音と色の絵筆

音と色の絵筆

作者 鳥飼すゞり

https://kakuyomu.jp/works/16816452220870209540


 耳の聞こえない絵本作家ジル・ロージェルは世界を旅していた文学者エルヴェ・フーシェと絵本を作り、さらに目が見えなくなっても二人は絵本を書いていく物語。



 視覚と聴覚の組み合わせる芸術をおもわせるタイトルがついている。音楽の演奏者が画家となり、演奏することで色が塗られて絵が描かれていくお話なのかしらん。読んでみなければわからない。


 文章の書き方については目をつむる。

 

 感情が溢れてしまう作品。聞こえないから二人は筆談するやり取りを、作品を読むことで読者も追体験し、彼らの気持ちをなぞって知っていく。なので、彼らが笑えば笑い、泣けば読者も涙が溢れるし、助け合って行く姿に暖かさを覚える。


 主人公は二人。エルヴェ・フーシェの一人称「私」と、ジル・ロージェルの一人称「僕」で書かれた文体。私と人称をつかっているが、二人は男性。自分語りで、実況中継し、二人の会話は筆談でされているのでやや説明的な印象を受ける。

 冒頭は、ジルが描いたと思われるエルヴァに向けての謝辞。ラストは、絵本を紹介する少女が語っている。この作品全体が、二人が書いた本という構成になっている。

 二人の視点は入れ替わって物語は進み、主にエルヴァ主体で語られている。受け身がちだった主人公は、二人で絵本を作ったことで、後半は積極的にドラマを動かしていくので、理性的でなく感情的に読んでいけばいい。

 だが、本作の主役はジルでもある。

 耳の聞こえないジルは、やがて目が見えなくなることを隠しながら、絵本作家をしている。そこへ世界中を見聞きして旅する文学者エルヴァが現れ、ともに絵本を描くことで、彼を通して見聞きした世界を作品に描いていく。やがて目が見えなくなっていく。最初に書いた海の絵本に出てきた二人の話を書くことにするも、哀しみに泣くエルヴァ。彼を救うためにも笑顔をみせてほしいといい、彼の絵を描いた。だが目が見えなくなる。その後ジルは新たな未来、二人で絵本を書く明日へと進む。


 前半。

 世界を旅していた文学者エルヴァは、美しい青と白の海が見える街にたどり着く。「絵本の中に迷い込んだと錯覚させられるような、幻想的な場所であった」とあるように、彼は幻想的に描かれた絵本の世界に迷い込んだように、目に見える情景を手帳に書いていく。


 見えるものを文字で描写するというより、自分の体験を交えた感想が混じった紀行文に似ている。

「情景を言葉に表す物語がずっと好きだった。現実にある街を描いた本、幻想の世界を描いた本、全部が私に夢を与えた」とある。

 それらの影響から、「自分自身でその世界を見て、自分の文字にできたら」と文学者の道を選んだのかしらん。文学者というより、文筆家な気がする。でもきっと、先に本に触れて文学者となって、それから旅に出るようになったのだろう。


 絵の具で描かれた海を見つけ、「建物の見目からカフェに見える」とある。「ドアに付いた窓の先では、揺れるレースカーテンと木製のテーブル」が、そう思わせたのだろうか。これぞカフェの外観、というものは、国や地域、店主の趣味などで異なるので、一概に断定は難しい気がする。

 だが、世界中を歩いてきたエルヴァなら、おおよそ「あ、これはカフェだ」と言い切れる指針をもっていたのだろう。その外観から、カフェだからと足を入れてみたら、違うじゃないかと戸惑うのも当たり前。


 油絵の具の匂いの主な原因は、テレピンやペトロールなどの揮発性油。水彩絵の具は水に溶かして描くが、油絵の具は油に溶かして描いていくからだ。ゆえに空気中に発散し、独特のシンナー臭が部屋に充満する。

 また、乾性油といって、画面上に残る油が空気中の酸素と重合し、油絵の具は乾燥する。常温ならばほとんど気にならないが、成分によっては焼き肉屋のような匂いがする。

 なので、珈琲やザラメなどの甘ったるい匂いを想像して店内に張ったら、シンナー臭はするは焼き肉屋みたいな油くささはするはで、さぞかし驚いたことだろう。


 テーブルに置かれていた絵本を読む。海を見せたい少女と目の見えない少年が砂浜で言葉をかわす。

「見えてないのに君が悲しんでるってわかるみたいに、何かを見るのは目だけじゃないんだよ」「触ったら冷たいってわかるし、耳を澄ましたら穏やかな波だってわかる」「僕は目が見えないけど、君とくる海が大好きだよ」

 本作のテーマみたいなものが書かれている。難しい言葉を使わず、ほのめかすのでもなく、堂々と読者に読ませている。書きたいのはこれだ、と言っているほどにわかりやすい。


 画材を買って帰宅したジルと対面するエルヴァ。耳が聴こえないと知ったエルヴァとの筆談がはじまる。


 耳が聞こえない人と筆談したことがあるので、多少わかる。

 声で会話するより、相手にわかってもらうために言葉を選ぶことに意識が働く。

 目の前にいるなら、身振り手振り、聞こえなくともしゃべりながら文字にしていくことで、相手により伝わる。文字だけだとメールやメッセージのやり取りと同じく、情報量が減るのでその分伝わりにくくなる。なので、説明的にならざる得ない。

