樹林裏のアネクメーネ

樹林裏のアネクメーネ

作者 こましろますく

https://kakuyomu.jp/works/16816700426380668723


 森の中、田所という男性が首吊り自殺をしたのを発見した瀬戸が再び森を訪れると自殺願望者の白石と出会い、何日も対話をくり返して夏休みを過ごし、首吊り自殺はやめさせた物語。



 樹林裏が人類の永久的居住や経済活動が不可能であるか、または現に行われていない地域ということを示すタイトルがついている。南極大陸はかつてはアネクメーネであったが、現在は一時的エクメーネの一種であることより、その土地は砂漠か極寒か灼熱の地か、あるいは汚染されているかといった住めない土地を舞台にした物語なのかしらん。読んでみなければわからない。


 疑問符感嘆符のあとはひとマスあけるは目をつむる。


 タイトルと書き出しから、本作にはどこか近寄りがたさを感じさせている。それでいて、何気なく足を踏み入れてしまいそうな雰囲気もある。

 読ませる文章。主人公がやけに大人びた印象を受ける。絶対いないと言い切れないし、言葉の端々から感じる曖昧さから、稚拙ながらもしっかりした主人公のような子は実在するだろうと感じられる。

 いい文章を書いている。実に素晴らしい。


 主人公は女子高生の瀬戸、一人称「私」で書かれた文体。冒険物語と同じく、日常から非日常へと入り、再び日常へと帰還する構造。それを感じさせないような語り口調で、ですます調で書かれた紀行文のような様相を呈している。独特な比喩表現が用いられている。これらの表現が、主人公の大人びた感じや達観さを醸し出し、やや異質で重い内容の本作を読みやすくしている。


 前半。

 夏の暑い日、山間の地域に住む主人公は水分を求めて、最寄り駅付近のコンビニでペットボトルを買い、鬱蒼と草の生い茂る木漏れ日の下をえらんでの帰り道、軽自動車一台が通れる山間へと続く狭い道に普段は普段は赤いパイロンと錆びた鉄鎖で塞がれているのに、パイロンが道の脇に除かれていた。


 読んでいて、最初からもやっとする。

 夏の暑い日、家の冷蔵庫の中に飲み物がなにもなく、氷もなかった。冷えたものがなかったということは、ぬるい飲み物はあったかもしれない。なくても、蛇口を捻って水を飲めばいいのではないかしらん。室内は冷房が効いているのだから、ぬるくてもいいはず。

 冷たいものが飲みたい気分だったのだろう。

 一人暮らしなのかしらん。あとで高校生とわかる。バイトしている様子もないので、家族と暮らしているのだろう。だったらなおさら、冷蔵庫に飲み物がないということがあるかしらん。それだけ暑くて、飲んでしまったのかもしれない。「茹だるような熱気が蔓延する、夏の暑い暑い日のこと」とあるのだから。

 もやっとしながら読み進めていく。


 ちなみにパイロンは、道路や工事現場などに設置される円錐形の保安用品。けっして、シオノギヘルスケアから発売されている風邪薬のことではない。


「区内とは違って電車は十分に一本程度」「都心へ向かうには幾度も電車を乗り継がなくてはいけない」「東京都内でありながらも郊外の、比較的自然に囲まれた山間の地域」とある。

 十分に一本程度なら、さほど田舎ではない。首都圏の中心部を除けば、そのくらい待つ駅は多い。都内で山間の地域とあるので、奥多摩かしらん。


 立て札には『園、開放中』とあり、好奇心から足を進めると、ひまわり畑が広がっていた。スマホで数枚の写真を収めて帰ろうとしたとき、誰かが通ったような獣道を視界に入る。奥になにがあるのか足をすすめると、伸び切って乱れた髪の男性が、木の枝に麻縄で首をかけて揺れていた。


『園、開放中』と看板があるということは、不特定多数に見に来てもらいたいのだろう。手書きっぽさがあるので、近所に住む農家が行っているのかもしれない。

「数十、もしくは数百あるかもしれません」とあるけれど、数十と数百はまるで違う。とにかく、小屋裏の荒れた土の十畳程度の敷地にびっしりと向日葵が咲いていたのだろう。そこが向日葵園なのだ。


「片田舎で見られるものといえばハクビシンだとか、何処かの家の飼い猫だとかだろう」とある。そう思っていても、狸だっているだろうし、意外と熊や猿、シカにイノシシもいるものだ。夜な夜な人家にこっそりと降りてきているかもしれない。

「彼は一際丈夫そうな枝に麻縄をかけ、自重でゆらゆらと揺れていました。それはまるで、振り子時計の振り子のようです」とある。振り子は空気抵抗と吊り下げ点の摩擦、重力によってやがて止まる。揺れるほどの風が吹いている描写も見られない。ということは、首をつってそれほど間もないということだろう。

 

 スマホで緊急連絡して警察が駆けつけ、主人公は保護される。状況を説明して三日後。その後どうなったのか気になり、再び森へと足を踏み入れると、宙吊りになっていた木の前に誰かが屈んでいた。

