故にその写真部は写真を撮らない

故にその写真部は写真を撮らない

作者 和泉

https://kakuyomu.jp/works/16816700426117689248



 素直な気持ちが表情に出たときしか撮影しない中田姫乃に撮ってもらった、「田口彩芽に告白してOKをもらった俺が映る写真」をみながら、写真を撮らない写真部を中田と共に過ごした高校三年間をふり返る中野秀介の物語。


 まさに、青春の一ページといえる作品。

 いい作品である。


 タイトルが意味深である。

「故に〇〇」とは、数学の証明問題など、前に述べた事を理由としてあとに結果が導かれることを表すときに用いる。つまり、タイトルは結果で、その理由は「読んでみてからのお楽しみに」ということだ。

 

 一人称「俺」で書かれた、角川つばさ文庫のような児童小説が浮かぶような文体。それが彼の性格なのだろう。

 卒業間近の写真部の日常からはじまり、入学初日の写真部創設前、再び卒業間近の写真部の日常、田口彩芽について。卒業式当日の告白、後日談でおわる。

 基本、主人公の「俺」中野秀介と、同じ中学卒で二年のとき同じクラスメイトの板野姫乃だった中田姫乃しか出てこない。

 彼が好きになって卒業式の日に告白した田口彩芽も出てくるが、中田といるところばかりが描かれている。

 おまけに写真部としての活動も、とくに描かれていない。暖房の効いた部室で本を読んで写真を撮らない、というのが活動といっていいくらいだ。


 中田は朝から放課後まで「先生が強制的に起こした時以外ずっと寝て」初日をすごしている。他にだれも注意しなかったのだろうか。少なくとも、登校して一日中教室の机で寝ていた女子をみたことがないので、現実的には感じられなかった。


 こういう違和感のあるところには、なにかしらの作者の意図があるもの。


 中学時の彼女は、「相手のテンションに出来るだけ合わせて笑顔で対応する」慣れないことをして嘘をついていたのだ。だから、かつての自分とおなじことをしていた中野に「嘘つくの辞めたら?」といえたのである。

 いまの姿が彼女にとっては本当らしい。

 身体が急激に変化する思春期、生理的に眠気が強くなる傾向があるので、体調が悪かったということも考えられる。あるいは前日、夜ふかしして睡眠不足になっているとか、ナルコレプシーなのか、といった他の理由もあるかもしれない。

 つらくて体調が悪かった、というのが現実的だ。だったら保健室にいくという選択肢はなかったのだろうか。

 そういうことも込みで、彼女は高校に入ったら、自分に嘘をつかずしたいことをすることにしたのかもしれない。


 中田の「世界に一つぐらい素のままでいられる空間欲しくない?」の言葉とともに写真部を作ろうと持ちかけられ、結局彼女とともに写真部を作ることとなるのだが、なぜ写真部だったのだろうか?

 彼女が興味を持ったから。もちろん、そうだろう。

 けど、なぜ興味を持ったのかが、本作の重要なポイントだ。

 写真は、「コミュニケーションツール」だからである。

 カメラを手にした途端、撮影できるし誰かに見てもらうことで、相手にも伝わる。ネットワークを利用すれば、量と場所を超えて他人と共有することも簡単だ。

 文字よりも、画像には圧倒的な情報量がある。しかも写真をのすごいところは、見ている相手に「写真を見ているぞ」と思わせないこと。見ている者は、写真の中で起きている出来事を、直接自分の眼で見ているような感覚になれるという、ハードルの低さ手軽さが、写真のもつ特性である。

 言語が違っても、そこに写っているものを時間も場所も飛び越えて追体験したような気持ちになれる――共有できるから、彼女は写真部をつくろうとおもったのかもしれない。

 彼女はこれまで相手に合わせてきたが、高校からはそういう偽りの自分の生き方をやめることに決めている。だからといって、昨日まで人付き合いやコミュニケーションが苦手だった人が、「海賊王に、俺はなるっ!」と麦わら帽子をかぶったお兄ちゃんみたいに叫んだところで、いきなりコミュニケーションが得意になるわけではない。