 心がけることは他にも、難しい言い回しを避け、読みやすくきれいな字を書くこと。普段から説明的なしゃべり方をしてる人は、そのまま文字にすることで、あまり苦に感じないだろう。

 エルヴァは文字を書くことに慣れているので、ジルとの筆談は難なくこなせたのだ。創作をしている人たちなら、エルヴァのように筆談はできると思う。


 音を絵に表せるとおもているジルは、子供の時母親によく海に連れて行ってもらって聞いたから、海の絵を描いていた。エルヴァに他の音を教えてもらうようお願いする。


 特撮で書き割りという背景の空ばかり描いていた島倉二千六という人がいる。彼は四十六時中、三百六十五日、毎日空ばかり見て空に流れる雲を描いてきた。彼の描く空は実に見事でまさに本物のようにようにみえるほどだった。

 ジルも、子供の頃に何度も海の音を聞いていたおかげで、鮮やかで本物のような海が描けたのだ。


 ヒヨドリの鳴き声、歩くたびに音がする地面、エルヴァの声を教えてもらい、描いていく。これをきっかけに、二人は展望台や公園、海にいっては音を絵にしていく。


 ヒヨドリのやり取りは、二人の鉄板ネタになったらしい。それだけ二人の仲が良くなっている証拠だ。

 

 四日目に絵本の題材を商店街に決めて、人混みが苦手だった商店街へエルヴァと出かけるジル。砂糖専門店でわたあめを見つけては食べ、女の子が夢見るファンタジーを描いていく。天使とのお茶会を経て女の子は二度と夢から覚めなくなり、病院ベッドで息を引き取るお話の文章をエルヴァが書くことになる。

 二人で作った絵本んの少女は救われたのだろうか、と考えるエルヴァにジルは『少女は、きっと救われています』『エルさんって、優しい人ですよね』画用紙に天使と羽の生えた少女を描いた。他人のハッピーエンドを願って泣くことが出来る人は、素晴らしく優しい心を神様から頂いてるんだと思います』


 創作する側も、登場人物に感情移入はするけれども、配役を動かすのとおなじで演技させるため、読者ほど作品に入り込んだりしない。エルヴァは、ジルのつくったあらすじを元にお話にするので、必然的に作品内に入らざる得なくなる。おまけに、彼は文学者で作品世界に入り込むことを常としていたのだろう。結果、読者視線で、ハッピーエンドを強く願ってしまうのだと思われる。

 お話作りの場合、作者は心を鬼にして登場人物に試練を与え、苦しめなくてはならないとよくいわれるのだけれど。


 後半。

 その後二人は、数々の音を聞いて、絵本にしていった。

 キャンドルを見ながらウトウトしていたとき、『いいえ、だいじょうう、つづくてくだし』ジルはスペルミスをした。エルヴァに寝るよう促されたときには思考が半分停止して眠っていたという。


 この辺りから、少しずつ目が見えなくなっていたのかもしれない。

 

 風船の話を書いたとき、エルヴァは各地をまわった話をし、『最後は、音を描く優しい絵本作家に出会うんだ』『優しいけれど、いたずら好きで、私のことをよくからかうんだ。”ヒヨドリ”ってね』『本当に意地悪で……誰よりも心を許してる友人だよ』と語る。


 ここのやり取りもいい。

 留鳥または漂鳥とされているヒヨドリ。

 春と秋には暖かい地域に渡り鳥となる個体もいるという。

 ヒヨドリは人懐っこく、仲間意識が強く、怪我したり倒れたりすると傍で見守るという。だめだと思うと離れ、しばらく遠くで様子を伺い、寂しそうに飛び去っていく。

 エルヴァはジルの傍にいてくれているところが、ヒヨドリに似ているのかもしれない。

 ヒヨドリは、主に日本、サハリン、朝鮮半島南部、台湾、中国南部、フィリピンの北部に分布し、ヨーロッパやアメリカ大陸には存在していない。また、ドイツ語名で「青いつぐみ」という名のイソヒヨドリはヨーロッパ、アフリカ、中近東の地中海沿岸の海辺に生息している。

 ただ、鳴き声からヒヨドリなのは間違いない。

 なので本作の舞台は、海の見える地中海風の建物の町並みがある日本か、ヒヨドリが飛んでいるファンタジーな世界。例外で、誰かが持ち込んでヒヨドリが居着いたヨーロッパのどこかと推測できる。


 言葉で伝える音が、ジルの絵筆を通して色を持つ。この先も、音と色の絵筆で絵本を描きながら美しい世界を見て聞くつもりでいたが、じきにジルの目が見えなくなることが告げられる。

