バイナリメモリに花束を

バイナリメモリに花束を

作者 紅葉らて

https://kakuyomu.jp/works/16816700427144281688


 西暦二〇五一年、過激派組織により世界各地でテロが起きている近未来のフランス。自爆テロでメリッサを失った脳科学研究者の母ミレーヌは悲しみと病気の悪化の中、自身の研究を用いて、自分が死んだときもう一人の娘リザが悲嘆に暮れないよう、忘れる細工を施す。だがリザは母のことをいつまでも覚えていたいからと告げ、記憶が削除されないようにして、母は亡くなる。墓参りすると赤いバラをみつけ、気になるリザは帰り際にバラを取りに戻る物語。


 なんだか難しそうなタイトル。

 コンピューター内部は二進法に基づいてつくられているため、メモリを扱うときも二進法に基づく数を一つの塊として扱っている。メモリ増設時も二進数に基づいた量で増設していく……はさておき、ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』みたいなタイトルである。あるいは二進数記憶のことかもしれない。日常生活での記憶は十進数記憶といえる。それをコンピュータ世界のオンとオフの二進数で表したものを記憶するという、メモリースポーツの十種競技のマイナー種目のことをさしているのかしらん。あるいはその両方か。とにかく読んでみなければわからない。


 フランス映画のような小説。

 フランス映画というのは、抑圧された状況の中で自分という存在を受け入れる姿を描き、愛を絡め、セリフではなく淡々とした描写で心理描写し、物憂いような雰囲気があり、大きな起承転結はみられず、終わったのかまだ続いているのか明確にしないまま終わることが多い。

 そんな雰囲気のある作品だった。なので、映画や映像でみたいと思った。

 高校生がこういう作品を書くとは……実に興味深い。

 万人受けするかはともかく、作品としては実にいい。


 主人公はCE1(セーウーアン・小学校二年生)の八歳、リザ・コリンヌ・ダレンスバーグの一人称「わたし」で書かれた文体。淡々とした描写は印象的、場面の切り替わりが映像的なところが特徴。時代がいまから三十年後の近未来のSFであり、ミステリーでもある。

 CE1になると、筆記体を万年筆で書くようになり、「ディクテ」という先生が言った単語を書き取るテストも週二回行われる。


 主人公もそうだけれども、友人のクララ・ネージュは、かなり理髪な少女である。とはいえ、日本の教育尺度でみるからそう思えるのかもしれない。

 フランスでは、三歳から幼稚園へ入る。保育園は幼稚園に入るまでのつなぎという位置づけに存在する。朝八時半から十五時半や十六時半までの長い時間を過ごし、給食もあり、早朝や夕方十八時くらいまでの延長保育も行っているため、働いている人も安心して任せることができる。

 だが、幼稚園は基本的に学校と同じである。

 幼稚園の先生は教師である。

 年中からフランス語のアルファベットを学び、通知表があり、年長に進むと小学校と同じ雰囲気になる。フランスの幼稚園では、小学校へ進むための教育が担われているのだ。

 公立の幼稚園や学校は、住んでいる場所によって入学するところが決まり、入試による選別はない。基本的に学校によるレベルの格差はないが、飛びぬけて成績がよい子は学区を越境し、公立の進学校に通う方法もある。だが、ちょっとくらいの成績がいいだけでは認められない。

 早い話、幼い頃から勉強する環境にあるのだ。


「二〇三〇年ごろから始まった世界的な石油の輸入規制でゆっくりと」石油に頼ってきた時代が終わりを告げ、「石油に経済を頼っていた国々で治安が悪化し、二〇三五年に南米ベネズエラで、翌年には中東クウェートで革命が起き」、「政府軍と反政府勢力との混乱のさなか、中東に一つの巨大な過激派組織が誕生」した。

 とき同じく、画期的な脳神経端末「アルゴス」がミレーユ・ダレンスバーグ博士たちのチームによって開発された。「大脳の後頭部、視覚野に接続されたアルゴスが映し出す拡張現実」がなにもない空中に現れて見える。脳内に情報端末がある状態だ。埋め込み式か、取り付け式かはわからない。

