窓の外から見ていた彼だった。

 花をあげようとする彼に「良い子ではないので」と断り楽器店へむかった。「またね」といわれるも、興味はなかった。


 知らない人が見たら、幼女に花を渡そうと声をかける事案が発生したと通報されるのかしらん。もちろんそんな意図はまったくなく、転んで泣かなかったことを褒めるためだ。転んで自分で起きたらなにかもらえるかもしれない、と覚えなければいいのだけれども。

 主人公にピアノのお礼に花を渡そうとした。はたから見たら、ナンパしているような感じかもしれない。

「どこの王子様に仕込まれたんだよ、と思い、少々引き気味に笑いたくなってしまった。まぁ、一般的な女子なら喜んで受け取るんだろうな」とある。ただし、イケメンに限るとでも注釈を……つけるかどうかさておき、実際はどうなのだろう。彼が花屋だからとわかれば、受け取ってもらえるかもしれない。

 主人公の場合、色味がわからなかたことも、断った理由の一つだろう。


 翌日、楽器屋で購入した楽譜を持って第二音楽準備室へ向かう。昨日の彼が窓の外にいたのでカーテンを閉めようとすると「僕、榎本律月」と、名前を尋ねてくる。篠村紗夜と名乗ると彼もおなじ写真部で部活をサボっているといい、「また来てもいい?」と尋ねてくる。いいんじゃないのと答えると、彼はカーテンを閉めてくれた。

 二週間に一、二度の頻度で彼は尋ね、四カ月経った九月末には慣れた。彼は準備室で主人公のピアノを聴いたり、英単語を覚えたりしている。返されたテストの点がよく、一番好きなドビュッシーの『月の光』を弾くと彼は涙を流して称賛し、「独り占めできちゃうなんて贅沢だな」といったが、彼のために弾いているわけではなかった。下校時刻となり、一緒に帰ろうと彼に誘われる。


 二十世紀を代表するフランスの作曲家クロード・ドビュッシー。『夢』や『亜麻色の髪の乙女』など美しいピアノ曲で知られ、人気の高い作曲家の一人。ピアノを弾いた事がない人や、クラシックをあまり知らない人でも曲を聞けば、知ってると思うほど『月の光』の知名度は高い。

 元々この曲は『ベルガマスク組曲』の中の一曲。第一曲『プレリュード』、第二曲『メヌエット』、第三曲『月の光』、第四曲「パスピエ」と四つの曲からなる。ちなみに『ベルガマスク組曲』を完成させるのにおよそ十五年の歳月がかかったという。三曲目があまりに有名なため、単独で演奏されることも多い。

 四曲のなかで一番難易度は低いものの、 ソフトペダルと指先の力加減による繊細な音が要求され、表現の仕方やペダルの踏み方が安易ではない。

 主人公はこの曲が好きだから、何度も練習をしてきているのだろう。演奏を聴いて彼は涙を流している。彼も好きな曲だった。 主人公の演奏が素晴らしかったのもあるだろうけれども、事故で音楽の道を諦めた姉に関係しているのかもしれない。姉がよく弾いていたことを思い出したのかしらん。

 

 最寄り駅から同じ電車、同じ駅で降りて彼の家の榎本生花店にたどり着く。主人公の家はここから歩いて十分程先にある。「近いなら、もっと早く一緒に帰ればよかったね」「僕と同じ第三中?」と出身中学を尋ねられ、今年から引っ越してきたと告げる。

 別れ際、彼は花を一輪、ラッピングして差し出す。素敵な演奏を聞かせてくれたお礼といって、ピンクのダリアの説明をする。中学一年から色覚障害があって花を楽しめないからと断るも、「僕と真逆だね!」と返事し、ご家族にでもと渡される。


 ピンクのダリアの花言葉は、ない。なのでダリア全体の花言葉をみると「華麗」「優雅」「気品」「威厳」「感謝」「移り気」「裏切り」「不安」の八つがある。もちろん、移り気や裏切り、不安といった思いを彼女に伝えようとしたとは思えない。主人公の音楽に対して、五つの花言葉を伝えたかったのだろう。

 

 後天色覚異常とは、もともとは色覚異常はないのに、何かの病気をきっかけに起こる色覚異常。原因となる疾患で頻度が高いものは、糖尿病網膜症、網膜静脈閉塞症、中心性漿液性脈絡膜症などの網膜疾患。特に網膜の中央部にある黄斑に水が溜まると高い頻度で色覚異常が起こるという。