 人付き合いのツールとしてカメラを選び、写真部を作ろうと思ったのではないかしらん。

 

「あんた、私と写真部作らない? この学校部活作るのに最低二人は必要らしくて。別に活動する必要もないし、部費も取る気もないしどう?」

 そう言われて写真部を作るのだが、いきなり部としては作られることはまずないだろう。

 個人的な経験からいえば、人数が五人以上集められたとしても、まずは同好会からはじまる。一年間は同好会。顧問は必要。同好会に部室は与えられない。その時の名前はつけたいようにつければいいけど、「〇〇同好会」「〇〇サークル」あるいは「〇〇準部」と語尾につく。

 必ずこれが正しいわけではなく、学校によっては、本作のように二人以上から部になる学校もあるかもしれない。


 部室で本を読んでいる彼らが三年生のときには、部室として第一分割教室があてがわれ、最低五人以上は部員がいる写真部として存続しているのではないだろうか。

 二人しか写真部にはいない、となると学校はろくに活動をしていない部に部室まで与えていたことになる。なかなか、そういうことはない。そういった例外をみとめると、好き勝手に部を大量に作られ、届け出もなく教室を使われていくことになる。管理できなくなるので、写真部だけ例外に認める、とはならない。

 それでも彼ら二人しか出てこないのは、作者が中野と中田の関係を描くために、あえて除外していると考えられる。


 物語の後半、「私が撮りたいのは本物の表情だけ」と、彼女が写真を撮らない理由が明らかになるところから、感情的な話しになっていく。なので読み手は、あれこれ考えず感じていけばいい。


 中野はクラスメイトの田口に好意を持っていて、告白しようと考えていた。そのことを中田もしっている。なぜなら、二人は「なんでも素で話せちゃう」関係になっていたからだ。

 他人に相談するとき、八割は決まっているものだ。話す人間は、相手が否定しようと行動に移す気でいる。だったらなぜ話すのかといえば、残り二割の後押しをしてほしいから。

 卒業式というイベントの力を借りて告白することを決めると、「へえ、まあいいんじゃない? 応援はしないけど」中田はふっと笑い、また読書に戻っていく。

 これで卒業式の日に、「――好きだったよ。中野」と中田はしたり顔でいって去っていくのだから、どういう気持ちで彼女はいたのだろう。

 何でも言いあえる異性と三年間、写真を撮るでもなく同じ部室の隣の席で本を読んで過ごしてきた。少なくとも、主人公の中野はなんでも素で彼女に話してきたのだろう。でも、中田は「なんでも」話しているわけではなかったのかもしれない。

 もともと、主人公の中野は素で話すようなキャラだったのだ。高校デビューしたとき、イメチェンを図りつつ、まわりの人間に合わせようとしたところを彼女に「嘘つくの辞めたら?」と言われたのだ。

 でも、彼女の方は、これまで嘘をついて生きてきた。

 高校からは自分に嘘をつくのをやめると決めて、顔を机にべたっとつけたまま横で本を読みながら、彼となんでも話す日々を過ごしてきたものの、長年体に染み付いてしまった嘘をつく生き方は、そう簡単にはなくならない。

 しかも卒業式の日に「正直な気持ちでいることが一番いいでしょ」「……って思ってたけど、気づいたんだよね。必ずしも素でいるっていうことが居心地がいいことには繋がらないんだって」彼に語り、相手の顔色をうかがうのにも意味があることを、彼といっしょにいて実感したのだ。

 もし、嘘をつく生き方をやめているなら、彼女はもっとはやくに彼に告白していただろう。彼に「写真部を作らないか」と声をかけたのも、彼が好きだったから。いつから好きだったのかといえば、おそらく中学二年の、同じクラスになったときだろう。