 それを利用して「世界中の若者を巧みに誘い込み、欧米を中心にテロ行為が散発するようにな」っていった。

 西暦二〇四三年、パリで大規模な自爆テロが起きた。世にいう「サンデイ・ナイトメア」である。

 その日、母親と娘のメリッサは「近所の大きなスーパーに買い物をしに」出かけ、当時二歳だった主人公のリザは父親と「家でお留守番をしていた」という。

「過激派組織に所属する五人がパリの各地でテロを決行」したのは三箇所。パリ「一区のルーブル美術館周辺、十五区のアンドレ・シトロエン公園、そして七区のスーパーマーケット」「スーパーで自爆したのは、レジに並んだメリッサとママの隣の列にいた女」であった。

 母親に「満面の笑みが貼り付いた顔面を」残して巻き込まれたのである。「日曜日のパリを狙った、五人の実行犯による自爆テロ。当時四歳の女の子」メリッサ「を含む百三十九人が亡くなり、四十一人が重傷を負った」という。

 母親も重症を負い、さらに「小児がんの再発で余命宣告を受け」た。

 二年後の二〇四五年、両親は離婚。一方的に母親がリザを連れて出ていく。

 さらに二年後の二〇四七年。「BS2SMの記述言語の部分的な特定に成功」したミレーユは「アルゴスの技術を応用して、動物の海馬に任意の情報を加えたり、削除したりできるよう」になる。

 二〇五〇年、母親はリザに「特製のアルゴスを導入した。自分が死んだその瞬間、自分に関わるすべての記憶を削除する機能を持つアルゴスを」施したのだ。メリッサを目の前で亡くした自分と同じように、悲しい記憶をいつまでも引きずって苦しまないようにするため、母親として精一杯のことを娘にしてあげたかったのだろう。

 そして二〇五一年、二月。母親の病気が悪化し、病院に入院。六年ぶりに父親の住むパリで暮らす。

 半年後の八月末、母が入院している病院で面会するべく、父親と一緒に高速鉄道TGVに乗ってフランス北部の田舎町に向かう途中、リズは夢を見る。


 冒頭、主人公の幼い頃の体験による夢から始まる。自爆テロに巻き込まれてメリッサを亡くしたあとと思われる母親に抱かれながら、「リザ、もうあなたを悲しませないからね」と悲しげにいっている。そんな夢をみていたところ、父親に起こされたのだろう。


 フランスの北部、高速鉄道TGVでパリから三時間かかった終着駅からタクシーに乗って、アルゴスというディバイスを使って「自動運転端末にママの病院の位置情報を投げ」自動運転で病院まで行く。


 乗り換え無しで、TGV一本で三時間かかる場所はどこなのだろう。 

 時間だけなら、イギリス海峡に面したフランス北西部ブルターニュ地方の城壁に囲まれた港町であるサン・マロ。あるいは、ドイツ国境に近いフランス北東部のグランテスト地域圏にある町コルマールが該当するけれども、紹介文には「フランス北部の田舎」とあるので、違う。

 北部となると、カレーかダルケルク辺りが三時間くらいなのだけれども、リールで乗り換えなければならない。二〇五一年の物語なので、現在とは状況が異なっているのだ。それに、海外では日本ほど正確に電車運行されていないという。テロも起きている時代設定なので、平時の尺度で考えてはならないのだろう。


 アルゴスは脳内に埋め込まれているのだろうか。心臓のペースメーカーみたいな感じかもしれない。機器的なものなのかしらん。充電は? 故障した時の取り替えは? 対応年数は? 寝てるときも常時ついている描写があるのだけれど、身体に影響はないのだろうか。実に興味深い。