 あとで、チューリップの赤みは見えているような描写があるので、青黄色覚異常なのかもしれない。青錐体という青色に感度の高い視細胞が障害されるために起こる青錐体は、網膜の病気で特にダメージを受けやすいとされている。

 あるいは、眼科的脳神経学的に説明がつかない、小児や思春期に多く見られる心因性色覚異常の場合も考えられる。


 音に色味が見える彼は、共感覚の持ち主と思われる。ひとつの感覚の刺激によって、別の知覚が不随意的に起こる現象と定義され、 音を聴くと色が見えるという「色聴」や文字を見るとないはずの色が見える「色字」などが代表的で、痛みを感じると色が見える人や何かを味わうと手に形を感じるといった珍しいケースも確認されている。

 ドレミファソラシドなどの音階や調性音楽を聴くと,色が見える彼は、ロシアの作曲家アレクサンドル・スクリャービンのようにハ長調は赤、イ長調は緑といった音階などに色を感じ取っているのかもしれない。


 以降、彼と一緒に帰ることが多くなる。学校生活の楽しみは、準備室での一人演奏に帰り時間が追加された十月末。

 電車を待つホームでミルクティーを飲みながら彼は、主人公の演奏がカラフルで、彼には『乙女の祈り』が金色とピンクに見えるという。なぜいまさら演奏に色づいている話をしたのか尋ねると、「今の紗夜さんならわかってくれる気がした」からと彼は答えた。


 主人公が『花の唄』を演奏する前に、ポーランドの作曲家テクラ・バダジェフスカの『乙女の祈り』を演奏して彼は聴いていたことがわかる。

 

 右手左手にたくさんオクターブがたくさん出てくる。

 オクターブとは高い方のドと低い方のドなど、離れた音を片手で弾くこと。ほとんどの場合、親指と小指で弾くため手が小さい人は苦労するし、オクターブを引き続けていると手首に力が入ってしまう。弾くよりも指先で掴む感じ音を出し、その後は手首を少し上げて脱力させる。

 この曲にコードは三つの和音、E♭(ミ♭ソシ♭)Fm(ファラ♭ド)B♭7(シ♭レファラ♭)くらいしかでてこない。コードとはお玉弱以外の方法で現したもの。コードCとかけば、ドミソの和音を記すのと同じなのだ。

 また、テーマのくり返しがなされ、テーマをアレンジしたものが五パターン展開されている。

 なので、オクターブが弾けてコードに引き慣れていれば、最初から最後まで、ほとんど左手が同じパターンをくり返している。

 主人公の演奏を彼は、ものすごいカラフルで金色とピンクにみえたと語っていることから、彼女はピアノを弾き慣れていることがわかる。

 

 後半。

 一週間後。演奏を聞いてくれるし帰りながらが話せるのが嬉しいから、と曲のリクエストを彼に尋ねる。喜ぶ彼と一緒に楽譜を買いに行くことを約束する。

 二日後、最寄り駅の楽器屋さんを訪れる。季節は十二月、季節のおすすめコーナーを見ていると『Debussy』と書かれた冊子を彼から手渡される。三曲中一曲を選ぶことになり、楽しみにしてるねと彼にいわれた。


 彼が選んだのは、クロード・ドビュッシーの冊子。有名なのは『月の光』『海』『夢』『亜麻色の髪の乙女』『アラベスク一番』などなど。夢と迷ってアラベスク一番を弾くことになる。あと一曲はなんだったのかしらん。


 近くのカフェに寄り道し、人間関係に疲れていた主人公は進学に合わせて引っ越してきたと話すと、彼は「わかる気がする」と返事。「私はあんまり人に興味なんかもちませーんって顔してるし」同意しつつも誰に対してもそうじゃないからと答えれば、「ごめんごめん、意地悪だったね」彼はやさしく返事した。

 四年前、姉とカフェに来たことがあると話す律月。姉は事故で指を怪我をし、音大も留学の話も全部なくなった。姉のピアノからも音色が見ていたと語る彼の言葉に、姉の代わりにされていたのではと思い、用意してきたクリスマスピアノコンサートのチケットを、暇だったらどうぞとあれに押し付け店を立ち去った。


 彼は、姉のことで辛い思いをしたことを、誰かに聞いてほしかったのだろう。同じピアノを弾いている主人公ならば、と思ったのかもしれない。人に興味をもたない彼女なら平気かも、という打算もあったのだろうか。嫉妬させたいのか、心許しているのか。好意のサインかしらん。