 彼女は、知らないふりがうまい女だ。


 世界史の授業時、主人公が田口が好きなのがわかる場面はおもしろい。

 彼は、同じクラスの前方に座る田口を思いながら見ていて目が合うも、「慌てて知らないふりをしてふいっと下を見る」ところが実にいい。

 照れ隠しで彼は中田の方を見ると、「『知らないよ?』とでも言いたげに目を瞑って肩をすくめ」られてしまう。

 中田は授業中、主人公をみていたのだ。

 後で「ニヤニヤして気持ち悪かった」とも言っているところからも、明らかだ。

 ひょっとすると、彼女は授業中、彼をよく見てきたのかもしれない。


 卒業式当日、主人公が「校門に立てかけられた『祝卒業』の看板を見る」シーンからはじまっている。なぜだろう、と考えてみた。

 小説に無駄なシーンはない。この後、旧校舎で彼は田口に告白することになるので、彼は告白する場所の下見をしていたのだ。

 校門近くの桜が咲いている。中田が撮影した写真にも桜が舞い散る様子が映り込んでいるので、おそらく桜が咲いている校門近くの旧校舎前で告白したのだ。

 旧校舎で田口に告白した彼は、桜が舞う下で、あまりの嬉しさにガッツポーズをする。その瞬間を、中田は撮影していた。

 前日に彼が呼び出すことを、当然彼女は知っていた。教えてくれたのはもちろん、主人公の中野、彼だ。

 写っていたのは、「告白が成功してガッツポーズする俺と、横で満面の笑みを見せる田口とのツーショット」で、彼女が撮りたいのは、「素直な気持ちが表情に出てる時だけ」である。喜んでいる主人公の顔が写っているかもしれない。

 問題は、どこから撮影したか?

 告白した後、彼は教室に戻るついでに部室に寄っている。

 そこにいた彼女から、撮影したカメラを渡されるところから、告白して喜ぶシーンを撮影したのは、写真部の部室、第一分割教室からだとわかる。

 一般的に、日当たりの良い南側の教室で授業は行われている。

 第一分割教室の具体的な描写がないのでわからないが、選択科目によって移動して授業が行われる場合に使用されているものと推測する。

 私の高校では、廊下を挟んで北側に通常の教室より、少し手狭な教室が設けられていた。なので、本校舎は旧校舎の南側に併設されていて、部室の窓から告白する様子がみえたのではないかしらん。

 彼に「めちゃくちゃ最高の写真」「こんなに上手」「なんかプロっぽいな」と言われるほどの出来だったことからも考えて、前日に告白することを知った彼女は準備をしていたにちがいない。

 きちんと撮影するなら三脚がほしい。なければ一脚。それもなければ台の上で固定して撮りたい。手ブレ補正がついているデジカメを使って脇を締めて構えて撮影しても、確実にきれいに撮れるわけではない。どれほど離れているかわからないので、望遠レンズもほしいところだ。

 ろくに撮影をしていない写真部とはいえ、機材は揃っていると思いたい。部室にそろってないなら、彼女の私物を持参してきただろう。

 うまくいくかはわからないが、好きな彼の表情を撮り損なうわけにはいかなかったはずだから。


 のちに、主人公の彼は「田口とのツーショットを撮ってくれたのは、中田の気がついたこと・・・・・・・の表れなのかもしれない」と回想している。

 好きなら好きと気持ちを伝えること。

 彼はそれを卒業式の日に実践し、その姿を撮影した彼女もまた、実践した。

 写真データだけ渡せばいいのに、彼女はカメラごと渡し、「返さなくていいから」といっている。彼に「好きだったよ」と気持ちを告げ、「じゃあまたどこかで会ったら」ひらひらと手を振りながら去っていく。

 彼女の気持ちと思いは、言葉とカメラという形で彼に伝えたのだ。

 彼に対する片思いから、彼女は卒業したのである。


 それにしても、彼女はどんなカメラを持っていて、彼にあげたのだろう。

 キャノン、ソニー、富士フィルム、パナソニック、オリンパス、ニコン。どんな機種だったかわからないけれども、デジカメだし高いと思う。新機種の型遅れか中古の、キャノンKissシリーズのデジタル一眼レカメラのレンズキットかもしれない。カメラをはじめる人向きのモデルで、とにかく軽く、女性でも扱いやすい。

 

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