「早まらないでください! 死ぬのは良くないですよ!」

 男に声を書けると、「嗚呼、ごめんね、勘違いをさせてしまったらしい。いや、勘違いでは無いのだけれども。死なないとは言えないけれど、少なくとも今は死ぬつもりはないから安心してほしい」

 場違いな笑いをする彼に、その場から動けなくなった。


 事件解決が自分に変化をもたらすかも、という無意識の予感がある。一度目は好奇心から足を進め、偶然にも首吊り現場を発見する。でも二度目は、「質の悪い好奇心」と呼びながら、自分の意志で訪れている。

 非日常空間に身を置くことで、変化の布石となっていく。


 後半。

 名前を聞かれ、高校生の瀬戸と答える。男は白石と名乗り、「無職の自殺願望者だよ」と告げた。

 先日発見された男は田所という名だと聞いた主人公は、なぜ死のうとするのか尋ねるも、あったばかりの相手に話そうとは思わないといわれ、当然だと思った。「また来ます。やっぱり死ぬのは良くないことだと思うので」「私は貴方が死にたくないって思えるように頑張ります。そのためには、何度だって止めてみせますので。それでは!」とその日は帰る。


「私は何か自殺願望があったりする訳ではなく、確かに思春期らしく思い悩んで自己否定に陥ることはありますが、死んでしまおうだなどと早まった考えに至ることは、今までに一度も経験したことがありません。そう考えてみると、私は大層幸せな環境に暮らしているのでしょうか」と主人公はいっている。

 自殺を意識的に考えたことはなかったのは本当だろう。でも、無意識下ではあったかもしれない。なぜなら、死を知らない幼い子供ならいざ知らず、高校生ともなると、やがていつか自分に終りが来ることを知っているから。

 漠然とした不安や弱さは、誰もが抱えている。

 主人公は自分の心の弱さと対峙し、克服するためにも彼の考えを変えさせなくてはならなかった。だから、自分の使命のように「私は貴方が死にたくないって思えるように頑張ります。そのためには、何度だって止めてみせます」と言い切るのだ。

 でなければ、自分も心の弱さに負けて自殺してしまう、そんなふうに思ったのではないかしらん。


 次の日も訪れると、大岩の元に腰掛ける白石がいて、主人公は同じ岩の端に腰掛け、冷やして持ってきたペットボトルを差し出す。

 熱中症は頭が痛むし、体もだるくなる。水分不足で死ぬにしても時間がかかることを告げると男は、「確かに、死ぬならせめて苦しくないままにというのは一理ある」納得してうなずく。


 これが伏線かもしれない。ありふれたもので、さり気なく示唆している。


 好きな名言はあるかと聞かれ、名言ではなく、マリーアントワネットの死ぬ間際の話を持ち出す。生き様が好きなのかと聞かれ、「恐ろしいという気風を見せないところが好き」と答える。

 白石はわざわざ「難しい話をしようか」と切り出し、アーネスト・ヘミングウェイの言葉を持ち出し、「逃げて死ねば価値が無い敗北者。しかし生きている限り、大嫌いな自分自身から逃げることはできない。であれば僕は、一体如何すれば良いのだろうか」と投げかける。


 処刑されるも死ぬ間際まで潔さを持っていたマリー・アントワネットの話を出した主人公に対し彼は、二つの考えに矛盾を抱え、鬱となって自殺したヘミングウェイを持ち出し、彼女に気持ちを吐露している。

 ある意味、救いを求めている。これに対して彼女がなんと答えているのかは書かれていない。沈黙のまま、帰宅したのかもしれない。投げかけてきた彼の言葉に答えられなかったのか、あるいは、そうですかと聞いただけだったのか。

 答えの代わりに、彼女は翌日も訪ねるのだ。


 次の日訪ねると、テセウスの船の話とトロッコ問題を持ち出し、意見を聞かれる。彼は「記憶というものは良くもあり悪くもある。昨日は悪しざまに言ってみたが、今日は記憶についての良い言葉を持ってきてみたんだ」と、ジャン・パウルの言葉『我々が追い出されないで済む唯一の楽園とは、思い出である』を持ってきた。

 それを聞いて、思い出の中でしか自由を得られないし、悪行を積み重ねていては、思い出すら安息の地にはなりえないといいたいのではないか、と思った。


 彼は「難しい話」と前置きしている。

 高校生でも知らないだろうと思って、テセウスの船とトロッコ問題を持ち出してみたのだ。だが主人公は知っていて、自分の考えを述べていく。テセウスの船を人に置き換えて考えたとき、同じと言えるのかという問いに、過去の記憶が残っている限り同じと答えている。

 新陳代謝により、人の体は一カ月ほどで細胞は新しく入れ替わる。にもかかわらず、私達は継続性を保てている。遺伝子のおかげでもあるが、記憶の継続も同じ人として足らしめるのに欠かせないものに違いない。