 それでも女子と二人きりでいる時は、たとえ姉とはいえ、ほかの女子の話をするのは控えたほうがいい。


 一週間後、第二音楽準備室で、クリスマスソングの練習をしていた。下校時刻三十分前、控えめにドアを叩いて「紗夜さん、入っていい?」顔を覗かせる彼と目が合う。先日のことを謝る彼。「すごく嫌な気持ちになるように伝えちゃったよね。ごめん」「紗夜さんが一曲一曲違う色を僕に感じさせてくれる」「演奏によって見える景色も感じる気持ちも違うし。その都度一回きりしか感じられないものが、音楽にはあると思うんだ。僕は、毎回ここに来て聞く紗夜さんのピアノの、一つ一つが大切で──儚くて──大好きなんだよ」「だから、姉さんの演奏を、紗夜さんに重ねることなんて、絶対にしないよ」そう話し、一緒にクリスマスコンサートに行きたいといわれる。主人公にとって一番好きなピアニストのコンサートだった。だから彼と一緒に行きたいと思っていたことを告げ、「誘い返してくれて、ありがとう」と彼に伝えた。


 彼はずっと悲しんでいたのだろう。

 姉とカフェに一緒に行ったころはまだ、姉が事故に合う前だったのかもしれない。姉が事故にあってから、彼もまたふさぎ込んでいて、主人公のように人と関わらないようにしてきたのではないだろうか。主人公のピアノを聴き、一緒に帰るようになって彼も、人と打ち解けるようになっていった。

 姉の話をしたのも、彼自身が心にブレーキを掛けてきた閉じ込めてきたものの殻を破ろうと、勇気を出して打ち明けた結果だろう。だけど彼にとって一番大切なのは姉ではなく、彼女だと気づけたから謝り、一緒にコンサートに行きたいと打ち明けたのだ。


 一緒にいったクリスマスコンサートは最高だった。彼もそのピアニストの虜になり、ネット演奏動画の感想を送るまでになっていた。そんなコンサートのあった日に、彼のリクエスト曲を演奏する日を決めた。

 冬休みがあけて一週間と少しが経過。準備室に暖房を入れ、彼にクロード・アシル・ドビュッシーの『アラベスク第一番』を演奏する。今まで聞いたアラベスクの中で最高に感動したと彼は褒める。


 アラベスクとは、アラビア風のという意味で、元々はイスラム美術の装飾文様のことである。ドビュッシーは元々の意味であるアラビア風の模様をイメージして作曲したといわれており、美しい幾何学模様をイメージするといいかもしれない。

 左手から右手へ、また左手へとバトンを渡すように交互に弾いて音をつないでいく。大事にしたい音、ほしい音を綺麗に弾くためには打鍵前に音の響きや音色を想像する。フレーズの始まりと終わりを理解しておけば、どこへ向かっていくのか見失わず流れの良い演奏となっていく。それにはもちろん、練習が必要だ。

 主人公は、何度も何度も練習をした。だから彼は最高に感動したのだ。

 

「あなたのために、あなたを想って弾いてるんだから」

「僕のために、ありがとうね。ここで紗夜さんのピアノをずっと聴いていられて、今年はすっごく幸せだった」

「別にこれからも私はここでピアノを弾き続けるんだから、律月も来ればいいじゃない」

 来てほしいと思っていると、「僕もう今年で卒業だし」と告げられる。彼は三年生だった。学年ごとに上履きに色違いのラインがはいっているが、主人公にはわからなかった。


 彼が三年生というのには驚きである。学年がわかる情報がほとんどなく、彼の落ち着いた対応から主人公よりは年上かしらんと思えるくらい。女子高生が主人公で卒業をテーマにしたエモい話という応募条件から、わかる人もいるかもしれない。でも、作品からだけではわからない。


 気が回らなかったことを謝る彼がおかしくて笑ってしまう。彼はすでに推薦合格をしていて東京の大学へ行くという。十月ごろ、顔を合わさなかったことがあったと思い出す。三年生なら部活は夏には引退する。彼はピアノを聞くために来ていたと照れながら話してくれる。そしてここに来るのは「今日が最後」だと告げられる。

 さらに、趣味程度だが彼もピアノが弾けることを明かされ、彼が奏でる『月の光』を聴かせてくれた。主人公が好きな曲でもあった。彼の曲で、月の光が見える気がした。


 主人公は中学一年までは色が見えていたので、月の色を思い浮かべることはできるだろう。

 ただ、彼は趣味程度だからといって弾いている。その曲は「律月の奏でる音楽は、こんなに優しい音をしているのか。一つ一つの音色が心に深く染みた。壮大で、でも繊細で美しいこの曲に乗って、たくさんの律月との思い出が蘇ってきた」とある。