『僕が見えなくなるまでは、どうか、音を教えてくれますか』

 ジルの文字に、エルヴァは『当たり前だろう』と書くので精一杯だった。


 旅人だったエルヴァは、ジルと一心同体にまでなっていたのだ。


 ジルの書いた『海の絵本にいた二人を、かきましょう』に『……うん、いいね』と返事を書きながら、「最後だから原点に戻るみたいじゃないか」と思いつつ、受け入れるしかないエルヴァ。


 最後だから、という意識はジルにはあっただろう。同時に一番書きたい、自分にとって人生の根幹を表す話だから、見えなくなるまえに仕上げておきたいという気持ちがあったに違いない。

 どんな作家も、色んな作品を作ってみたけど、全部一つにつなげてみたり原点回帰したりするのは、人生を整理するのと同じだから。

 

 このことが、絵本の文字にも現れていく。登場人物の少年を救ってあげられず、苦悩していく。ジルが見えなくなるまで残された時間がない。

 そんなとき、ジルから休もうと提案される。

『絵本はもう良いです』『もう少しで見えなくなるのなら、貴方が焦って辛そうにする姿を見るんじゃなくて、また二人で景色を、見に行きたいんです』『僕、エルさんの笑った顔が大好きなんです。ねえ、おねがい』『僕の目が見えなくなる前に、貴方が心から笑う姿を描きたい』『どうか、笑ってください。最後に見るのが泣いている貴方だったら、一生後悔しちゃいますから』

 エルヴァの絵を描くジル。そして、見えなくなる。


 ジルは、自分の作品を仕上げるよりも、友であるエルヴァを大切にしたのだ。たしかに彼はジルの耳の代わりをしてくれて、ともに絵本を作る分身のような存在になっていたからだけれども、ジルにとって彼と過ごす時間が何よりも価値があるまでに育っていたのだ。


 野原での二人のやり取りが良い。

『……ねえエルさん。僕、貴方の書く文字が大好きです。優しくて、温かい字』『それから、貴方が教えてくれる音が好きです。もっとたくさんの音を、貴方の言葉で聞きたかったな』『今まで、たくさんの音を教えてくれて、ありがとうございました』『貴方が、描けるものを増やさないかって誘ってくれて、本当に嬉しかったです』

 感謝とお礼とジルの彼への大好きな気持ちが溢れている。


 見えなくなったジルは、画用紙に文字を綴る。『エルさん、僕はもう描けないから、貴方は、このアトリエから出て、好きなことをしてください』『また、何処かへ旅をして、素敵な言葉を書いて』

 だがエルヴァは、最初に読んだ海の絵本に書いてあったことを思い出す。『見えてないのに君が悲しんでるってわかるみたいに、何かを見るのは目だけじゃないんだよ』『触ったら冷たいってわかるし、耳を澄ましたら穏やかな波だってわかる』

 エルヴァは汁の手のひらに指を滑らせ、文字を書いていく。『私が文字を書いているの、わかる?』『君の絵本のおかげだ……ジル、不安だったろう?』


 かつて自分が書いた作品によって、エルヴァの心を動かし、見えなくなったジルに希望の光が見えた瞬間だ。


 手のひらの筆談で、エルヴァは絵を描かないのか尋ねる。『ジル、必ずしも正確な絵が、綺麗とは限らないんだ。それに、私が助けてあげる』『必要なのは描けるかどうか、ではなくて、君が描きたいかどうかなんだよ』

 ジルは声を絞り出し、「か、き……た、い……で、す」と答えた。


 ひょっとすると、今後、ジルは発声も練習してエルヴァとの会話をするようになっていくかもしれない。明るい希望が見え始めていく。


『ねえジル。私は、君の絵が、君が、大好きなんだ。君が描きたいと思う限り、君のもとで音を教えてあげるし、君を支えるよ』『今度は私が、君の目にもなってあげる』

 そして絵本は描き上がる。その背表紙には、少し拙いけれど優しく丁寧な字で『著:エルヴェ・フーシェ 絵:ジル・ロージェル』と書かれていた。


 読後、実に心があたたまる話だとおもった。

 タイトルを見返して、なるほど素敵だと納得する。

 エルヴァが好きなハッピーエンドである。

 最後、あとがきのように、とある少女が本作を語り、本扉を閉じている。

 作家にもよるだろうけども、作品を作る時は、どこかしらに自分に関係するものを題材に盛り込むことがある。

 ジルが最初に作った海の絵本は、彼と母親の話が元になっていると思われる。やがて目が見えなくなると知り、昔に母親と見に行ったことを思い出しながら自分を奮い立たせるために描いた可能性がある。そう考えると、女の子が夢を見るお話に登場する少女は、母親を題材にしているのかもしれない。

 天使とお茶会をして夢をみながら亡くなったと、病気で亡くなった母親を思って考えたと想像すると、最後に出てくる少女も、天使とお茶会をしていた少女で、天国に行った母親を表していると思えてくる。

 とはいえ、これは私の想像。

 彼女は誰かしらというのは、読者の想像に委ねられているだろう。

 実に素敵な物語だ。

 

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