青に焦がれる境界線
青に焦がれる境界線
作者 透夜珀玖
https://kakuyomu.jp/works/16816700426432043355
デザイナーになりたい美桜は友達と励まし合い、親を説得して推薦受験の面接を合格、晴れて高校を卒業する物語。
境界線が近くの青に恋い慕って思い悩んでいる様をタイトルにしている。青は比喩なのかしらん。読んでみなければわからない。
文章の書き方については目をつむる。
タイトルと冒頭の書き出しが素晴らしい。これを卒業もしていない現役の高校生が書いたところに、凄さがある。
時事ネタである新型コロナウイルスの日常を廃し、純粋に受験と卒業を迎える高校三年生の日々を描いている。ありふれているけれども、日本のどこかの家庭では実際にこんな高三の子がいて、受験勉強に励んで卒業していくことを感じさせてくれる、そういう作品だ。
ありふれた日常を書くのは難しいといわれる。誰しも一度体験したであろう受験の日々と卒業を、正面から書いているところが、本作のいいところ。
主人公は高校三年生の柊美桜、一人称「私」で書かれた文体。現在から始まり、回想で過去を語っていきながら未来へ向かっていく。過去の自分を自身で解説しながら語り、淡々とその時々の考えや内面の思いを表現している。なので、描写よりも自分語りに重点をおいている印象。
自分が本来の姿を認め、何かに変わる主人公の物語であり、メロドラマのように、それぞれに共通してクリアしなければならない障害が複数あり、自分ひとりではクリアできないけれど、互いに励ましあって克服していく。
前半。
卒業式を終え、友人の葉月とともに桜の樹の下で写真を撮る柊美桜は半年前を振り返る。
モノローグの書き出しから、本作ははじまる。
読者に、「これからどんな話が始まるのか」「このキャラクターはどんな人物なのか」といった想像を掻き立たせる。主人公の意見や感想から書き出す手法は、色んなジャンルに応用できる。
主人公は、「正解のない人生、この道を選んだことを後悔する日がいつか来るだろうから、いまは無駄にしないよう胸を張って生きるだけ」と思っている。
二度とは戻れぬ時をくり返しながら、誰もが明日を求めている。いつの日か若さに焦がれ悔やんだとしても、一つを超えて明日を迎えるためには、ただ夢中に走り続けるしかない。それは、誰にでもできる簡単なことなのだ。
これから主人公は、自分が求める明日に向かって、ただ走り抜けていくことを書き出しで語っている。
半年前の進路希望調査票の提出締め切りの前日。
ホームルームを終えた主人公は、少し葉月と進路の話をして帰宅し、安定した職業である公務員を望む母親に進路の話を切り出す。
「デザインについて学べる専門学校に進学したい」「それでも私はこの夢を諦めたくない」と母に告ると「好きにしなさい」とだけ言って母親は進路希望調査書にサインし返却。受け取った主人公は自室で志望する専門学校の名前を書いた。
卒業式から半年前に遡って語られている。
三月一日を卒業式だと仮定すると、半年前といえば九月。三者懇談は夏休み初日。なので進路希望調査は夏休みより前の話。
一般的には五月ないし六月に進路希望調査は行われる。
なので、九カ月ほど前の話と推測する。
母親は公務員になってほしいと思っている。
国や地方自治体、警察や消防、救急救命士や救急隊員、弁護士や裁判官などの公的な組織や機関に所属したり、国家資格を活かしたりして活躍する国家公務員と、各都道府県の市区役所などで働く一般職員、学校で働く教育職員、警察で働く警察官などの地方公務員があるが、どちらを望んでいるのだろう。
また公務員は学歴社会である。
高卒や短大卒にくらべ、公務員職で大学卒が占める割合が多く、Fランクの大学卒でも大卒扱いだが出世は難しく、よほど努力しない限り国立大や有名大学出身者にはかなわない。
公務員は全業種の中で仕事満足度は低く、可もなく不可もないと思っている人が圧倒的に多い。また、公務員はビジネススキルが身に付かない職場なので、独自に身につけていく必要がある。公務員を目指すなら、大学を卒業したほうが給料は高いし、出世も望めるだろう。
