第9話


 部活のある八月晦日はつみさんは不定期参加という形で、僕たち五人による勉強会は恙なく執り行われ続けた。恙なく執り行われ続けた事実が本当に辛かった。


「日に日に痩せ細っていくな、お前」


「こんなに長い期間勉強続けたことないからね……」


「……これに懲りたら少しずつやっておくべき」


「そうだね」


「やらねえって言ってるぞ、こいつ」


 真子まこが後ろから背中をびしびし突いてくる。彼女の言い分はもっともだが、それで動けるかどうかじゃないんだ。世の中正論だけで回るはずがない。


「テスト範囲も判明したし、今日から更に厳しくなったりしてな」


「やめてよ、冗談でも笑えない」


「……震えてる」


 僕の第六感が囁く。

 真司しんじの言葉が現実になると。


 そもそも赤点さえ回避出来れば良いだけなのに。高得点なんか期待していないし、されてもいない。

 漫画なら片思い中の相手との勉強会はもっと嬉し恥ずかしいハプニングが起こったり、和気藹々と行われるのに、どうして僕だけ熱血進学塾も真っ青なスパルタを受けなければいけないんだ。


「あ」


「どうした?」


「……悪い顔をしている」


「ふふふ……っ」


 勝てる。勝てるぞ。

 いい加減そろそろ気を休めたいんだ。いくらなんでも残り一週間もこの調子で頑張り続ければ死んでしまう。


「遂におかしくなったか」


「……優真は元々おかしい」


「てことは、一周回ってまともになったか」


「……あり得る」


 失礼な双子の会話すら気にならない。

 見ているが良い、四月一日わたぬきさん! 今日、僕は勉強をサボらせてもらう!!


「五分経ちましたので単語の書き取り開始しましょうか」


「休み時間は休ませて……」


「ですので、五分も休憩出来たではないですか」


 授業の合間の十分休憩ですら勉強の監視がある世界とか生きていけない。四月一日さんが笑顔で迫る。羨ましいと歯ぎしりしているクラスメート達よ。いくらでも代わってやるからすぐにでも名乗り出てくれ。




 ※※※




「な、なっ、な……、なぁぁ!」


 真司、真子の家に響くのは四月一日さんの奇声。いいぞ、まさしく僕の作戦は成功の道筋が今、確実に通ったのだ!


「……なるほど」


「スパルタ地獄になっているのはラブコメ要素を満たしていないと判断したわけだ」


「そういうこと。それはそうよね、僕じゃ始まるはずがないもの」


 嬉し恥ずかし楽しい勉強会は、好きが相手に向かうから起こるのだ。で、あれば普段の僕では発生しない。だって、好きが届かないからね。空しくないのかって? 全然!


 なら、話は簡単だ。

 四月一日さんの好きが僕に届くようにすれば良い。具体的には。


「その姿は反則ですよぉ!!」


「なんとでも言ってちょうだい」


 彼女が大好きなあたしに成れば良い。


 今日も八月晦日さんは部活で不参加だ。真司の家族も僕の女装に関して公認してくれているので見られても問題ない。女装してはいけない要素がないのだから堂々と女装が出来る。


「ねえ、四月一日さん」


「は、ひ……」


「勿論勉強はするわよ。でも、少しだけ。少しだけ、休憩も重要じゃないかしら」


「でも。でも、でも」


「少しだけよ」


 宝物を扱うように彼女の髪に触れる。

 乙女の命を筆に、頬を撫でる。


「あそこまでするかね、普通」


「……女装していないからストレスも二倍だったかも」


「でも、確かに恋愛中な空気にはなったな」


「……怪我の功名」


 イケる。

 イケるぞ。


 このまま押し切るんだ。一度事例さえ作ってしまえばあとはこちらのものだ。勉強しないとは言っていない。僕だってしなくちゃいけないことは分かっている。少しだけ手を抜きたいだけなんだ。

 友達との勉強会なんだから、半分勉強半分遊びで良いじゃないか。お菓子を食べ合いながら楽しい時間を過ごそうじゃないか。


「だめ?」


「ぁぁぅあぁあ」


 四月一日さんが落ちるまであと少し。

 この勝負、僕の……。


 ――むぎゅぅ


 んえ?


「……分かりました」


「え? え? え?」


 柔らかい。温かい。良い匂い。

 ん? ん? んん?


「五月乙女くんからキスしてくれたら許可します」


 四月一日さんが僕に抱きついていた。


「ちょっ!? え、いやいや! ていうか、離れて!?」


「離れません! 抱きついても身体が拒否反応起こしてませんから大丈夫です!」


「僕が大丈夫じゃないんですが!」


「私は役得です!」


「それ、普通男側の台詞だからね!?」


 男として体躯が良い方ではないが、それでも真性女子の四月一日さんよりは背が高い。首元に彼女の顔がある。叫ばれるせいで息が肌に触れる。


「さぁ、キスしましょう! 五月乙女くんは遊ぶことが出来る、私は幸せ。これぞまさしくウィンウィンです!!」


「女の子がキスをそんなお手軽道具にしちゃいけません!!」


「女側が許可しているですから問題ないんです、据え膳を食べないで何が男ですか!」


「僕は女装中だから、男と分類して良いかは微妙だし!」


「女は度胸です!!」


「女性になったつもりもない!」


「さぁ! さぁ! さぁあ!!」


「~~~っっ!!」


 勢いが怖い。

 怖いものは怖い。


 でも、やっぱり彼女は美少女なんだ。

 四月一日さんに抱きしめられて、間近に迫る唇が。


 理性なんて在ってないものと同義である。


「勉強します!!」


「チッ、分かれば良いんですよ」


 笑いすぎた真司が腹筋を崩壊させて床に倒れ込んでいた。

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