ありがとう

ありがとう

作者 江月祐畝

https://kakuyomu.jp/works/1177354054918275175


 尋常性白斑の病気で髪が白いために嫌な思いをしてきた充城と、全色盲の瑞季が病室で出会い、言葉を交わしたことで感謝の心があふれる物語。



 ありがとう……感謝の言葉……はじめての言葉……あの人にも言ったことなかったのに、という綾波レイのセリフが浮かぶけれども、きっと関係ない。

「めったにない」「めずらしい」を意味する「有り難し」が語源とされ、仏教語である。出典は『法句経』の「ひとの生をうくるはかたく、死すべきものの、生命あるもありがたし」と言われ、いつしか感謝の言葉に使われるようになったという。

 どんなことに感謝するのかは、読んでのお楽しみである。

 サブタイトルに「心のこもったありがとうを君たちに」「大切なことを教えてくれたあなたに、ありがとう」とある。


 疑問符感嘆符のあとのひとマスあけは目をつむる。


 本作の良さは後半にあると思う。

 前半は十七歳の充城の視点で一人称「僕」で、後半は高校一年の十六歳、瑞季の視点で一人称「私」で書かれた文体。会話文と心情を自分で実況中継している。視点を増やすことで描きたい世界を広げているのだろう。

 やや重い話をあつかっているので、軽めの表現にしてバランスを取っている。


 前半、尋常性白斑の病気で入院している充城は、「髪の色が抜け」「奇異の目で見られるようになってから」とくに同年代の人を毛嫌いするようになってしまった。そんな彼のいる長期入院患者の病室に新しい入院患者が来ると、安井看護師から知らされる。充城は同年代の子が来ると知って、病気のせいで嫌がらせをされたことを思い出し、恐怖をおぼえる。

「確かに充城君を傷つけた人もいる。でも、充城君を理解してくれる人もこの世界にはいるんだよ。充城君、君はその人たちに会うべきなんだよ。あの娘がその子になるのかは私には分からないよ。でも、そうなってほしいんだよ」

 そして新しい入院患者の瑞季がやってきて挨拶をする。彼を見る「彼女の顔が驚きに染まる」それは、彼の「髪の色を見た人が」必ず浮かべる侮蔑の表情だと気づいた彼は「吐き気が後悔と共に込み上げてくる」のだが、彼女は思いもよらぬ言葉をいう。

「わぁ、綺麗」「はい。憧れます」「黒の人は周りに接触するとその人も黒に変えちゃうじゃないですか」「でも、白って完全な黒にならないんですよ。道連れにして灰色になる」「だから白は皆を救えるんじゃないかなって。黒に染められた皆を救い出すことのできる唯一の色。だから私は白が好きです。……いえ、好きになりました。あなたに会えたお陰で」「あなたは白がもの凄く似合います」

 充城は知る。世界は一つではない。「除け者にしようとする人もいるが、彼女たちのように受け入れてくれる人もいる」それを教えてくれた人達へ「ありがとう」と、感謝を込めて礼をいうのだった。


 検温・採血・朝食準備・モーニングケアで病室に来た看護師の安井は、ワークシートを書いている、と思われる。

 どの病院もそうなのかは知らないけれども、患者さんの朝食中にスタッフステーションでワークシートに記入する。記入後は夜勤リーダーに報告するので、

「よく書かれていますけど体温は測ってないし食欲にいたっては朝ごはんまだですよ? なんで記入済みなんです?」

「ふふん。私は充城君のことはちゃんと分かってますからね」

 そんないい加減なことはしないと思う。

 看護記録にしても、必ず事実を記録することが重要。実際にみていないことを憶測で書かないように。また、記録に時間がかかるからといって、予定しているケアをあらかじめ記録しておくこともやめるよう言われているはず。