安定以外に母親は、どんな公務員になってほしいと望んでいたのかしらん。
翌日、葉月に親に突き放されたことを告げると、彼女も親に美容師は無理と言われたが諦めきれないと答える。
主人公は、葉月が諦めるときにはちゃんと理由があって、後悔はしていないのだからその判断は間違いではなかったのでは、と声をかける。納得する葉月の表情を見ながら、解決していないけれど背中を押せたと安堵する。
葉月が諦めるときは、納得する理由があるときだから後悔していない。つまり、納得いかず後悔するなら諦めてはいけない、ということを葉月に伝えたかったのだろう。
そこへ、小学校からの付き合いのある椋が話に入ってくる。彼も親を説得できなかったという。
そんな三人は、次の三者懇談をどう乗り越えるのか、眉をひそめるのだった。
夢と興味は表裏一体、という話が語られている。進路を決めるときに夢と表現するのではなく、将来または展望としたほうが決めやすい。
どこかの精神科医が、心理学に興味があるという言い方は控えてもらいたい云々と書いているのを読んだことがある。流体力学に興味がある、なんて言う人はいないし、水流ポンプや航空機などに興味があるから、工学科や機械工学科などを選考するのだ。
カウンセラーになって心を軽くしてあげたいとか、困っている人の助けになりたいから心理学の勉強をしたい、と思うから大学に行きたいといえば、椋の両親も一応は納得できたと思う。
後半。
夏休み初日の三者懇談当日。母親と学校に向かいながら「夢を諦めるつもりはない」という主人公。母はなにもいわなかった。
担任教師からの成績の説明をうける主人公と母親。推薦も視野にいれていると答える主人公。母親は最低限しか言葉を発せず、懇談が終わる。沈黙が続く帰りの車中、「どの夢を進んだって少なからずリスクはある。それなら、自分の夢を突き進みたい」と主人公は沈黙を破った。わかったと答えた母親は、「その代わり、絶対に夢を叶えなさいよ」と告げるのだった。
誰しも興味のあることは忘れない。興味のない人には教えることはできない。主人公はデザイナーに興味を持ち、勉強したいとおもったから、その道を選ぼうとしている。興味を持ったときに教わるのが一番効果的だからだ。
一般論として、親は子の幸せを願う。また、子供の可能性を見つけるのが親や教師の務め。どうして勉強をする必要があるのかという問いかけを、納得できるまでしてきただろうか。
勉強するのは、人生の選択肢を増やし、好きなように生きるためだ。どんなことでも、学んでいれば、参加して楽しむことも見て楽しむことも、どちらも自分で選ぶことができる。だが、学んでいなければ、ただ見ているしか選択肢はない。
学ぶことで選択肢が増え、一度きりの人生を好きなように生きることができる。また、勉強すれば生涯収入は勉強していない人よりも高くなる。
大学にしろ専門学校にしろ、学ぶにもお金がいる。子供の学費を捻出し、払うのは親である。「どの夢を進んだって少なからずリスクはある」のはそのとおり。だからこそ、お金を出す親としては、子供のやりたいことにお金を出してあげるけれど、その後の人生で食べていくに困らず稼げる道なのかどうか、その点を危惧しているのだろう。
専門学校を卒業したけど職にはつけませんでしたでは、親として困るのだ。受験に合格するのはもちろんだけれども、その先のこともふくめて母親は、「その代わり、絶対に夢を叶えなさいよ」と言ったのだ。
主人公がそこまで受け止めたかはわからない。
夏休みを終えて椋が部活を引退し、三人で下校する中、それぞれが親の説得に成功したと打ち明ける。そして最後の関門を迎える。
専門学校の推薦入試には学科試験が無い代わりに、書類選考と面接がある。教室のベランダで面接の練習をする主人公に葉月は「美桜は考えすぎなんだよ。私は美桜の志望は理由好きだよ」と声をかける。彼女の入試は明後日だった。
葉月は面接練習で褒められたと語り、自分のことのように喜ぶ主人公。彼女にできて自分にできないわけがない。下校時間まで面接練習をつづけた。