 傷ついて苛むことを良しとしない主人公は、死刑ボタンに賛成と答える。罪悪感は記憶から容易に消えることはないからだ。

 彼は「記憶についての良い言葉」として、ドイツ作家のジャン・パウルの名言を持ち出す。

 唯一ということは、それ以外は追い出されるということだ。生きて脳がある限り、永久に作り上げた楽園から追い出されることは無い。たとえ妄想であっても。

 思い出は記憶であり、記録ではないのだ。だから真実とは違う、自分の都合のいいものだけを持ち続けることができる。だけれども、ときにトラウマを抱えてしまい、楽園が地獄となることもある。

 彼の楽園が地獄と化したから、自殺を求めるようになったのかもしれない。

 

 その後も夏休みが終わるまで足を運び、自殺を止めようとしたが彼の手から白い麻縄が離れることはなかった。夏休み最後の日、残っていたプリントを片付けて夕暮れにいつもの場所を急いで訪ねると、「おや、遅かったね。でもそんなに急いでくるほどの場所じゃあないだろうに」と彼に迎えられる。

 白石は、この場所に何度も来たことがあったが怖がりで死ねなかったと語りだす。

「自殺者たちにもちょっとしたコミュニティみたいなものがあってね。ここで会った人と会話をすることが多々あるんだ」

 会話をしたその日は、互いに死なずに帰るも、話せず遅れてきたとき、相手が死んでいる場合もある。それが主人公が見つけた田所だと、教えてくれた。

 

 自殺志願者は、同じ境遇の相手と会話できたという些細なことで死ぬのをやり過ごし、今日をどうにか生きているという。

 ボタンの掛け違いのようにどちらかが遅れて出会えなかっただけで、綱渡りのロープから滑り落ちる。それがあの日見つけた田所であり、目の前の白石もまた同じだと主人公は知る。

 そんな会話をするほどに、二人は毎日会って、親密さを深めてきたのがわかる。


「きっと僕はいつか死ぬ。今日死のう今日死のうと思って、何度もここへ訪れているのだからね。でもどうか、君が訪れたときに僕が死んでいても、決して挫けないでほしい。思い込みがすぎる話かもしれないが、君はとても心優しい人だから、考え込んでしまうだろう。けれどどうか生きてほしい」

 主人公はなにも言うことが出来ず、唇を噛み締め拳を握る。


 主人公は親密になったがゆえ、彼が「死という概念が身近な存在でいる期間が長かったからこそ、いつ訪れてもおかしくはないような軽いものになってしまった」と思えるまでなっていた。

 生きたいという欲望を失っているのと同じく、死にたいという欲望すらも失っているのだろう。生も死も同じ。生きてしまっているから、死んでしまえる。

 明日からは学校で、会いに来なければ田所と同じようにこの人は死んでしまう。

 彼を変えることはできなかったと悟り、なにかいいたいけどなにも言えず、悔しくて悲しくて、唇を噛み締め拳を握るしかできなかったのだ。主人公の敗北である。


 学校が始まって、急いで帰宅し、山道を駆け上がる。いつもの大岩に白石は眠っていた。


「彼を起こすのも忍びないなと思って、足音を立てないように少しずつ近寄りました」からもわかるように、大岩で寝ているのを見たとき、主人公は一瞬安堵しただろう。でも、たどり着いたときに、「訪れて間もない森林は、夏の匂いと清風に包まれた異空間のように思えました」から、不穏な気配が漂っている。


 近寄ると割れた小瓶を見つけ、数錠の薬剤が散乱していた。呼びかけに反応はなく、白い麻縄を握る反対の手には三つ折りにされたメモがあった。

 スマホで警察に連絡し、メモ用紙をみると、『君との会話はとても楽しかった。ありがとう。すまない』と書かれてあった。

 歩み寄れてもたやすく壊れてしまう。それでも苦しい方法ではない方法に彼の考えを変えることができた、と知るのだった。


 首をつったことはないのでわからないが、苦しい死に方の順位に焼死や拷問、餓死の次に溺死や生き埋めが来るので、それだけ縊死は苦しいだろう。

 彼を助けることは出来なかったが、方法を変えさせることはできた。主人公にとってはそれが唯一の救いとして記憶に残るだろう。

 日常への帰還を果たし、二度も自殺者を目の前にした主人公は、自分の弱さに負けない強さを得た。きっとこの先、迷うことが訪れたとしても、彼女はしっかり生きていくに違いない。


 読後、樹林裏は自殺する場という意味なのかとタイトルを見ておもった。

 よく聞く言葉に「人を変えることはできないが、自分は変わることができる」がある。

 相手を変えることはできない、それは相手の問題だから。でも、自分が状況を受け入ることはできる。いま、自分のいる場所で、自分がベストだと思うことをやるしかない。自分の関心のあること、やらないといけないことに向かって励んでいけば、いい結果につながっていく。

 でもいつか、「あのときは何だったんだろうね」って笑い合いながら話せる日が来ることを願って、今日も明日も、これからも、私達はすれ違うように生きていく。

 

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