 なので、安井看護師はあとで怒られるかもしれない。


 基本的に、性別でなく重症度で同室にするかを決めている。それでも男女同室にならないよう心掛けているはず。

 主人公たちが同室となった病室は、充城がいうような長期入院でなく、治療上観察を必要とする方のための病室――観察室ではないかしらん。観察の必要がなくなった場合、時間を問わず他の病室へ転室となる。

 症患者さんを頻回に観察するため、各病棟に一つずつ、ナースステーションから近い場所に観察室が設けられていると思われる。

 同室にいるのは、「皆ほぼ寝たきり生活の高齢者」と充城はみているけれども、なにかしら症状が重いのかもしれない。

 尋常性白斑で彼は入院しているけれども、塗り薬にしても紫外線治療なら通院ですむ。彼が入院する理由は、自己免疫性甲状腺疾患、膠原病、糖尿病などなどを合併しているから、なのではないかしらん。


 後半は瑞季視点で語られる。彼女は色覚異常のいわゆる全色盲。一色型色覚異常とおもわれる。灰色にみえるのではなく、色の濃淡でみえているので、「例えば……黒の人がいて。周りには赤とか青の人がいるとするじゃないですか」と言っているところから、彼女は先天的ではなく後天的に色が見えなくなったかもしれない。

 後天的の場合、脳梗塞や脳腫瘍などで色覚異常をきたすことがあるので、ひょっとするとその治療で入院かもしれない。


 私たちには実際に、全色盲のひとがどのように見えているのかわからないけれども、充城は白髪だったため、瑞季には「雪も、雲も」「今まで見てきていた白は何処か濁っていた」他とは違ってきれいに見えたらしい。

 色覚異常の人は、普通の人が眩しいと感じない光でも眩しく感じることがあるそうなので、帽子やフードをかぶって光を遮ったり、蛍光灯やLEDライトが苦手だったり、真っ白な紙がまぶしくて字が読みづらい場合もあるようで、遮光メガネをかけている場合もある。

 彼女はメガネを掛けていないようだけれども、朝なのでおそらく室内の灯りがついていなかったかもしれない。

 雲は光の一部を反射し、一部を吸収し、残りが地上に届くので、雲の厚さによって吸収と反射がかわる。白い時は反射が強いと思われる。

 雪は細かな結晶がたくさん集まってできているため、光を曲げて反射する。 反射された光がまた別の結晶に反射され、雪の中で光があちこちに乱反射している状態となるため雪は白く見えるので、彼女はまぶしくて直視できない可能性もある。そのため、真っ白な雲や雪をみることがあまりできなかったのだろう。

 髪に詰まっていた色素が抜け落ちると、内部に空洞が広がり、たくさんの空気が入り込む。

 空気は、光に反射する性質を持っている。

 白髪はもともと透明色だが、光が乱反射することにより、白く見えたりキラキラと光って見えたりするので、白髪とはいえそれなりに眩しかったのではないかしらん。それでも、雪や雲にくらべたら見やすかっただろうし、ひょっとすると彼女ははじめて白髪の人を見たのかもしれない。


 初めて見るものに人は、畏怖と同じくらい尊敬と憧れ、敬愛を抱く。なぜなら、人生は一回しかないから。

 世界に七十億以上の人間がいたとしても、全員に会えるわけではない。地球に住んでいても隅々までつぶさに見て廻ることもできない。星々が浮かぶ想像を絶する宇宙の大きさにくらべたら、人間は小さな存在でしかないのだ。

 そんな自分が誰かと出会う。何かを発見する。それはすべて、めったにない、珍しい、稀有な体験なのだ。

 私たちも、日々の出会いに感謝したいものである。

 

 本作を読んで「映画ドラえもん のび太とアニマル惑星」の主題歌「天までとどけ」を思い出した。

 ネットとSNSとスマホで便利な世の中になったから私たち人間も立派になったと思うかもしれないけれども、いくら便利な道具ができたからといって、人の本質は変わっていない。

 いつの時代、どんなときでも「感謝」と「尊敬」と「思いやり」を忘れてはいけないことを思い出させてくれた気がする。

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