葉月は自分の受験を目前に控えながら、主人公の面接の練習に付き合っている。実に友達思いのいい子である。練習に付き合うことで、自分の練習にもなっているのだろう。
それぞれ向かう道は違っても、互いに競い励まし合える友だちがいるから、一人よりも前に進めるのかもしれない。
試験会場に到着し、受付を済ませた主人公は、大きな教室で待たされる。きっと大丈夫、と何度も言い聞かせた。
「受験は団体戦なんて言うけど、実際当日戦うのは自分ただ一人」「これまで歩んだ道も過去現在と抱えた悩みも全て含めて私」「今日は沢山の試練を乗り越えてこの場に連れてきてくれた過去の自分に恥じぬよう、練習の成果を発揮するだけ」「自分が自分を信じられなくては味方は誰一人としていなくなってしまう」と、主人公は自身に言い聞かせている。
一種の自己催眠だ。
受験生はアスリート、などといわれることもあるように、毎日トレーニングをし、乗り切るための体力も必要で病気なんてしていられない。
一流のアスリートが願望を叶えるために徹底して摂生し、日々の体調とメンタルのケアを怠らず、目標を常に意識して日々を過ごしていくように、受験生も受験本番に照準を合わせて日々、勉強をして過ごしていく。
入念に面接練習を重ねて準備してきた主人公は、まさにアスリートである。
面接試験後、先に受験した葉月の合格発表を一緒に見る。彼女の合格を、自分のことのように喜ぶ。はたして自分も同じように迎えられるのか。合格発表までの数日は生きた心地がしなかった。
主人公の合格発表の日。葉月と一緒にウェブサイトをみる。画面をスクロールさせ、受験番号を見つけると、葉月と抱擁を交わした。
スマートフォンの画面で確認したのだろう。葉月が一緒に確認しているところから、教室内で発表を見たのかもしれない。他のクラスメイトがまわりにいなかったのかしらん。
卒業式最後のホームルームも終わり、教室を出ていくと葉月が駆け寄り、「合格祝いにご飯にでも行かない?」と声をかけてくる。
「俺結果まだなんだけど」と答える椋。
ごめんごめんと笑い合う。
主人公の振り返りながら「今日もその先も何度も挫けそうになりながら」「理想と現実との間での格闘の末、高い壁に何度もぶつかることだろう。たとえそうだとしても、その度に今を全力で生きるだけ」「それに気づかせてくれたのは受験」「そして、仲間」と語ったあと、椋の結果がまだ出ていないのに合格祝いにどこかに食べに行こうと話をしている。
これは笑うところなのかしらん。椋は友達にいれてもらってなかったのかもしれない。そんなことはもちろん、ないだろう。
写真を撮ろうとする母親に呼ばれた椋は、その場を後にした。
主人公は葉月と桜の前で写真を撮る。まだ咲いてはいなかったが、「これから離れ離れになるけど、桜を見ればいつだって今日のこと思い出せるでしょ?」と葉月の考えに圧倒されながらも賛同した。
「私たち十分変われたよ」「受験を経て、また強くなった」葉月の言葉に感情が溢れそうになる。
どんな満開の桜より美しい笑顔で、卒業写真を撮るのだった。
葉月が実にいいキャラだ。
主人公がほしい言葉を言ってくれる。こういう友達は一人でいいから持つべきだ。この先も友情を大切にしていってもらいたい。
読後、タイトルを考える。
青は若さであり、青春。いつの日か立ち止まり、振り返って若さに焦がれるときが必ず訪れる。二度とは戻れない高校三年生という時間、自分は必死になって夢を叶える一心で頑張っていた。
思い出せても、いまはもう届かない戻れない境界線。そういう意味がタイトルに込められているのかもしれない。
多くの人が体験したであろう時間を、思い起こさせてくれるような作品だ。合格してもそこからがスタートラインなので、主人公がどうなるのかはわからない。
願わくば、みんなが後悔することなく夢を結実させ、実り多き人生を贈ることを切に祈る。
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