当たり前って、なんですか
当たり前って、なんですか
作者 晟菜百合
https://kakuyomu.jp/works/16816452220605138175
陸上部の長距離走で何度も優勝している生まれつき耳が聞こえない姉の楓を尊敬している弟の颯馬は、中学の陸上部の進に姉を馬鹿にされ、いじめられ、スランプにもなる。そのことを打ち明けた母親には「焦って仲直りしなくていい、同じ考えの人なんていないんだから」と謝りながら告げ、姉からは「好きなことを楽しめ」と一緒に走り、世界共通の当たり前など存在しないことを学ぶ物語。
当たり前は人それぞれ違う。当たり前だ、おなじ人間はいないし、立場や状況、世代や性別などでも変わってくる。それでも共通する当たり前は存在する。
第一に、規範を守るということ。
第二に、与えられた役割を真剣に取り組むこと。
第三に、義務を忠実に遂行すること。
第四に、習慣を正しく続けること。
第五に、使命を共通して行うこと。
これらの多くが社会に出るにあたって、身につけておくといい当たり前、らしい。
当たり前が必ずしも正しくない場合もある。なぜなら、同じ人間はいないし、立場や状況、世代や性別などで変わってくるから。互いの違いから齟齬が生まれ、他者と比べることで「当たり前って、なんですか」と疑問が生まれるのだろう。
そういう話なのかしらん。
文章の書き方には目をつむる。
灰谷健次郎作品が思い浮かんでくる。実にいい。
少年が成長して教養を身につけ、社会に役立つ者になる教養物語のようであり、児童文学のようでもある。実にいいテーマを扱っている。
ちなみに児童文学とは、「どうにもならない、これが人間という存在だ」という批判的なものでなく、「生きててよかった、生きてていいんだ」とエールを送るもののことである。
主人公は中学二年生で陸上部に所属する、颯馬の一人称「俺」で書かれた文体。自分語りで、地の文の場面説明が少ない。セリフが多め。場面ごとに適した音響効果を加えたらラジオドラマのように味わえる。内容から考えて、表現を軽くしていてバランスをうまく取っている。
前半、生まれつき耳が聞こえない姉の楓に耳元で叫ばれて起こされる主人公。手話で会話するのが主人公の当たり前だった。陸上部で長距離を走って何度も優勝している姉を、主人公は尊敬している。
ある日、陸上部で仲の良かった進が、主人公の姉の話を話をしてきた。進の姉が公園で、楓と一緒に走ったという。そのとき「お前の姉さん、障がい者なんだ」といわれ、「姉さんは、障がい者じゃ……」と言い返そうとするも「そんなやつと走っても楽しくなさそ」といわれてしまう。
「障がい者って、何?」いままで当たり前と信じてきたものを否定された瞬間だった。親にも姉にも言えず、クラスでも部活でもはぶられ、陸上のタイムも落ちていく。
子供は残酷だ。子供と大人の差は経験値でしかない。大人は折り合うことを覚え、不条理な現実に対して失望や諦めをいいわけにして自身を守る。
だけど子供は、はじめから優しくない。なぜなのだろう、なんだろうと自分で問うては考え、行動したりしていくうちに自らの心に思いやりや優しさを作り出していく。そのために学び続けていく。学びは一つの経験。学んで変わっていくのは一人ではできない、相手、仲間がいる。
進も颯馬も、楓も親も、まさに学んでいるところである。
姉が手話で『ごめんね。邪魔して』という場面がある。
誰しも弱い部分を持っている。主人公は自分を見つめることができる。だから「姉さんが謝る必要は、ないのに……」「声を上げて泣き叫べたら、どれだけいいことだろう」といえるのだ。
後半、中体連に向けた練習が始まる頃。主人公のスランプは続き、相変わらず進は冷たい。
「世間知らずめ」「世の中いい奴だけだと思ってたのかよ?」「俺はさ、そういうやつ嫌いだな。謎で気味わりぃもん」と進に突き飛ばされ、「うざいんだよ。お前。お前ばっかうまくなりやがってさ」「いい子ちゃんめ、くたばれよ」蹴られてしまう。
主人公は「俺の尊敬する人、馬鹿にすんなよ!」とやり返す。
「次何かやったら中体連は出さないからな」顧問に叱られる主人公。母親にどう言い訳しようか、誤魔化そうかと悩んでいく。
全国中学校体育大会の夏季大会は、原則として八月十七日から二十五日の間に開催。冬季大会は、一月末から二月上旬、駅伝大会は十二月とされている。
話の流れから、ここでの中体連は夏季大会のことと推測。
弱い部分を持っている主人公は自分を通して深いところまで見ているから、母親、なにより姉に嫌な思いをさせたくなくて、知られないようにするにはどうしたらいいのかと俯いていく。子供の主人公は、大人よりもずっと大人だ。