 現実的にこの先、アルゴスのようなものが世に出てくると思われるけれども、内蔵よりメガネや帽子などの取り付け型のほうが、交換のしやすさはある気がする。


 パリに住んでいる父親と戻ってきたリザは学校のクラスでクララと友だちになる。クララは分子神経生物学を読み、リザの母親のことを知っていた。

「九月になり、わたしは転校先の小さな小学校に通い始めた」とある。

 リザは母親と一緒に出ていき、父親とは六年間会っていないはず。なので、これまでずっと母親と暮らしてきているのに、転校して「小学校に通いはじめた」とある。

 ひょっとすると母親とリザは、パリに住んでいたのかもしれない。

 病気が悪化した母親は、フランス北部の田舎町にある病院へ入院することになったのだろう。そんな母親の側にいるために転校してきたと推測する。


 本作では、いくつかの社会問題に触れている。

・エネルギー問題について。

 世界における太陽光発電の導入は二〇〇〇年代に入って拡大が進み、再生可能エネルギーが普及してきたとはいえ現在は五パーセント、水力が六パーセント、原子力が四パーセントのシェアであり、石油と天然ガスと石炭は全体の八十五パーセントを占めており、依然としてエネルギーの主役である。

 二〇五〇年までに太陽光と風力などの再生エネルギーを六十九パーセントに増やし、化石燃料を二十パーセントに抑えようとしている。

 道路を走る電気自動車の割合は増えていき、内燃エンジンの車が早々に使用されなくなり、新しく販売されるほぼすべての自動車が電気自動車となる流れだ。バッテリー価格の大幅な値下げや、化石燃料によって動くエンジンが法律で禁止されることで加速していくだろう。

 温暖化をはじめとする地球環境の変化において、採掘や燃焼時に温室効果ガスを排出する石油の生産と消費を抑制するのが人間の責務となっている。


・自爆テロについて。 

 金がかからず容易だが成功率が高いため、自爆テロリストは「究極の精密誘導爆弾」といわれている。この二十年の間に十七カ国、計百二十七件発生し、その大半がアフガンを統治するイスラム主義組織タリバンやアルカイダ、ISやその支援勢力によるものだった。

 自爆テロはイスラム教系の過激派に限られた戦術ではない。

 一九八〇年から二〇〇五年にかけて、世界各地で起きた自爆テロは三百十五件。マルクス主義系組織や世俗主義の組織も活用してきた。大半は、「占領者である外国部隊の追放」を動機に掲げている。

 二〇一五年十一月十三日にフランスのパリ市街と郊外のサン=ドニ地区の商業施設において、ISILの戦闘員と見られる複数のジハーディストのグループによる銃撃および爆発が同時多発的に発生し、死者百三十名、負傷者三百名以上を生んだ、パリ同時多発テロ事件があった。

 フランスでテロが起きた理由は、EU内で失業率が高かったこと。郊外に住む移民の子供たちの失業率が四十パーセントに達し、疎外感が生まれていた。

 フランスはかつて植民地だったアルジェリア、モロッコ、セネガルとつながっていた過去があり、元植民地出身者の子供たちがフランスに住んでいる。

 フランスは、かなり大きな移民を受け入れてきた。フランスにきた人は「フランスとの協定」を結び、受け入れた人は誰であれ、どんな肌の色だろうとフランスの学校に通い、フランス共和国の集団としての価値観を受け入れる限りは、どんな差異があってもフランス人になれる。だが、高等教育に進んだ人もいるが、大部分はそれほど高い教育を受けていない。仕事を見つけられず、将来に明るい展望が描けず、協定を受け入れられなくなり、アイデンティティはイスラム教徒でありつつ、フランス人に慰めを見出し、共通点より差異を重要視する。結果、イスラム過激主義の影響を受ける人も出てくる。

 

・PTSDについて。

 リザの父親は新聞記者で「子供のPTSDが増えている」記事を書いているという。

 自然災害や人的災害、交通事故、身近な人の死、暴力など身の安全を脅かされるような恐ろしい体験をしたり、テレビニュースなどで自然災害や事故、犯罪などの衝撃的な映像に触れたりすると、自分の意志とは関係なくフラッシュバックのように思い出されたり悪夢を見たり、不安や緊張が高まったり、辛さのあまり現実感がなくなったりする状態に陥ることをPTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)と呼ぶ。