 曲の初めのところだけを彼は弾いたのかもしれない。

 右手は月の光を表し、左手の低音は闇夜の暗さを表す。左手の和音を打鍵して手腕を落としたら止めず、少しずつ手を上げて音を持ち上げていく。背中を強く押される力に負けないよう体を保って弾く腹式呼吸が必要だ。姉に教えてもらったのか、一緒に練習したのか。その時の情景と、この一年主人公のピアノを聴いてきた時間のこと、一緒に帰った日々のことなど、いろいろなことを思いながら弾いたのだろう。


 帰り道。彼は主人公に、彼が話すことをおぼえていてくれるから本当は人と関わることが好きなのでは、と言い当てられる。今日が最後だからと意を決し、病気による恐怖からメンタルがやられて周囲に八つ当たりし、誰にも気遣われることのない新しい街に引っ越してきたと打ち明ける。「でもね。律月と一緒に下校して、お話しして、やっぱり人と話すのが楽しいって思ったの」「私の演奏をたくさん褒めてくれて、聴いてくれて、たくさん話しかけてくれて、ありがとう。楽しかった」そして彼が好きだと告白した。

 彼はいつもの柔らかい表情でうなずくだけだった。


 主人公の告白に対して、彼はここでは返事をしない。返事は卒業式までお預けということかしらん。


 式が終わったらいつもの場所で待ってる、と言葉を残して別れた。

 卒業式が終わり、主人公は第二音楽準備室を訪れる。『乙女の祈り』を弾い終えると、彼が現れ、今日も金色とピンクだったと褒める。カバンから卒業生へ贈られた花を取り出す。彼の家の生花店が担当し、彼が花を選んだと言う。彼は赤く色づいたチューリップを主人公に送った。


 主人公も、卒業式の花を選んだという。どんな種類の花だったかはわからない。春らしい、ということでチューリップをこっそり選んだのだろう。

「律月から受け取ったチューリップの花は、私にも確かに、赤く色づいて見えた」とある。なので、彼女は青色盲だと推測してみる。

 チューリップ全般の花言葉は「思いやり」であり、赤いチューリップの花言葉は「愛の告白」「真実の愛」である。

 卒業生の人数のことを考えて、一人一本ずつラッピングされていると推測してそれを彼女に渡したのだろう。本数が一本なら、花言葉は「あなたが私の運命の人です」である。

 彼女の告白の返事であろう。

 

 四月。進級して二年になり、新しいクラスが発表される時間よりも早く登校して準備室に入り、『愛の挨拶』を弾く。すると窓から二人の女子に話しかけられる。昨年から隣の美術室でピアノを聞いていたという。二人は同じクラスになったので挨拶に来たのだという。クラス名簿をもらいに行き、彼女たちと廊下で落ち合って自己紹介しつつ、二年生の教室がある階へ駆け上がるのだった。


 人に関わり合いたくないといっていた昔の彼女はもういない。

 春を迎えて、新しく生まれ変わった主人公は、青春を駆け上がっていくのだ。

 イギリスの作曲家エドワード・エルガーの『愛の挨拶 』は、ピアノの発表会や演奏会でも弾かれることも多い認知度の高い曲。

 彼が二十九歳のとき、キャロライン・アリス・ロバーツをピアノの弟子にする。元来内省的で孤独を好む彼が、婚約の贈り物として彼女に捧げたのがヴァイオリンとピアノのための小曲『愛の挨拶』である。周囲に反対されたが、三十二歳のとき反対を押し切りめでたく結婚。妻はエルガーの創作活動を支えたという。

 主人公と彼の未来を暗示させるような、曲である。

 さほど速くも遅くもなく、四分音符、八分音符で構成され、流れにのれば全体をさらいやすいが、右手で旋律を弾きながら和音も弾かなければならない。

「ロマンチックで、語り掛けるような旋律にうっとりする。今年もよろしくね、とピアノに心の中で語り掛けた」とあるように、主人公は滑らかに弾くために練習を重ねきたのだろう。


 読後、この物語だからこのタイトルなのかと腑に落ちていく。

 恋愛ものでもあるのだけれど、二人が共通してクリアしなければならないことがあって、一人ではクリアできなくて、彼がいたから、彼女がいたからクリアして成長し、前に進んでいくメロドラマのような話でもあったのだ。

 素敵な音と色に満ち溢れている、そんな作品だった。

 二人の行く末に幸多くあらんことを願う。





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