いつもならまだ部活をしている時間に主人公は帰宅。しかも怪我している。そんなところに姉と鉢合わせ、「どうしたの? 部活は? 怪我したの?」母にも「どうしたの? 何かあったの?」と聞かれて、もう黙ってることも出来ず泣きながら打ち明けた。
部活で進と喧嘩したこと、彼に悪口を言われて無視されたこと、進の姉が楓と会った話で「姉さんは障がい者なんかじゃないって、でも、たぶんそれが、いけなかった」と、全部打ち明けた。
母親は「颯馬は正しい。でも、進くんも正しい」といい、「もっとちゃんと、話してあげていればよかった。ごめんね」「颯馬が傷ついてるのを気づいてやれなかったから。……進くんも、たぶん分からなかったのよ。障がい者っていう、そのくくりだけしか知らなくて、正しい知識がなかったの」と主人公に謝る。
教えることは学ぶことである。教えるものは学ばなくてはならない。親と子の関係も同じ。親は子供を育てているようで、子供に育てられている。営みの中で、自分も育ったと母親も思えただろう。
主人公は、何があったのかと問われて「ごめん、なさい……。俺、もう、無理」と、泣いて話し出す。帰宅する前までは、どうやって誤魔化そうかと思い悩んでいたはずなのに。
喧嘩は、自分の考えが正しいと思っている者同士がぶつかることで起きる。
哲学の父、ソクラテスは「無知の知」という考え方を説いた。知らないことより、知らないことを知らないことの方が罪深いということだ。
障害者という言葉を知っていても、それが具体的にどういうことなのかを知らず、他人の受け売りから知った情報で勝手に決めつけ、自分の頭で考えようともせず毛嫌いして主人公をはぶいて暴力を振るうのは、無知である自分自身をも知らない、無知の無知ともいえる。
まずは何を知っていて何を知らないのか、そこに気づいて、行動していく必要がある。そのためには時間がかかる。それが進にできたとき、また話せるようになれるかもしれない。
どうしたらいいのかという問いには「どうもしなくていいよ。いつも通り、楓のことは楓だと思えばいいし、特別で変わってるとも思わなくていい」「進くんとの仲は、時間がちゃんと解決してくれる。焦って仲直りしようとしなくていいの」「人間まるっきり同じ考えの人なんていないんだから」「これも、いい経験」と告げる。
子供はひとりひとり違うことが当たり前、という考えも当たり前に見えて実際接すれば、容易にはいかないことばかり。
人は生きている限り学び続ける。学ぶのは死ぬまでつづく。学びは一つ一つが経験で、一人では学べない。主人公は、彼の人生を通して、一つ学んだのである。
姉には「ごめんねーーっ」と泣きつかれ、母親は笑い、帰宅した父親は「謎めいたものを見たような顔」をしていた。
主人公が生まれたとき、姉は弟を抱いただろう。幼い弟を抱きしめてきたにちがいない。彼女なりに弟を大事に育ててきたはず。そうでなければ、抱きついて泣きはしない。
一週間後、姉に早朝叩き起こされた主人公は、「ちゃんとお姉ちゃんについてきな」と走りについていく。足は重く、「人生で初めて、苦痛」と感じてしまう。
ゴールの公園にたどり着き、姉にスピードが落ちている原因を聞かれる。うまく答えられない主人公に「楽しんでない。それ以外に、何かある?」「私の弟は、走るのが好きな馬鹿だ。私と同じ」「好きなこと、楽しいことを忘れて走る、その姿勢に。練習を楽しめないなら、陸上やるな」「私も、嫌なことあった。心無いことも。それでも、好きなことを、ただ楽しんでいれば、それだけを、忘れないでいれば、人生なんとでもなる。だから颯馬」「お姉ちゃんのことじゃなくて、自分のこと、考えていいの。好きなこと捨てられる方が、私は嫌だから」と教えられる。
「世界共通の『当たり前』はない」と知った主人公は、姉みたいに走れる気になる。
姉の教えは孔子の『論語』にある「これを知る者は、これを好む者にしかず。これを好む者はこれを楽しむ者にしかず」に通じる。
理解している者は好きだという者にはかなわない。好きだという者は楽しむこと、満足している者にはかなわない。
尊敬する姉の言葉だからこそ、主人公は聞くことができたし、再び立ち上がって、楽しく走ることができるだろう。
読後、作者は思い込みや無知が偏見や差別を生み出すことを描きたかったのかしらと考える。障害者だけに限らず、世の中にはいろいろな偏見や差別がある。苦しくても、心まで病気になってはいけない。相手を思いやることを忘れずつづけていけば、いつか差別はなくなっていく。忘れず続けていくことが困難だから、そう簡単にはなくなっていかないのだろう。
こういう題材を高校生が選んで書くのが、素直にすごい。
身近にそういう体験や話があったのかしらん。
これからも姉弟が楽しく走り続けることを切に願う。
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