 子供たちは大人のように自分に起きた出来事を十分理解できないし、言葉で気持ちなどをうまく表現できない。まわりが変化に気づいてあげないと見過ごしてしまう。


 主人公の母親は悲しい記憶を消そうとした。母親が死んだ記憶だけだろうか。昨日まで生きていたのに、翌日の亡くなった記憶がないのに、母親が死んだという事実を前にすれば結局は泣き崩れる。

 だから母親は、自分に関わる記憶をけそうとしたのだろう。けれども、それをしてしまうと今度は、記憶をなくした苦しみに苛まれることになる。

 子供は親と一緒にいる時間が長いため、人格形成や性格にも影響を及ぼしている。母親と一緒に体験したこと、覚えたこと、話したこと、食べたこと、それらを一切合切なくしてしまうということは、それまで生きてきた時間を忘れてしまうという記憶喪失になるのと同じ。八歳のリザが生きてきた時間全てなくなるのだ。親と離れているとき、たとえば学校で母親のことを考えたりしたときのことも消えるとなると、授業内容の記憶もなくなる可能性がある。

 子供時代の記憶なんて大人になったらどうせ忘れるし、父親や他の人の記憶は残るから問題ないというのは誤りで、性格も変われば以前のリザとは別人になる。

 なにより今まで生きてきた時間感覚までなくなりかねないので、生きてきた八年間の実感を喪失する。すると、同い年の子が年上に見える。成長とともに年下の子も年上に感じ、少なくとも八歳下の子が同級生の感覚となるが、実際は年下なので奇妙な感覚のズレを覚えてしまう。この結果、二十歳になったとき、普通の子は二十歳だが、リザとしては十二年間生きてきた感覚になっているので、年齢どおりの成長をしておらず、幼さが残る。このズレは一生続き、決して埋まらない。

 リザの母親は脳科学者として有名だったので、クララのように母親のことを聞かれても「知らない」と答えるようになるので、周囲は変に思っていく。昨日までの主人公と別人になれば、友人知人は疎遠になっていくかもしれない。

 そういった他人の反応から、なぜ自分は知らないのか、わからないのか、忘れているのかを苦悩していく。やがて自ら調べるようになり、父親たちから話を聞いて、なんにせよ結局は心を痛めるのだ。

 忘れられない苦しみもあれば、忘れてしまった苦しみもある。母親は、思いとどまってくれて本当によかった。


 本作を読んで、カリフォルニア大学の研究者たちが開発した神経マッピング技術を思い出した。脳の各地に差し込んだ電極から、うつ病患者の神経回路の特性を認識し、その患者にとって最適部位にピンポイントで電気刺激が行われると脳への適切な電気刺激が喜びの感情を強制的に起動し、心の底から本物の歓喜と多幸感を感じて笑みが絶えない状態となる。また制御チップにより、脳の各所に埋め込まれている電極からのデータを常に監視し、気分の落ち込みを感知すると自動的に「喜びの回路」に対する最適な電気刺激を行うようにプログラムされているため、健康な人間と同様の生活を送れるようになるという。

 悲しみに嘆き苦しむ人の力になりたいとするのは、科学者以前に人として持ち合わせている本質なのかもしれない。


 クララが語っていた、昔の人が呼吸していた空気をいまの自分達も吸っている、亡くなった人を構成していた物質を私たちは取り込んでいるとするのは、ある意味正しくて慰めでもある。

 だけど、その考えがあるからこそ、リザは夢の中で亡くなった姉のメリッサと話すことができた。メリッサの身体を構成していた物質を取り込んでいたのだろう。

 墓にあった赤いバラを取りに行くのは、母と姉の思い、記憶とともに生きていくというリザの決意のようなものにちがいない。

 人は、忘れようとするから辛いのだ。忘れるのではなく、心に刻み、喜びも悲しみもすべてを受け止めて、ともに生きていくことで強くなる。それが生きる、ということ。

 読後、高橋洋子の『Love Is A Rose』の歌を思い出した。

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